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もう一歩踏み出して

「……ごめん」


 結局、謝ったのは佳佑の方からだった。

 すっかり寝る準備をして布団を2組敷いていた矢子の元へ、風呂上がりの佳佑が項垂れながらやってきて言った。


「誕生日、大嫌いなんだ。できれば思い出したくない。気付かずに過ごしたい。だから知られたくなかったんだ」


 誕生日を知られないなんて無理だってわかってるけど、と呟く。


「怒って誤摩化しても無駄なのにね。嫌な思いさせてごめんなさい」


 しおらしく頭を下げ、敷いたばかりの布団の上に正座した佳佑を、矢子は向かい合って座りながらじっと見つめる。


 こちらから声をかけて、どうしたのと尋ねようかと思った。

 けれど、矢子はそれをしなかった。

 佳佑には聞かれたくない事が山のようにあって、自分の気持ちがうまく説明できない事もたくさんあるのが理解できるからだ。


 そのひとつひとつを、わざわざ紐解きはしない。

 お互いのトラウマを突かぬよう、『今』と『未来』の話はするけれど、『過去』には必要以上に触れないようにしていた。


 今まで、何回か過去を話した事はある。

 けれど一方的な語りは牽制のようで、話し合いではなかった。さらりと表面を撫で、気持ちまで深くは語り合っていない。


 もし次にそういう話をするのなら、矢子は佳佑に、自分をもっと知って欲しいから話したい。

 佳佑はどうだろう?


 謝った事で、「この話はおしまい」にしたい彼の空気を感じる。

 やめるのが優しさだろうと思う。だけど、矢子は違う結末が欲しかった。


「……どうして、誕生日が嫌いなんです?」


 矢子の質問に、佳佑は驚き、そしてちょっと嫌な顔をした。

 けれど矢子は引かなかった。

 まっすぐに彼を見つめたまま、少しだけ大きく息を吸い込む。


「私は、火事になる前の家族には、きっと普通の子供みたいに誕生日を祝ってもらっていたと思う。おばあちゃんにも、お祝いはしてもらっていました。プレゼントは幼児用のおもちゃでしたが、それでも、嬉しくないわけではなかった」


 淡々と語り出した矢子に、佳佑は顔を歪めた。


「その後の児童養護施設と、引き取られた遠い親戚のお家、どちらも一応のお祝いはありました。ケーキなんかはありませんでしたが、言葉だけでも、嬉しかった」

「……それで」


 一旦、言葉を止めた矢子に、佳佑が刺々しい口調で尋ねる。


「それで、お祝いはするものだって言いたいの?」

「違います」


 攻撃的な佳佑を落ち着けるように、ゆっくりと首を振る。


「悲しさや悔しさを、飲み込んでほしくないんです。私は、お祝いされて、嬉しかった。……でも、普通でないことが辛かった。本当は辛かったんだと思う」


 先に自分の事を話すことが、少々卑怯なのはわかっていた。私が話したのだからあなたも、そんな不器用な促し方しか出来ない。

 目を伏せてまつ毛を数度、瞬かせると、矢子は呟くように尋ねる。


「ご家族と、過去に嫌な事があったんですね」


 しばしの沈黙の後、佳佑が「知りたい?」と訊いた。

 矢子はしっかりと頷いた。頷いて、


「知りたい。佳佑さんのこと、ぜんぶ」


 身を乗り出し、そっと佳佑の手に触れた。硬く握られた風呂上がりの彼の手は、少しふやけて温かい。


「ぜんぶかぁ……オレだって矢子さんの全部を知りたいよ。だけど、きっとそれは無理だよね」


 苦笑しながら足を崩し、矢子の手を握り返す。すり、と指先で擦ると、矢子はその指を撫で返した。


「今と重なったところだけでいいんです。だって、嫌な思い出はそのままにしたら、きっと一生そのままだもの」


 必要以上に踏み込まないことが、ずっと正しいと思っていた。お互いがそれを心地よく思い、安定を得られていた。

 だけど、いつか気付かずに傷つけてしまうくらいなら、今、踏み込んで壊したい。

 傷つけて壊して、また作り直せる。

 そうやって繰り返しても無くならないくらいには、お互いをかけがえなく思っているはずだから。


「私、過去の佳佑さんを抱きしめたい。偉そうな物言いですけれど、小さい頃の佳佑さんも、一緒に愛せたらって思うの。気付かないふりをするんじゃなくて、悲しかったけど、でもこれからは違うよねって、嫌な思いをしたぶんも、一緒にお祝いして全部塗り替えたい」


