サキコの話:特別になりたい
佳佑たちのある日常。+サキコの独白です。
チヤホヤされることに命かけたっていいじゃない。
あたしの誇れるものなんて、それぐらいしかないんだもん。
頭良くないし、顔だってたいしたことないし、てか、目の前の女装男子に負けてるし!
サキコが目を上げると、間近にマスカラの塗られた長い睫毛と泣きぼくろが見えた。大きな瞳、サラサラの髪、整った顔立ち。可愛らしい唇にはリップが塗られ、僅かに濡れて輝いている。
「おい、動くなよ、サセ子」
その小さな唇が動いて、ぶっきらぼうな男言葉で言った。そして手に持ったファンデーションのついたパフで、乱暴に顔を叩かれる。
彼は、可憐で美しい女装男子の同級生、佐伯佳佑だ。
「ちょっとけーすけ、サセ子って言わないでよ。それ悪口だからね!」
サキコが言い返すと、佳佑は鼻で笑う。
「今はユカって呼べって言ってるだろ、サセ子」
「絶対呼ばない!」
平日午後のガラガラなファーストフード店、2階席の隅っこで、ふたりはぎゃーぎゃー騒ぎながら化粧をしている。サキコが持ってきた新色やら新発売のものを試しつつ、佳佑がメイクを教えているのだ。
あまり褒められたことではないが、本来の名目は「待ち合わせ」だ。残りのメンバー、タクヤが来るのを待っている。
今日は3人で、前期の授業お疲れさま会&テスト直前の息抜き会と称してカラオケでストレス発散の予定だ。
そしてついでに、ふたりよりも勉強のできるタクヤに、色々教えてもらおうという魂胆だった。
「ほら、カワイー。派手なメイクよりこっちのが男ウケいいよ」
「ほんと? カワイイ?」
「カワイーカワイー」
「投げやりすぎでしょ……」
佳佑が施した化粧は、見た目はかなりナチュラルだ。けれどポイントを押さえてサキコの良さを引き出すように計算されている。色の入れ方も、使い方も、今までやってきたものとは違うので、サキコは感動すら覚えていた。
「別の色混ぜたりしていいんだね。驚いた」
「あー、ね。ファンデはまあ、混ぜるのはよく見るけどね。ようは絵の具だよね」
「けーすけ絵心ゼロなのにね」
サキコが化粧品をポーチに仕舞いながら、不思議そうに呟く。
「なんで知ってんだよ……」
「前にさ、ノートのはじっこに、犬? ネコ? 描いてたっしょ」
「え」
「アレ、めっちゃヤバかった。後ろの席でみんな爆笑してた」
「は?」
眠気を誤摩化す為の授業中の戯れがバレていたことを知り、佳佑が一気に赤くなる。サキコはその時の様子を思い出して、クスクスと笑い出した。
「お前もう二度とやってやんない、今すぐメイク落とせ」
不機嫌に言えば、サキコが泣きつくマネをする。
「ごめんごめん! 今度、イケメンのいるサークルと飲み会あるの、だから助けてけーすけ様!」
その必死さに呆れながらも佳佑が許してやると、サキコはそのサークルについてやイケメンについて話し出す。正直どうでもいいが、佳佑はうんうんと聞いてやっていた。
なんだか女子会みたいだな、とポツリと呟く。
「それにしても、けーすけはスゴイね」
「え? なにが?」
スティック状のポテトを口に運びつつきょとんとする彼に、サキコがズイと身を乗り出し、顔を覗き込んだ。ポテトを咥えた間抜け面すら、とても可愛い。
「ここに来るまでに男ってバレないし、なんだったら2、3人に惚れられてる」
「あはは、いいすぎ」
大げさな言い方に佳佑が笑うと、サキコはぶんぶんと首を振った。
「マジだよ! 絶対、プロになるべき!」
……プロ?
佳佑が首を傾げる。
「プロって、メイクの?」
「そう! なんか、そういう、誰かを可愛くする仕事だよ!」
「誰かを可愛くする仕事……」
ピンとこないのか、目をパチパチと瞬かせ、それから「うぅん」と唸った。
これだけ好きなら、そういう仕事に就きたいとか考えそうなもんだけどなぁ、とサキコは思うが、佳佑にそんな視点はなかったようで、意外な提案にただ驚いているようだった。
「夢とか、そーゆーのないの?」
「夢ね……」
自虐的に笑い、「夢なんて見る余裕なかったな」と呟く。どういう意味かは知らないが、どことなく悲しそうだった。
「んじゃ、今からでも考えてみたら?」
「今から?」
驚いたように目を見開く。
だって、今からじゃ無理だろう。いま通っている大学は美容系ではない。辞めるのか、一応卒業するのか、専門学校へでも入りなおすのか。
お金もかかるし、生活だってあるし、単純な話ではない。
サキコの能天気さに少し困ったように苦笑しながら、佳佑が淡々と説明する。
「じゃ、普通に就職するんだ?」
「そのつもり……」
迷うように視線を彷徨わせる。
考え込むように少しだけ眉根を寄せて黙った佳佑に、サキコはジュースをズゴゴっと啜りながらぼやく。
「将来って、迷うよねぇ。まあ、うちの大学からは一般企業だよね。あたしは一応、事務希望なの。で、3年以内に結婚する!」
「うわ、迷惑なヤツ。結婚相手探しに入社すんなよな」
「そ、そーゆーわけじゃないし!」
慌てて共働きがどうとか、貯金がどうとか語り出したサキコを佳佑がハイハイと宥めながら、話はゼミやインターン、就活の方へ向かっていった。
