第25話:水中での戦い
(……こっちから、その土俵に上がってやるしか、ねえか!)
俺の魂が決死の覚悟を固めたのを、リリアは即座に感じ取っていた。
彼女の魂が驚きと懸念で大きく揺らめくのが伝わってくる。
「アルマ!?
まさか、この鎧で水の中に!? 無謀です!
あなたのそのお身体は、ただでさえ重いというのに!」
(ああ、無謀だろうな。
最高にクレージーな作戦だ。だが考えてみろよリリア。
あいつは水の中にいる限り一方的に攻撃し放題だ。
こっちは狭い足場でいつまでも的になるしかない。
だったら同じ土俵に上がって、あいつの有利を消し去るしか道はねえ!)
整備士の俺なら、いつまでも相手の得意なフィールドで戦ったりはしない。
さっさと自分のピットに引きずり込んで、完全に分解してやる。それと同じだ。
「ですが……!」
(大丈夫だ。
お前がいる)
俺のその短い、しかし絶対的な信頼を込めた言葉に、リリアの魂の揺らぎがピタリと止んだ。
そうだ。俺はもう独りじゃない。
この鎧の中には、俺の無謀を最高の戦術に変えてくれる世界一のナビゲーターがいるのだから。
「……承知いたしました、わたくしの騎士様。
あなたのその狂気、わたくしの理性で完璧に乗りこなしてみせますわ!」
リリアの魂が覚悟と共に力強く輝きを取り戻す。
それでいい。それこそが俺の相棒だ。
俺はアクア・トードが潜む不気味な地底湖を睨みつけ、最後の深呼吸をするように魂を落ち着かせた。
そして岩棚の縁から、重力に身を任せるようにその鉄の身体を投げ出した。
ザッッッッ----
凄まじい水しぶきと共に、俺の身体は地底湖の冷たい水の中へと沈んでいった。
ゴボゴボと虚しい気泡が、俺の兜の隙間から漏れ出ていく。
(くそっ、重い!
とんでもなく重いぞ、この身体!)
地上では頼もしい安定感を与えてくれたロックリザードの甲殻が、水中ではただの鉛の塊と化していた。
手足を動かそうにも水がまるでコンクリートのようにまとわりついてくる。
まるで潤滑油が完全に切れたエンジンの中で、無理やりピストンを動かそうとしているような絶望的な抵抗感だ。
《警告:水中環境下における機動力、著しく低下。現行の身体構造では、水中での戦闘は推奨されません》
(そんなこたあ、分かってるんだよシステムさんよ!)
脳内に響く無機質な警告に、俺は悪態をつく。
地上での快適なセダンから水没したダンプカーに乗り換えた気分だ。アクセルを踏んでもうんともすんとも言わない。
「アルマ、敵が来ます!
右斜め下から!」
リリアの切迫した声が響く。
地底湖の底から、あの醜悪なアクア・トードが弾丸のような勢いで突進してくるのが見えた。
水中での奴の動きは、陸上とは比べ物にならないほど俊敏で滑らかだ。
(くそっ、避け……きれねえ!)
俺は必死に身体を捻ろうとするが、鉄の身体は俺の意思をあざ笑うかのように鈍重な動きしかしない。
ドンッ!という鈍い衝撃。
アクア・トードの頭突きが俺の胴体にクリーンヒットした。
ロックリザードの甲殻がミシミシと嫌な音を立てる。致命傷ではない。
だが、その衝撃で俺の身体は錐もみ状態になりながら、さらに湖の底へと沈んでいった。
(視界が……悪い……!)
水中では地上であれほど頼りになった感覚がほとんど役に立たない。
発光する苔の幻想的な光も水の濁りの中ではぼんやりと滲むだけで、数メートル先も見通せない。
《共振探知》を試みるが、水の流れや水中に漂う無数の浮遊物がノイズとなり敵の正確な位置を捉えることができなかった。
まるで豪雨の中で車のラジオを聞いているようなものだ。情報が断片的で使い物にならない。
「アルマ、わたくしの《霊素視》も水中で霊素が乱反射してしまい、敵の核を正確に捉えきれません……!」
(マジかよ!
こっちはレーダーもソナーもイカれたポンコツ潜水艦だぞ!)
情報という名の命綱を断たれ、俺たちの魂に焦りの色が濃くなっていく。
その焦りを見透かしたかのように、アクア・トードはヒットアンドアウェイ戦法に切り替えた。
視界の外から突如現れては噛みつき、あるいは体当たりを仕掛け、俺たちが反撃しようとする頃には再び水の闇の中へと姿を消す。
ガギン! ゴン! と、鎧のあちこちから鈍い被弾音が響き渡る。
ロックリザードの装甲のおかげでまだ致命的なダメージには至っていない。
だが、このままサンドバッグにされ続ければいずれは装甲ごと圧壊させられるだろう。
(くそっ、どうする……!