 可能ならば、佳佑を子宮の中に仕舞い込んで産みなおし、赤子から自分の手で育てたいくらいだった。

 そんなことを言ったら頭がおかしいと思われるのはわかっていたが、出来ることなら、生まれてから彼が享受するはずだった喜びや幸せを、自分が与えてあげたかった。


 馬鹿な妄想なのはわかっている。

 だから、過去を分け合って共有することで、何かを変えたかった。まるで小さい頃からずっと一緒だったように、彼の心の中に棲みたい。


「我儘でしょうか……」


 俯いた矢子に、佳佑は戸惑いながらも首を振った。

 この子はとんでもない。愛情深くて、不器用で、変で、だけど同じだけ自分も返したくなるような、とんでもない人だ。


「ぜんぜん、全然、我儘じゃない、嬉しいよ。ありがとう」


 そして握っていた手を引いて矢子を胸に抱きとめると、今度こそ、彼女の唇に甘く甘くキスをした。




「誕生日が嫌いな理由はいくつかあるよ。まず、オレは生まれたことをずっと後悔してきた。だから世界で一番いらない日だと思ってた」


 布団に入って横になり、電気を常夜灯に切り替えると、薄暗い中で佳佑がボソボソと話し出した。

 落ち着いた声は、もはや怒りも悲しみもない。どこか他人事みたいに、遠い目で昔話をはじめる。


「母さんにとっても、きっと嫌な日だったんだと思う。オレなんかが産まれて、ガッカリして、愛せなくて、そういう苦しみの生まれた日だ」


 淡々と語る彼を、矢子は横で寝転がり黙って見守っている。


「誕生日ってさ、プレゼントくれるじゃん? だけどウチじゃ、オレ以外がプレゼントもらったり、ケーキ食べたりする日だったんだよね」


 自分の誕生日に、両親はいつも何かを買ってきた。

 ケーキや梱包されたプレゼントの箱を見せられれば、幼い佳佑は期待する。

 目を輝かせた佳佑を尻目に、彼らは笑いながらケーキを食べ、たまたま買ってきただけだと言って妹へ箱を渡した。

 嫌がらせだった。

 普段は空気みたいな扱いなのに、その日だけは確実に存在して、明確に邪険にされた。


「バカだから、毎回期待しちゃうんだよね。わかってるのに、頭ではわかってるんだ。けど、もしかしたら、今回こそは、って。何かの間違いでお祝いしてくれたらいいって、ずっと願ってて」


 顔に出さないようにしても、元々性格が素直なのだろう。すぐに見破られ、きっと面白がられていた。

 そして期待させ、落とされる。

 その繰り返しに、一年で一番、揺さぶられるのだ。


 けれど佳佑を意識したその行動に、どんなに蔑ろにされても、彼は少しだけ嬉しく思ってしまう。明らかに佳佑がいなければ成り立たない嫌がらせは、彼の存在を認める唯一の儀式だった。


