第37話:新たな脚、新たな機動力
(間に合わせる!)
俺とリリアの魂が、最後の祈りを込めて叫んだ。
その声に応えるかのように、新たな脚部の骨格が、カチリ、と。
最後のパーツが収まるべき場所に収まり、完全な形を成した。
疾風狼の爪が、俺の兜を砕こうと迫る、その寸前。
果たして、俺たちの狂気の賭けは未来を掴むことができるのか。
それとも、全てを失うのか。
運命の女神が、ほほ笑むのは……。
――その刹那。
脳内に、これまでで最もクリアで力強いシステムメッセージが響き渡った。
《……脚部骨格換装、完了》
《機動力(AGI)が120%上昇》
その無機質な声は、俺たちの狂気の賭けが最高の形で成功したことを告げる祝砲だった。
疾風狼の爪が、俺の兜のバイザー部分を捉える。
もう、避けられない。
そう、今までの俺の身体なら。
――シュンッ!
俺の身体が、まるで陽炎のようにその場からかき消えた。
回避でも、跳躍でもない。
ただ、そこにあったはずの鉄の塊が、忽然と消えたのだ。
「ギィッ!?」
疾風狼の鋭い爪が、むなしく空を切る。
手応えのない全力の一撃は、その巨体を前のめりに大きくよろめかせた。
奴は信じられないというように目を見開き、獲物がいたはずの場所……
今はもう何もない空間を、呆然と見つめている。
(……すげぇ)
数メートル離れた場所で、俺は低くしゃがみこんだ姿勢のまま、自分の身体に起きた奇跡に魂を震わせていた。
今の動きは、俺の意思じゃない。
リリアの操縦でもない。
完成したばかりの新しい脚が、迫りくる危機に対して本能的に、そして最適に反応した結果だ。
俺は、ゆっくりと自分の脚に視線を落とした。
そこにあったのは、もはや以前の面影をとどめていない、全く新しい芸術品だった。
ロックリザードの甲殻で覆われた、重く無骨な鉄の塊はどこにもない。
代わりに、疾風狼の骨格から再構築された流線形で美しい銀白色のフレームが、俺の腰から下を形作っていた。
装甲の隙間からは、蜂の巣にも似た内部の骨組みがのぞいている。
それは、生物の脚というより最新鋭のレーシングマシンのサスペンションアームそのものだった。
(軽い……!
羽みたいに軽いぞ!)
魂の奥底から、喜びの叫びが湧き上がる。
ロックリザードの甲殻がもたらしていた、あの魂まで引きずり込むような重さが嘘のようだ。
まるで、身体の半分がごっそりとなくなったかのような、信じられないほどの軽さ。
俺は、その場で軽く膝を曲げ伸ばししてみた。
すると、どうだ。
(この感触……! 完璧だ!)
地面からの衝撃が、フレームに一切伝わってこない。
俺が脳内で描き出した究極のサスペンション理論。
その全てが、この脚部で完璧に再現されている。
関節部がしなやかに衝撃を吸収し、いなし、そして次の動きへのエネルギーとして蓄えているのが魂に直接伝わってくる。
「アルマ……
やりましたのね……!」
鎧の中から、リリアの弱々しくも安心に満ちた声が響く。
彼女の魂は、最後の魔改造の触媒となったことでかなり消耗しているようだった。
(ああ、やったぞ、リリア!
お前のおかげだ!
最高の接着剤だったぜ!)
俺が感謝を伝えると、彼女の魂からふふっと優しい笑みが返ってきた。
その温かさが、俺の魂をさらに強くする。
「グルルルルルッ!」
混乱から覚めた疾風狼が、今度は明確な怒りと殺意を込めてこちらへ向き直る。
獲物が消えたマジックの種も仕掛けも分からないが、今度こそ確実に息の根を止める。
その蒼い瞳が、そう告げていた。
奴が、再び地を蹴る。
銀色の弾丸が、砂ぼこりを巻き上げながら一直線に突進してくる。
さっきまでの俺なら、その速度にただ翻弄されるだけだっただろう。
だが。
(……もう、お前の独壇場じゃねえんだよ!)
