第4話:あなたの声が、わたくしの言葉に
(よし、行くぞ)
俺は、アルマは、決意と共に再びその一歩を踏み出した。
ガコン、という無骨な金属音が、薄暗いダンジョンに響き渡る。
さっきまでの絶望に満ちた音とは違う。そこには、不格好でも前に進むという、確かな意志が込められていた。
鎧の中から、リリアの安堵したような気配が伝わってくる。
彼女の魂の温もりが、まるで高性能な潤滑油のように、錆びついた俺の関節を満たしていく。
(しかし、まあ、なんだ)
一歩、また一歩と、ぎこちなく歩みを進めながら、俺は早速、新たな問題に直面していた。
(……静かすぎないか?)
いや、静かなのはいいことだ。
魔物に遭遇するよりはずっといい。
問題はそこじゃない。
俺たちの間に、会話というものが一切ないのだ。
さっきはあれだけドラマチックに心が通じ合った(気がする)のに、いざ歩き出してみると、シーン……である。
(気まずい!
めちゃくちゃ気まずいぞこれ!)
前世だったら、こういう時どうしてただろう。
天気の話でもするか?
「いやー、今日もいい天気ですねー」って、ダンジョンの中で?
アホか。
そもそも俺には口がないし、リリアは俺の思考を一方的に感じ取れるわけでもないらしい。
さっきのやり取りは、あくまで感情の昂りによる特殊なケースだったのだろう。
俺の魂と彼女の魂は、いわば同じPCケースに収まったCPUとグラフィックボードみたいなものか。
連携して動くことはできるが、直接おしゃべりする機能はない、と。
なんてこった。致命的な設計ミスだ。
「アルマ、その……先ほどは、ありがとうございます。
あなたの勇気に、わたくしは救われました」
不意に、鎧の中からリリアの澄んだ声が響いた。
その声は、まるで精密機械が奏でる音色のように、俺の魂に直接届く。
(いやいや、俺の方こそありがとうだ。
君がいなけりゃ、俺は今もただの鉄クズだった)
そう、心の底から思った。
めちゃくちゃ感謝している。
なんなら五体投地……は無理だから、とりあえず片膝ついて騎士っぽく礼をしたいレベルで。
だが、その感謝を伝える術がない。
俺にできるのは、とりあえずコクコクと兜(にあたる部分)を上下に動かすことだけ。
「……!」
リリアが息を呑む気配がした。
どうやら、俺の意図は伝わったらしい。
よかった。
完全にコミュニケーション不能というわけではなさそうだ。
(でも、これじゃラチがあかないよな……。
イエス・ノーで答えられる質問ならともかく、複雑な話は一切できないぞ)
例えば、目の前に分かれ道が現れたらどうする?
整備士の勘で「(右の通路は空気が淀んでいる。換気構造に問題があるか、行き止まりの可能性が高い。左だ!)」と判断したとして、それをどうやってリリアに伝える?
鉄の腕で左を指し示す?
残念ながら、まだそんな器用な真似はできそうにない。
せいぜい、左に体重をかけて身体ごと傾くくらいか。
完全に不審者、いや不審鎧だ。
そんなことを考えていると、まさにその通りの状況がやってきた。
目の前に、二つの通路が黒い口を開けている。
右と、左。
俺は即座に、両方の通路の入口付近の壁や床の構造、空気の流れを分析しようと試みた。
これはもう前世からの癖みたいなものだ。
車の異音を聞き分けたり、オイルの滲みから故障箇所を特定したりするのと同じ感覚。
(右の通路は、床の石畳の摩耗が少ない。
壁の苔の生え方も均一じゃない。
こっちはあまり使われていない通路か、あるいは罠があるか……。
それに比べて左は、床がすり減っていて、壁には何かを引きずったような跡がある。
こっちが正規ルートの可能性が高い)
完璧だ。
俺の分析眼、錆びついてないぜ。
問題は、この完璧な分析結果をどうやってリリアにプレゼンするかだ。
(左! 左だって! レフト! Lの方! 分かる!?)
俺は必死に、左に行きたいという念を送りながら、身体をぐいーっと左に傾けた。
ミシミシ、と鎧が悲鳴を上げる。
「アルマ?
どうかされましたの?
なんだか……左に傾いて……。
もしかして、どこかお身体の具合が……?」
(違う! そうじゃない!)
伝わらない。全然伝わらない。
むしろ、ポンコツ鎧のバランスが崩れてぶっ倒れそうになっている、みたいに思われている!
なんてこった。
これじゃ、ただの酔っ払いだ。
(ああもう、もどかしい!
テレパシー! なんでファンタジーの定番、テレパシーが使えないんだよ!
せめてモールス信号みたいに、指をカチカチ鳴らせるとか……って指も動かないんだった!)
俺が内心で盛大にパニックを起こしていると、鎧の中からリリアの困惑したような、それでいて何かを探るような気配が伝わってきた。
「アルマ……。
あなたの心の中から、強い『想い』のようなものが……奔流となってわたくしの中に流れ込んでくるのを感じます……。
『ひだり』……?『ぶんせき』……?」
(え?)