 なんて馬鹿なんだろう。なんて愚かなんだろう。

 わかっていながら、それを受け入れ続けた。今も残り香のように、淡く期待する気持ちがなくならない。

 その一日が終われば、何事もなくてよかったと思い、何事もなかったと落ち込む。


「誕生日なんて存在しないと思った方が、ずっとマシ。ねえ、酷いと思わない? オレはきっと怒っていいよね」


 聞かずとも、もちろん怒っていいはずだと、矢子は思った。

 けれど、佳佑にとっては、怒っていいのかさえよくわからないほど沈み込む出来事なのかもしれない。どうしていいのかわからない感情を、ぐっと押し込めているみたいに。


 前から思ってはいたが、彼は怒るのが下手だ。

 今だって、話しながら怒っているはずなのに、怒りたいはずなのに、どう見ても意気消沈している。口を尖らせて拗ねてはいるが、怒りは感じられなかった。


「ほんとうに、酷いお話ですね!」


 だから、代わりに矢子が怒ってみた。

 思い切りムッとした顔を作り、精一杯怒りを込めてそう言った。

 佳佑はぎょっとして矢子を振り返る。


「え、どしたの?」

「怒っています! すごく、たくさんです!」

「……ほんとに?」

「本当です。私の可愛い佳佑さんに、なんて酷いことを。許せません!」


 フンと荒々しく鼻息を吐いた矢子を、佳佑は奇妙なものでも見るような顔で覗き込み────


「……ぶはっ」


 思わず、吹き出した。

 何やってるんだろう、この人。突拍子もない矢子の言動のシュールさに、枕に顔を埋めてしばらく震えるようにくすくすと笑う。


 本当に怒った時の彼女は、もっと恐いことを彼は知っていた。

 だからこの下手糞な演技は、自分のためにしているのだろう。なぜだかはわからないけれど。


「ねえ、可愛すぎるんですけど」

「何がです?」

「矢子さん」

「はい……?」


 可愛いことなど何もしていない。意味が分からず首を傾げると、佳佑はまだ少し笑いながら仰向けに寝返りをうった。


「なーんか、どうでもよくなっちゃった」


 ずっと悩んできたことなのに、話したら、途端に小さくてどうでもいい悩みのような気がしてきた。

 さっきまでの鬱々とした気持ちが嘘みたいに晴れていくのがおかしかった。


「共感がいいって本当なんですね」


 と矢子も笑いながら言ってひっくり返る。


「なにそれ、またテレビかネットの情報?」

「そうです。一緒に怒ったり泣いたりするのが、なんかいいらしいです」

「ふわっふわだね、その話」

「とても眠かったので、話半分でした……」


 矢子が恥ずかしそうに言うと、佳佑はまた笑った。

 たぶん他の人にああやって共感したフリをしてみても、気持ちを晴れさせることは出来ないだろうと思う。だけど、佳佑にとって矢子だから効く、そういうものがある。


「矢子さんの情報源っていつもしょーもないよね」

「しょーもないとは、失礼な」


 さすがにムッとした矢子に、腹を抱えて笑いながら「だって。いや、そこが面白いんだけど」と弁解する。


「なんだか何気ないなって。テレビみたり眠くなったり、人生って、何気ない毎日で構成されてるんだなって」

「そうですか? 私は特別ですよ。佳佑さんといられる毎日は、何もかもが、ずっと特別」


 微笑みながら佳佑の目を見つめ、さらりと言う。

 それがなんだかとても恥ずかしくて、佳佑は顔を赤くして「う、うわあー」という無意味な叫び声をあげて悶絶した。


「どうしてそんなに愛しいの? 可愛いの?」

「……知りません」


 足をバタバタしながら両手で顔を覆って叫ぶと、矢子は呆れたように答えた。

 自分も相当だという自覚はあるが、彼もまた、初めての恋人に対しての愛情が有り余って暴走気味だった。何かにつけイチャイチャしすぎている。


「オレがもしチーズだったら溶けてグニャグニャになってるよ。人間でよかった!」

「わけがわかりません。佳佑さんがチーズだったら、パンに乗っけてトーストにして食べます」

「あー、美味しそう。外は焦げ目がついてて中がトロトロのチーズ、食べたい。朝食はそうする?」

「いいですね。ハムも乗せましょう」

「わぁ、楽しみになってきた」


 そこから話題は、直火式のホットサンドメーカーが欲しいとか、ピザトーストにしてみようとか、朝食ネタでひと通り盛り上がる。

 そして今まで食べてきた朝食、子供の頃に好きだった食べ物、学校給食の話へと発展していって、学校でどう過ごしてきたか、何が辛かったか、などの、今まで触れてこなかった思い出にやんわりと触れていった。


 リラックスして吐き出しながら、時に涙ぐんで、時に笑って、そうそう、あるある、などと盛り上がることで、ふたりの中で何かが流れ出していくのがわかった。


 ひとりぼっちだった思い出の中に、その時にまるで相手が近くにいてくれていたような、そんな感覚を覚えた。

 あの時の悲しみや辛さを、確かに見てくれていた。知ってくれているだけで、そう思えた。


「ああ、そうだ。忘れるところでした!」


 ひと息ついたところで、矢子が急に起き上がって手を叩いた。

 何事かと首を傾げながら佳佑も体を起こすと、


「トラウマは、解消しなければ治らないそうですよ」


 矢子はにっこりと微笑みながら、「はい」と言って両手をひろげる。


 佳佑はわけもわからず、だが素直に抱きついた。

 ぎゅうと力を入れると、矢子は背中や髪をぽんぽんと優しく叩きながら、ほっぺたをくっつけて唇を佳佑の耳に寄せる。


「お誕生日おめでとうございます。生まれてきてくれて、ありがとう。あなたに会えて本当によかった」


 その言葉はあたたかくて、なぜだかとても沁みた。

 佳佑は矢子にしがみ付くようにして強く抱きしめた。出会えたことが、今こうしていられることが、何より嬉しかった。


「……うん……うん。オレも。生まれてきてよかったって、今は思うよ」


 間違いなく、今はそう思ってる。

 思わせてくれてありがとう。


 佳佑は鼻先で矢子の耳朶をつつき、髪に顔を埋めて生え際に何度も柔らかくキスを落とす。矢子はくすぐったそうに身をよじった。


「ねえ、お誕生日会、しませんか」


 くすぐったさに少し笑いながら提案すると、佳佑は首筋に口付けながら、「いいよ、しよう。思い切りもてなして」と囁く。


「忘れられない、盛大なお祝いにしてみせます」

「楽しみにしてる」


 お祭りでも始めるような言葉にくすりと笑いながら、佳佑は矢子にキスしようと唇を彷徨わせた。

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