どれくらい話しただろうか。
「遅れてごめん」
しばらくして、タクヤがドリンクを持って階段を上がってきた。
「タクヤぁぁ〜大人になりたくないよぉぉ〜〜」
現実的な話をし続けて涙目のサキコが、タクヤに泣きつく。
ほぼ自分で勝手に妄想し、勝手に家庭を築くシミュレーションをして、生活費やらお給料やらを簡単に試算して涙目になっていただけだが。人生は世知辛い。
そんな彼女の顔を覗き込んで、タクヤは微笑んでみせる。
「あれ、サキコ今日めちゃくちゃカワイイじゃん」
「え、そう? でしょでしょ」
その一言でサキコはコロッとご機嫌だ。
タクヤは苦笑して目線を移す。彼女の後ろには、可愛らしく座って微笑む、スカートを履いた女の姿の佳佑がいた。
「おぉ……佳佑。やっぱめっちゃカワイーわ、ヤバイ」
「きっしょ」
昔にも見られていた気恥ずかしさからか、なんとなく気まずくて悪態を吐くと、タクヤが困ったように首の後ろを掻いた。
その様子を見て、サキコは目を丸くする。
「あれー、タクヤは見たことあったんだ?」
驚かないということはそういうことだろうと尋ねれば、ふたりは顔を見合わせて頷く。
「昔、ちょっとね」
「なにそれ意味深。あーわかった、女と勘違いしたタクヤにナンパされたとか、惚れられちゃったとか!?」
冗談のつもりで茶化すように言うと、ふたりはちょっとだけ真顔になった。特に佳佑は、何か隠していると思いっきり顔に出る。
「いや、俺、女に興味ねぇから」
サキコが口を開こうとした瞬間、すかさずタクヤが言い放った。
「え……えっ? あれ…………?」
興味ないとはどういうことだろう。
女がそんなに好きではない? でも佳佑は本当は男だから、いや、それは関係あるのか?
でもこのタイミングで、このふたりの表情。きっと表面的で単純な意味じゃなくて……もしかして?
さすがに驚いて言葉を失うと、「いいのかよ……」と複雑な顔で彼を見る佳佑。しかしタクヤは涼しい顔をしている。
「女に興味ないって言っただけじゃん。どうぞ、皆に言ってもいいよ?」
「しないよ!」
そんなこと、しない。
サキコだって色々と考えて、思うところがあった。
今まで、自暴自棄ともいえる彼女の人生は、自己顕示欲と承認欲求という、決して充たされることのない病に犯されていた。
「みんな」という集合体の中で、「自分」だけを見て欲しい。だけど「普通」の範疇は外れたくない。
「普通」の中で、外れた人々を笑いながら、その中で崇拝される「特別」になりたいと願った。
愛されたい。注目されて、必要とされたい。
あたしがいなきゃ、だめだって言ってよ。
どうしてそんな風になっちゃったのか。かつて恋人にこっぴどく振られて捨てられたことが、トラウマになっているのかもしれない。
だけど、正面から、そんな自分を嫌いだと罵る人が現れた。
その人はとてもカッコよくて、綺麗で、どうしようもなく惹かれた。彼が欲しい。
純粋に好きになっていたのに、カッコいいから、皆に自慢できるから、そんな風に気持ちを誤摩化して、優位に立ったように見せかけたくて、わけがわからなくなった。
拒否されるたび、自分は悪くない、失礼なやつ、絶対認めさせてやる、自慢してやる、そんな風に意地になって、更に気持ちが行方不明になった。
だから、見落としてしまったんだ。
自分がなんで彼を好きなのか。どうして「特別」になりたかったのか。
「普通」でないことがバレて意気消沈する彼を見て、とても後悔した。
後悔したのに、自分が認められない免罪符のように、彼の秘密を使った。
あたしは卑怯だ。
「普通」かどうかなんて関係なく、あたしは彼が好きなのに。
今は、ちゃんとわかっている。
「みんな」の「特別」には、どうやったってなれない。
だけど、「誰か」の「特別」には、きっとなれる。
それは「普通」かどうかなんて、関係ないんだ。
恋人じゃなくたって、家族じゃなくたって、「特別」になれる。
そう、例えば、友達なら────。
「あたしだって、ふたりのこと、ちゃんと友達だと思ってるんだからね!」
真剣にふたりを見つめ、怒ったように声をあげると、彼らは目を合わせて「悪かった」と謝り笑った。
試すような言葉だったとしても、タクヤが秘密を教えてくれたことが、サキコは嬉しく、少しだけ誇らしかった。
調子に乗ってフフンと鼻息を吐くと、慰謝料として佳佑のポテトを奪い、口に運ぶ。
「しかしなー、もったいないなぁ。あたしはこんなにカワイくて、けーすけもタクヤもいい男なのに……あたしたちの間には、何も生まれない」
あたしはこんなに魅力的なのに、ともう一度強調してボヤくと、ふたりはやや呆れ顔で笑う。
「だからいいんだろ」
「ん。気楽だわ」
どうでも良さげに言ってジュースを啜る彼らを、サキコは愛おしく思う。
願わくば、この関係が、ずっと変わりませんように。
「……で、どういうことなの? ふたりは知り合いだった?」
「あぁ、忘れてなかったのか」
「当たり前でしょ! さあ、説明して!」
サキコの勢いに負けて、タクヤが当時を思い出すように、宙空に視線を彷徨わせ口を開く。
「あの時は、高2の秋の文化祭、だったかな────」




