種を蒔こう、君と
佳佑が大学を歩いていると、背後からからかうような嘲笑が聞こえてくる事がある。
それに少しだけ顔をしかめつつ、聞こえない振りをする。
いちいち気にするほどヤワじゃない。……だけど、傷つく。
「けーすけっ!」
「わっ!?」
突然、背後から腕を掴まれた。
振り向けば、サキコが佳佑の腕にしがみついている。
「うわっ、なんだお前かよ〜」
「なによ、失礼ね」
佳佑が舌打ちしてみせると、サキコが笑いながらむくれた。
それが冗談であることが、お互いに理解できる。
佳佑はもう以前のようにサキコを邪険にはしなかったし、サキコももう、佳佑に無理矢理シナを作って接する事はない。
「モッチーがごめんね?」
「……モッチー?」
きょとんとして尋ねれば、サキコが気まずそうに笑う。
「戸田望。──あいつ、あたしが謝れば許してくれるってテキトー言ったの信じて、突撃しに行ったんだよ」
「え……」
そう言えば、噂を流すきっかけになったのが戸田望なら、流していたサキコと彼に交流があるのは当然だった。
サキちゃん────戸田望の言葉が思い出される。
では、クリスマスの暴挙はコイツの仕業か。
「すげぇ迷惑したんだけど……」
「ごめんって」
「許す気ないし。戸田望も、お前も」
ぷいとそっぽを向けば、サキコはもう一度「ごめんなさい」と呟いた。
「モッチーはさ、昔、女の子にいじめられてたんだって。怖いからってずっと逃げてんだよ、あの年になっても。で、逃げた先でみっけたのが理想の女の子」
佳佑はサキコと腕を組んだまま、彼女を見ずに歩く。サキコも、佳佑を見ずに前を向く。
ふたりは大学の門へ続く並木道を、淡々と歩いた。
「あたしらが囲んで、何の用事か無理に聞いて、けーすけのこと吐かせたの。で、友達だって言ったらさ、色々教えてくれて────モッチーはさ、ずっと言ってたんだよ、ユカに女友達がいてよかった、あいつ大人とばっかりいるから、本当によかった、って」
「…………」
「モッチーさ、他のオッサンが手を出さないようにしてたんだって。ひとりで駆けずり回って、でもあんたは気付いてなくて嫌われて。馬鹿だよね。エキセントリックだよね。笑っちゃう」
サキコが少しだけ力を入れて、佳佑の腕を握った。
「最初はさ、けーすけどんだけ愛されてんの、どんだけ誑かしてんのって思ってた。だけど違うね。キモイし、アリエナイけど、本気で愛されてんだと思ったの。モッチーが可哀想だとおもったし、足りないって思った。足りないところが、あたしと同じ……」
そこまで言って、サキコは口籠ると俯いた。
佳佑は彼女を見なかった。見てしまったらきっと同情してしまう。
「……オレ、どんなにしてもらっても、戸田望のこと嫌いだよ。そんな話、聞きたくもない」
嫌いだ。それは事実。
でも──彼は、足りない。それは自分とも同じだと思った。
もう関わる事はない、関わりたくないけれど、きっとどこかで繋がっている、そうも思った。
「うん。それでいーんだよ。あんたはそれでいい。けど、言いたいのはそうじゃなくて」
ふいにサキコが佳佑の腕を放し、彼の前に立った。
少し困ったように眉を寄せて、マスカラがダマになった睫毛を瞬かせて、濃い色の口紅を塗った唇を一度震わせると、大きく息を吸って、吐く。
そしてまっすぐに佳佑を見つめると、
「あたし、けーすけのこと好きだった」
微笑みながら言った。
「執着したり、自分の中でこんがらがっておかしなことになってたけど、ちゃんと好きだった。あたしのこと、否定して欲しかった。それでいつか、認めて欲しかったの」
サキコの言葉と視線を、佳佑は真っ向から受け止める。
受け止めて拒否することが、自分にできる精一杯だと思った。
「…………ごめん」
「いいよ、もうずっと前に振られてるじゃん。彼女できたんでしょ?」
カラリと言って、笑う。申し訳ないという気持ちと、自分ではどうすることも出来ない事実に、胸が少しだけ痛んだ。
「ねえ、今度、メイク教えて」
「え?」
唐突に、サキコが言って歩き出す。佳佑も横に並んだ。
「写真見たけど、すっごい可愛かったし。あんた才能あるよ」
「あ……ありがと」
「友達なろ。女友達」
「うん」
佳佑がはにかんで笑うと、サキコは嬉しそうに満面の笑みを見せた。
女友達。男女の友達とはまた違った形の友情が、きっと生まれる。育んでいける。
ふたりは笑い合いながらそう思う。
と────ふいに背中をポンと叩かれる。
「告白タイムは終わりましたかー?」
「タクヤ」
振り返ると、タクヤが笑っていた。「けーすけ、浮気はだめだぞ」などと冷やかしながら、彼はサキコの横に並ぶ。
「終わった終わったよ、スッキリよ」
「んなら、よかったな」
そう言ってタクヤはサキコの頭をくしゃくしゃに撫でた。「崩れるからやめて!」と怒って叩くマネをする彼女から、ひょいと逃げる。
軽く追いかけっこのようなふざけ合いを始めたふたりを、佳佑は笑って見ていた────と、その時。
視界の端に、見慣れた人物の影が映った。
「──────えっ」
それは艶やかな黒髪と凛とした立ち姿の女性。
佳佑が今、一番会いたい人。
矢子さん?