どうすればこの状況を打開できる!?)
俺は整備士としての思考をフル回転させる。
問題点は三つ。鎧の「重さ」、情報の「不正確さ」、そして敵の「機動力」。
このままではジリ貧だ。何か、何か逆転の一手は……。
(流体力学なんて専門外だっつーの!
もっとこう、シャープでエアロなボディだったら……!)
俺の魂が現実逃避じみたぼやきを漏らした、その時だった。
「アルマ!
あの魔物、方向転換の瞬間に一瞬だけ動きが止まりますわ!」
リリアの鋭い声が俺の思考を現実に引き戻す。
彼女は視界の悪い中でも必死に《霊素視》を凝らし、敵の動きの癖を読み取ろうとしてくれていたのだ。
(方向転換の瞬間……!)
それだ!
どんなに高性能な機械でも急な方向転換には必ず慣性が働き、一瞬のロスが生まれる。
こいつが生き物である以上、その法則からは逃れられないはずだ!
その一瞬を突けば……!
《警告:水中での高機動戦闘は、鎧フレームに許容値を超える負荷をかけます。
実行しますか? Y/N》
(やるに決まってんだろ!)
俺はシステムの警告を無視した。
このまま何もせずにスクラップにされるくらいなら、フレームが歪む覚悟で一か八かの賭けに出る!
(リリア、俺の《共振探知》とお前の《霊素視》を合わせるぞ!
あの時みたいにシステムを起動させるんだ!)
「はいっ!」
俺たちはロックリザードとの死闘で覚醒した、あの感覚を呼び覚ます。
《――システム名『妖精騎士』、起動します》
脳内に再びあの無機質な声が響き渡った。
水中という最悪のコンディションのせいでシステムは不安定に明滅を繰り返している。
だが、それでも不正確な二つのセンサーは一つの高精度な予測システムとして機能し始めた。
敵の予備動作、水流の僅かな変化、霊素の揺らぎ……。
それら全ての断片的な情報を統合し、システムが敵の次の動きを予測する。
《敵性存在、三秒後、左後方より反転、突撃の可能性92%》
(そこだ!)
俺の魂が、リリアの魂が、システムが弾き出した唯一の解法に全てを賭ける。
(リリア、今からやるのはただの突進じゃねえ!
このクソ重たい鎧の質量を、そのまま弾丸に変える!)
俺は湖の底に辛うじて接地していた足にありったけの霊素を込めた。
狙うはアクア・トードが反転してくるであろう、その一点。
(整備士をなめるなよ、カエル野郎!
これが俺たちの……重力加速度砲だ!)
俺が内心で叫んだ(技名は今考えた)瞬間、リリアが俺の思考を完璧に読み取り、鎧の関節を駆動させる。
ズンッッッッ!!!
湖の底が、俺の蹴りによって大きく抉れた。
ロックリザードの甲殻が持つ圧倒的な質量が、水の抵抗をものともせず俺の身体を一直線に加速させる。
それは、もはや泳ぎではなかった。
水中魚雷。
鉄と魂でできた、一撃必殺の質量兵器だ。
「ゲロ!?」
予測通りに反転してきたアクア・トードが、ありえない速度で突進してくる俺の姿を捉え、その金色の瞳を驚愕に見開いた。
だが、もう遅い。
回避も防御も、間に合うはずがなかった。
―――ゴッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!
地底湖の底で、凄まじい衝撃音が鈍く響き渡った。
俺の鎧とアクア・トードの巨体が激突し、周囲の水が衝撃波で激しく沸騰する。
「ゲロォォォォォッッ!!」
アクア・トードが本物の苦痛に満ちた悲鳴を上げた。
奴の自慢の弾力性もこの純粋な質量攻撃の前では意味をなさなかったらしい。
確かな手応えが、俺の魂に伝わってくる。
だが、俺たちの損害もまた甚大だった。
《警告:鎧フレームに構造的損傷を確認。関節部の耐久力が著しく低下》
(分かってる!)
無茶な加速と衝突の反動で、鎧のあちこちが悲鳴を上げていた。
決定打には至っていない。
アクア・トードは深手を負いながらも、必死に俺から距離を取ろうともがいている。
だが、この一撃で奴の動きは明らかに鈍っていた。
そして、その一瞬の隙をリリアの《霊素視》は見逃さなかった。
「アルマ、今です!
敵の喉元、あの赤い喉袋の奥に……霊素が異常に集中している器官があります!
あれが、あの厄介な粘液の源に違いありません!」
(見えた!)
リリアが指し示す先。
そこにはダメージを受けて苦しげに開閉する喉袋の奥に、不気味に脈動する一つの器官があった。
あれを潰せば……!
俺たちの、本当の反撃が今、始まろうとしていた。