俺は、疾風狼が俺に到達するのを待たない。
こちらもまた、生まれ変わった脚に霊素を込めて大地を蹴った。
――ズドンッ!
ガコン、という鈍い金属音はもうしない。
代わりに、空気が裂けるような鋭い破裂音が響き渡った。
俺の足元の岩盤が、その爆発的な瞬発力に耐えきれず蜘蛛の巣状に砕け散る。
俺の身体は、もはや重戦車ではなかった。
地を駆ける、一発の弾丸だ。
俺は、突進してくる疾風狼の横を並走するように駆け抜けた。
銀色の残像が、もう一つ。
俺の視界の端で、疾風狼の蒼い瞳が信じられないものを見るように、大きく、大きく見開かれるのが分かった。
(どうだ、狼野郎!
お前の自慢の足回りは、俺が最高のセッティングで乗りこなしてやるぜ!)
追いついた。
あの、絶望的なまでに速かった疾風狼のスピードに、俺はついに追いついてみせたのだ!
いや、違う。
(……追い越した!)
俺はさらに加速し、疾風狼の斜め前方に回り込む。
奴は、獲物だったはずの俺に速度で負けたという事実が理解できず、一瞬だけ思考が停止したようだった。
その、コンマ数秒の隙。
今の俺たちには、それで十分すぎた。
「反撃を開始しますよ、アルマ!」
(応ッ!)
俺は、疾風狼の動きに合わせてまるでダンスを踊るようにその場を駆け巡り始めた。
壁を蹴り、天井を走り、奴が俺たちにしたのと全く同じようにその周囲を高速で旋回する。
ひらり、ひらりと。
重力などまるで存在しないかのように、鉄の身体が宙を舞う。
「キシャァァァッ!」
疾風狼が、混乱と怒りに満ちた叫びを上げ、むちゃくちゃに爪を振り回す。
だが、その攻撃はもはや俺たちには届かない。
全てが、スローモーションに見える。
全ての攻撃が、当たる前に「視えて」いる。
(ここだ!)
俺は、奴が爪を振り下ろしたことでがら空きになった脇腹めがけて鋭い蹴りを叩き込んだ。
今度の蹴りは、重さで押し潰すようなものじゃない。
軽量化された脚部が生み出す、カミソリのような鋭さを持った一撃だ。
――ガキンッ!
「キャンッ!?」
疾風狼が、子犬のような情けない悲鳴を上げた。
俺の蹴りは、奴の肋骨を覆う硬い体毛を突き破り、その骨に確かなダメージを与えていた。
初めての、クリーンヒット。
初めて、俺たちの攻撃がこの神速の魔物を捉えた瞬間だった。
形勢は、完全に逆転した。
さっきまで、一方的にいたぶられていたのが嘘のようだ。
狩る者と、狩られる者の立場が完全に入れ替わったのだ。
疾風狼は、もはや俺たちを攻撃しようとはしない。
ただ、必死にその自慢の脚で俺から距離を取ろうと逃げまどっている。
だが、無駄だ。
その脚は、もう俺の翼になっているのだから。
(逃がさねえよ)
俺は、壁を蹴ってさらに加速し逃げる疾風狼の背後にピタリと張り付いた。
その動きは、もはや整備士のそれではない。
獲物を追い詰める、一匹の飢えた獣だった。
(お前の力、確かに受け取った)
俺は、内心で静かに呟いた。
お前がいなければ、俺はトラウマに呑まれたままだったかもしれない。
お前の圧倒的な速さが、俺たちに進化の必要性を教えてくれた。
(だから、礼を言うぜ。
最高のパーツを、ありがとうよ)
そして。
俺の魂が、最後の言葉を告げる。
(――そして、俺の力で、お前を超える!)
俺は、疲れきった疾風狼の背後でロックリザードの甲殻で覆われた右の拳を大きく振りかぶった。
あれほど苦しめられた絶望の象徴に、今、俺たちの手で終わりを告げる。
それは、俺がまた一つ失敗を乗り越えて強くなるための、祝福の儀式だった。
洞窟に、俺の魂の雄叫びが響き渡る。
俺たちの、本当の反撃が今、始まろうとしていた。




