第24話:地下水脈と大ガマの奇襲
――ビュッ!
水面から、まるで槍のように長くぬめりを帯びた何かが凄まじい速度で射出された。
狙いは寸分の狂いもなく俺の顔面……兜のバイザー部分だ。
「アルマッ!」
リリアの悲鳴のような警告が、鎧の中でこだました。
だが、もう遅い。
回避も、防御も間に合わない。
俺は、目の前に迫る未知の攻撃をただ見つめることしかできなかった。
第二階層の、最初の洗礼。
それは、あまりにも突然で狡猾な奇襲だった。
(終わった……!)
魂が、コンマ数秒の間に走馬灯を再生しかける。
転生して一ヶ月、短い鎧人生だったぜ……。
そう、俺が諦めかけた、まさにその刹那。
ガギンッ!
「!?」
俺の身体が、俺の意思とは全く関係なく反射的に動いていた。
いや、違う。これはリリアだ。
彼女が、この絶望的なタイミングで俺の身体を無理やり動かしたのだ。
右腕が盾のように顔の前へと振り上げられ、迫りくる「何か」を辛うじて受け止める。
ベチャッ!
「うおっ!?」
硬質な衝撃を予想していた俺の魂は、全く別の感触に度肝を抜かれた。
粘つく。
そして、絡みつく。
俺の右腕に巻き付いたのは、槍でも触手でもない。
長くぶ厚く、そしておびただしい粘液に覆われた、巨大な「舌」だった。
(なんだこれ!?
超強力な粘着テープかよ! 腕が離れねえ!)
俺は内心で悪態をつきながら、必死に腕を振りほどこうとする。
だが、その舌はまるで生きているかのように俺の腕に絡みつき、凄まじい力で俺を水の中へと引きずり込もうとしていた。
「アルマ、踏ん張って!
水中に引きずり込まれますわ!」
(分かってる!
けど、こいつ、とんでもないパワーだぞ!)
ギギギ……ッ!
ロックリザードの甲殻を取り込んだ俺の足が、岩棚の上で嫌な音を立てて滑る。
前の鎧だったら、今の一瞬で水の中に引きずり込まれていただろう。
ロックリザードの装甲による重量増加が、皮肉にも俺たちの命綱になっていた。
俺が見えない水中の敵との綱引きに必死になっていると、リリアがその正体を叫んだ。
「あれは……《アクア・トード》!
湿地に生息する、巨大なガマの魔物ですわ!」
リリアの言葉と同時に、俺たちを襲った舌の主がゆっくりと水面からその醜悪な姿を現した。
ブクブクと水面が泡立ち、現れたのは軽自動車ほどの大きさはあろうかという、巨大なガマだった。
ぬめりを帯びたイボだらけの緑色の皮膚。
血のように赤い、大きく膨らんだ喉袋。
そして、俺たちを冷ややかに見下ろすバスケットボールほどの大きさの、金色の瞳。
その瞳には、知性のかけらも感じられない。
ただ、獲物を捕らえたという原始的な喜びと食欲だけが宿っていた。
「ゲロリ……」
腹の底から響くような、不快な鳴き声。
間違いない。こいつが、この第二階層の最初の刺客だ。
(くそっ、こんなキモい奴に食われてたまるか!)
俺は、自由な方の左腕で右腕に絡みついた舌を殴りつけた。
――ブニッ!
手応えは、最悪だった。
まるで巨大なゴムまりを殴りつけたかのように、衝撃が全く伝わらない。
それどころか、俺の左の拳までその粘液に絡め取られそうになる。
(ダメだ、打撃は効かねえ!
それなら……!)
俺は、左腕の指先を鋭い刃のようにイメージし舌を切り裂こうと試みる。
だが、これもダメだった。
刃は、分厚く弾力のある舌の表面に浅い傷をつけただけ。
すぐにその傷も、粘液に覆われて塞がってしまう。
(硬いだけが取り柄のロックリザードとは、全くタイプが違う!
こっちは、ゴムみたいな弾力と粘着力でこっちの攻撃を無力化してくるのか!)