いや、こんなところにいるわけが……それに、格好もなんだか違うし。
だけど、彼女の姿を、自分が見紛う筈はない。
可愛らしいスカートを履いて、綺麗な黒髪をゆるく巻いて下ろした彼女は、まるで別人だ。元々姿勢の良い彼女は、遠目でもその美しさがわかる。ずっと磨かれる事がなかった女性としての煌めきが、今、そこにあるのがわかる。
ふいにピタリと立ち止まり、門を凝視して固まっている佳佑を不審に思ったタクヤとサキコが、顔を見合わせた。
そして視線の先を追い、納得したように頷く。
「お迎えとかお熱いよねぇ……」
「さっさと行け、女を待たすな」
ふたりに背中を思い切り叩かれて、佳佑がよろめく。
「イタッ、痛いって、ちょっと強すぎない?!」
「お仕置き」
「天誅」
「……オレなんかした?」
不満げに口を尖らせて肩を擦る佳佑を、笑って見送る。
彼はちょっとだけ挙動不審にギクシャクと、門の傍で待つ彼女の元へ歩いていく。
「やだなあ、あたし、時間が戻ったらいいのにって思ってる」
佳佑の背中を見送りながら、サキコが呟いた。
バカな事をしでかさずに、正面から好きだと言っていたらどうなっただろう。ただ普通に、彼を追いかけていたらどうなっていただろうか。
「ねーわかる? 人に歴史ありだよ。モッチーにも、あんたらにも、あたしにも、誰にだって、今がなんでそうなのか、理由があって、つながって生きてんの。だから今日は、明日につながってんの。わかる?」
だから、後悔しても仕方がない。
繋がりの連続、その結果が今日。それだけだ。
「……わかるよ」
その瞳に涙が滲んでいるのを見ないふりして、タクヤは彼女の肩を抱いた。
・
・
・
──────矢子さん。
「矢子さん……!」
佳佑の歩みは自然と早くなり、いつの間にか駆けていた。
息を切らせ足を縺れさせながら名を呼ぶと、彼女は驚いたように目を見開いて佳佑を見た。
「佳佑さん!」
声をあげた矢子に、突撃するような勢いで、佳佑が抱きつく。
ぎゅうと思い切り抱きすくめ、肩に顔を埋めた。
「なんで、なんでここに、それにその格好、なんで? どうして?」
呼吸を整えながら、矢継ぎ早に質問する。その言葉のほとんどが、「なんで?」という語彙の少なさに、矢子は混乱ぶりを感じて微笑んだ。
「ふふ……びっくりしました?」
「したよ! すごく!」
「じゃあ、ドッキリ大成功、ですね」
くすくすと笑うと、いつぞやの仕返しかと、佳佑が複雑な顔をしながら体を離して矢子の顔を見た。
丁寧に化粧を施された肌は煌めき、色味を加えられて艶やかさを増した彼女の顔は、いつもより一層美しい。
「すごく綺麗。どうしたのそれ」
「橋本さんに教えてもらって……佳佑さんの恋人として相応しい格好で、横に並びたかったから」
照れながら微笑んで、目を伏せる。矢子の胸元で、プレゼントのネックレスが日の光を浴びてキラリと輝いた。
そのいじらしさに、佳佑の胸がぎゅっと詰まる。
「そんなの、気にしなくっていいのに。どんな格好だっていいのに。恋人になってくれるなら、なんだっていいのに」
「違うの。違うんです、私がそうしたかったの。私が、胸を張る為に」
しっかりと意志のある瞳で佳佑を見つめる。
その強さに、佳佑は目を細めた。
「なんか、変わった?」
「ええ」
頷いて、微笑む。
柔らかくたおやかな笑顔に、目を奪われる。
「私、あなたが好き。佳佑さんもユカちゃんも、どっちも、ぜんぶ、あなたが好き。あなたという存在が」
「矢子さん……」
会ってみれば、気持ちは自然と口をついて溢れ出した。
何も恥ずかしい事なんてない、難しい事なんてない。ただ、感じる。好きだという気持ちを。
佳佑は顔を赤くして涙ぐむと、嬉しそうに笑う。
佳佑という存在は、女装子とか、変態とか、男とか大学生とか、いくらでも形容できるのに、佳佑そのものを表す言葉はない。それはユカを内包しているからではなくて、矢子だって同じ。矢子というものを表す言葉もない。
たとえ名前を変えたって、私は私だ。
この人の存在自体が好き。
そう確信すればするほど、胸が熱くなる。
こんな所で泣くわけにはいくまいと、必死で堪える。顔をくしゃくしゃにして、込み上げるものを我慢した。少しでも気を緩めると、溢れ出してしまいそうで。
「抱きしめてください」
肩に手をかけて、矢子が言う。
佳佑は言われるまま抱きしめた。背中に手を回し、一ミリの隙間も許さない勢いで、体中で抱きしめた。
矢子の体温が上がっているのを感じて、胸が高鳴る。
「キスも、してください」
矢子が耳元で囁くと、佳佑が驚いて、腰を抱いたまま上体を離し彼女の顔を覗き込む。
「……今、ここで?」
「ええ、だって、そうしないと恋人だって思われないもの。誤解が解けないわ」
その言葉で、佳佑はなぜ矢子がここへ来てくれたのか、一瞬で理解した。
自分の為に、努力して、こういうの好きじゃないだろうに、きっと無理をして来てくれたんだ。そう思ったら愛おしくて堪らなかった。
「大丈夫だと思うな。だってオレ、今、過去最高にニヤケてるもん……」
こんなデレッデレの顔、好きな人以外にしないでしょ? そう言って、本当にこの上なく破顔しながら、唇を寄せる。
ポケットの中で、しばらく静かだった佳佑の携帯が絶え間なく震えていた。
しかし、佳佑には携帯を見る暇なんてない。
キスをして、手を繋いで、今日は久しぶりに矢子の部屋でふたりきりで過ごそう。
温かいハーブティーを飲んで、アロマを焚いて────。




