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悲劇

 三十分程馬車に揺られた後、目的地であるクリスタル・パレスにマリオン達は到着した。クリスタル・パレス内に設置された劇場にて、クリープ座の芝居見物をするために。

 劇場の入り口で入場券を差し出し、係りの者の指示に従って指定された席へ向かう。慣れない場所のせいか、ランスロットはしきりにキョロキョロと周りを見渡していたため、「ランス、落ち着け」とハルに軽く注意されている。

「僕達の席は……、あそこかな??」

 マリオンが二人に指で指し示した席は、一階席で舞台から見て六番目の列だった。

「最前ではないけど、かなりの良席だね……。僕達みたいな庶民じゃ、中々座れない場所だよ……」

 マリオンは恐縮しながら、席に座る。椅子の素材も良質なビロードで、その滑らかな手触りが、自分達が場違いな場所にいるんだということを感じさせられる。その思いを振り払うように、マリオンは舞台の方に視線を移す。と言っても、まだ開演前なので、プロセニアム・アーチと呼ばれる、額縁のように区切る構造物で縁どられた舞台には緞帳が下りている。

 更に劇場をぐるりと見渡してみる。

 劇場の構造は馬蹄型をしていて、垂直に立ち上がった天井桟敷の中央には巨大なシャンデリアが吊り下げられ、その周りを囲むように様々な天使の壁画が描かれている。三階席まで人が埋まっているのは、それだけクリープ座の公演は人気があるという証拠だ。

 しかし、二階の左側に設置された、オーケストラボックス席に目線を移した途端、マリオンはすぐさまササっと顔を背けてしまった。

「どうした、マリオン??」

 怪訝そうに声を掛けるランスロットに、「う、ううん、何でもないよ!」と無理矢理笑顔を浮かべて誤魔化すも、引き攣った笑みをしているとマリオンは心の中で自嘲した。

 オーケストラボックス席には、クレメンス・メリルボーンと、ダドリー・R・ファインズ男爵が並んで座っていたのを見てしまったからだ。

 チラリと一瞬見ただけだが、ダドリーは九年前と変わらず、美しい男だった。

『髪や瞳の色が同じで、顔立ちが似ているという程度では私の子供だという証拠にはならないし、エマなどというメイドのことなど覚えていない』

 彫像のように完璧に整った顔を表情一つ動かさず、コバルトブルーの瞳に無機質な冷たい光だけを湛えながら、ダドリーが言い放った言葉を今でも覚えている。

 決して、彼を憎んだり恨んだりはしていない。ただただ、彼の、冴え凍る冷たい瞳が恐ろしいのだ。舞台終演後、彼に例の手紙を渡すことになっているが、再びあの瞳を見るのが怖くて仕方がない。

 だが、それでも街の平和や穏やかな日々を取り戻す為には、そんな甘いことは言っていられない。

(大丈夫、きっと何とかなるさ……)

 そっと心の中で繰り返し、言い聞かせるのだった。

「おっ、始まったみたいだぜ」

 マリオンが考え事をしている内に、いつの間にか開演時間となっていて、幕がゆっくりと上がっていく。

 幕が開けた舞台の上で、『綺麗は汚い、汚いは綺麗』という台詞と共に、三人の女が狂ったように乱舞している。そこへ、戦帰りと思しき男達が姿を現し、その中の一人に女達は様々な予言を告げていく。

「おい、あの女はまだ出てこないのか??」

 ランスロットが、隣に座るマリオンに声を落として尋ねる。

「イングリッド姉様は第一幕後半からの出番だから、もう少し先かな」

 周りの人々を気にしつつ、マリオンは小声で答えた。

「なぁ、俺、すでに眠くなってきたから、寝ていいか??」

 まだ劇は序盤だというのに、欠伸を噛み殺すランスロットにマリオンは思わず閉口し、「す、好きにしなよ……」と返した。

 だが、マリオンの左隣に座るハルは、すでに腕組みをしながら船を漕いでいた。

(……もう、二人共、仕様がないんだから……)

 両隣で寝ている二人に呆れたマリオンは苦笑を浮かべつつ、一人で舞台を見入ったのだった。

 イングリッドは、主人公である将軍の夫が三人の魔女から、「いずれ王になる方」という予言を受けたことで夫と共謀して国王を暗殺。その後も次々と悪行を夫に行わせる野心家の妻役だった。

 国王の暗殺を躊躇する夫を叱咤し、自らも手を汚していく妻だったが、場面が進むにつれて、次第に犯した数々の罪への罪悪感に囚われ、徐々に精神を蝕まれていく。

 突如夜中に起き出し、『血が落ちない』と言いながら手を洗う仕草を繰り返す姿に、現実のイングリッドの姿が重なったマリオンは、余りの迫真の演技に目を奪われつつ、複雑な気分にも陥っていた。彼女はどんな気持ちでこの役を演じているのだろうか。ひょっとしたら、自分と役とを重ね合わせたりはしていないだろうか。

「……皮肉なもんだな」

 いつの間にか、目を覚まして舞台を観ていたハルが小さく呟く。

「まるで、あの女の行く末を暗示しているかのような役柄だ」

「…………」

 そうこうしている内に、イングリッドが演じる妻は死亡してしまい、夫も最後の決戦で死亡する。この国で、最も著名な劇作家が手掛けた四代悲劇作品の一つ、と言われるだけあって、全くもって救いのない話だ。

 そして幕が降り、観客からは惜しみなく拍手が送られ、劇は終了した。マリオンとハルも拍手を送り、寝ていてまともに劇を観ていなかったランスロットも釣られて拍手を送る。

拍手は鳴り止むことを知らず、それどころか手を叩く音はどんどん大きくなっていく。

そんな中、再び緞帳がゆっくり上がり、出演者全員が横一列になって舞台に並んでいた。所謂、カーテンコールというものだ。

舞台中央には座長、その両隣を、主人公を演じた俳優とイングリッドが固めている。

座長は端役から順に出演者を紹介していき、舞台から見て彼の左隣に立っているイングリッドの紹介を終え、一際大きな拍手が巻き起こった時だった。


ドン!ドン!!


地響きのような重たい太鼓の音――、ではなく、銃が発砲された音が劇場に鳴り響いたと同時に、右胸と脇腹から血を流したイングリッドが壇上に崩れ落ちた。


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