思わず、俺の思考が停止する。
リリアが、俺の内心の言葉を断片的に拾っている?
「とても、もどかしいのですね……。
何かを伝えたいのに、言葉にできない……。
その焦りが、わたくしの魂を揺さぶります」
リリアの声は真剣だった。
彼女は、俺の混乱を必死に理解しようとしてくれている。
そうだ。
俺たちが動けるのは、魂が共鳴しているからだ。
だったら、俺の強い意志や思考が、彼女に伝わってもおかしくないんじゃないか?
(そうだ、リリア! 聞こえるか!?
俺の心の声が!
左の通路が正解だと思うんだ! 根拠は……)
俺は、先ほどの分析結果を、できるだけ具体的に、順序立てて、強く、強く念じた。
それはもう、祈りに近かった。
すると、リリアはしばらく沈黙した後、驚きに満ちた声で言った。
「……『右の通路は構造的に不自然で、左の通路には生物が頻繁に通った形跡がある』……。
アルマ、今、あなたの思考が、まるで設計図のように鮮明にわたくしの心に映し出されました……!」
(通じた!
マジか! 通じたぞ!)
俺は感動のあまり、鉄の身体が震えるのを感じた。
まるで、何年も繋がらなかったWi-Fiが、突如として爆速で開通した時のような感動だ!
これで意思が通じる!
「すごい……。
あなたの思考は、とても論理的で、精密なのですね。
まるで、熟練の職人が物の理を見抜くように……」
リリアが感心したように呟く。
(それほどでも、ある!
なんたって元自動車整備士だからな!
機械のことなら任せとけ!)
俺は調子に乗って、胸を張るようなイメージを送った。
もちろん、物理的に胸を張ることはできないが。
「ふふっ。伝わりましたわ。
とても誇らしげな気持ちが。
……素晴らしいです、アルマ。
これなら、わたくしたちはもっと深く、心を通わせることができますね」
リリアの魂から、花が咲くような喜びの感情が伝わってくる。
そして彼女は、確信に満ちた声で、こう提案した。
「アルマ。
わたくしに、あなたの『声』になることを、正式にお許しいただけますか?
あなたが考えたことを、わたくしが言葉としてこの世界に紡ぎます。
わたくしたち二人で、一つの『騎士』となるために」
(……許すも何も、こっちからお願いしたいくらいだ!)
俺は、力強く、何度も頷いた。
ガコン、ガコン、と兜が揺れる。
「ありがとうございます。
わたくしの、たった一人の騎士様」
リリアの言葉が、温かい光となって俺の魂を満たす。
こうして、俺たち……アルマとリリアの、真のコミュニケーション方法が確立された瞬間だった。
俺が思考し、分析する「頭脳」。
そして、リリアがその思考を読み取り、世界と対話する「声」。
一人では不完全な俺たちが、初めて二人で一つの存在になったのだ。
「では、改めて。
アルマ、あなたの分析通り、左の通路へ進みましょう」
(ああ、頼んだぜ、相棒!)
リリアが俺の思考を読み取り、ふふっと優しく微笑む気配がした。
「はい、お任せください、相棒様」
そのやり取りだけで、俺たちの間の気まずい沈黙は完全に消え去っていた。
意思の疎通ができる。
ただそれだけのことが、これほどまでに嬉しいなんて。
俺たちは、軽やかな足取りで左の通路へと進んでいった。
もう、迷うことはない。
たとえどんな困難が待ち受けていようと、二人でなら乗り越えられる。そんな根拠のない自信が湧いてくる。
しばらく進むと、通路の先に、今までとは違う気配が漂っているのを感じた。
ひんやりとした空気。
そして、微かに響く機械音のようなもの。
通路の突き当たり、壁の一部が崩れた場所があった。
その瓦礫の隙間から、奇妙なものが覗いている。
(なんだ……あれは?)
それは、石や土くれではなかった。
鈍い金属の光沢。規則正しく並んだリベット。そして、複雑に絡み合った、まるで配線のようなもの。
どう見ても、自然物じゃない。人工物だ。
それも、俺が前世で扱っていたどんな機械とも違う、未知の構造をしている。
俺の魂が、ざわめくのを感じた。
恐怖じゃない。これは、好奇心だ。
整備士としての、職人としての、どうしようもない探求心。
(もっと近くで見たい。
あの構造はどうなっているんだ? 動力源は?
何のために作られたんだ?)
次から次へと疑問が湧き上がってくる。
俺の思考が、目の前の未知の機械に集中していく。
その構造を、分解して、理解して、自分の知識として吸収したい。
そんな強烈な欲求が、魂の奥底から突き上げてくるのを感じた。
「アルマ……?
あなたの魂が、あの瓦礫の奥にあるものを、まるで解き明かしたいと……そう、叫んでいるようです。
あれは一体……?」
リリアの戸惑った声が、俺を我に返らせた。
俺は、自分が無意識のうちに、未知の機械に対して何か特殊なアプローチをしようとしていたことに、その時初めて気づいたのだった。