まさに、環境に適応した狩りのスタイル。
水中から一方的に攻撃を仕掛け、獲物を引きずり込んで仕留める。
なんて厄介な相手なんだ。
俺の《機構造解析》が、必死に敵の情報を分析しようとする。
だが、奴の本体の大半はまだ水中にあり正確なデータが取れない。
リリアの《霊素視》もまた、水によって霊素の流れが屈折し弱点であるはずの核の位置を正確に特定できずにいた。
「アルマ、このままではジリ貧です!
舌の付け根……口の中を狙えませんか!?」
(無茶言うな!
どうやってあのでかい口の中に……!)
俺たちが攻めあぐねている間にも、アクア・トードの引く力はますます強くなっていく。
もう、限界が近い。
このままでは、二人仲良くガマの餌食だ。
(くそっ……!
何か、何か手はないのか……!?)
焦りが、俺の魂を蝕む。
第一階層とは、戦いのルールが根本的に違う。
ここは奴らのテリトリー。地の利、いや、水の利は完全に敵にある。
俺たちが今まで培ってきた戦い方が、全く通用しない。
その事実が、俺の思考を混乱させていた。
(ダメだ……。
また、俺は……)
完璧な計画が立てられない。
有効な攻撃手段が見つからない。
その焦りが、心の奥底に眠るトラウマを再び呼び覚まそうとしていた。
「――アルマ!」
リリアの、凛とした声が俺の魂に響き渡る。
「忘れてしまいましたの!? わたくしたちの戦い方を!
完璧な計画など、いらないのでしょう!?」
(……!)
「泥臭く、不格好に、目の前の状況にしがみついて二人で活路を見出す!
それが、わたくしたち『妖精騎士』の戦い方ではありませんか!」
(……ああ。
そうだったな)
リリアの言葉が、俺の魂に再び火を灯す。
そうだ。俺は、もう独りじゃない。
完璧な計画なんて、クソくらえだ。
目の前の状況を、俺たちなりに「修理」してやればいい。
(悪かった、リリア。
ちょっと、ビビってた)
「分かれば、よろしいのです。
さあ、アルマ!
あなたのその素晴らしい頭脳で、この最悪な状況を最高の逆転劇に変えてみせてください!」
(ああ、任せとけ!)
俺は、思考を切り替えた。
敵は、ゴムまりのように弾力のある粘着性の舌で俺たちを捕らえている。
力ずくで引きちぎるのは、不可能だ。
だったら……。
(……逆だ)
整備士としての発想が、閃光のように俺の脳裏を駆け巡る。
固くて切れないなら、その性質を逆に利用してやればいい。
(リリア、今から無茶をする!
俺の動きに合わせて、霊素を足元に集中させてくれ!)
「はい、承知いたしました!」
俺は、今まで必死に抵抗していた力を不意に、完全に抜いた。
そして、アクア・トードが舌を引っ張るその力に、あえて身を任せる。
「ゲロ!?」
敵が、俺の突然の脱力に一瞬だけ戸惑う。
その隙を突き、俺は舌に引かれる勢いをそのまま利用してコマのように身体を回転させた。
(今だ、リリア!)
俺の身体が水面すれすれまで引き寄せられた、その瞬間。
リリアが俺の思考を完璧に読み取り、ありったけの霊素を俺の両足の裏に集中させた。
そして、俺は、その両足をすぐそばにあった洞窟の壁に思いっきり叩きつけた!
ガギンッ!
まるで壁にアンカーを打ち込んだかのように、俺の身体が固定される。
そして、俺はその反動を利用し全身のバネを使い、今度は逆に舌を引っ張り始めた!
「ゲロォォォォッ!?」
アクア・トードが、今度こそ本物の驚きと苦痛に満ちた鳴き声を上げた。
今まで獲物を一方的に引きずり込むことしか経験してこなかったのだろう。
獲物に、逆に引きずり出されるなど夢にも思わなかったに違いない。
(どうだ、この野郎!
これが整備士のトルクレンチ理論だ! テコの原理ってやつを教えてやるよ!)
俺は壁を支点に、ありったけの力で舌を引っ張る。
ロックリザードの甲殻を得た俺のパワーと、それを支えるリリアの霊素。
二つの力が合わさり、ついにアクア・トードの巨体が水面からずるりと引きずり出された。
ザバァァァァァン!
凄まじい水しぶきと共に、アクア・トードの巨体が俺たちのいる狭い岩棚の上に叩きつけられる。
その衝撃で、敵が思わず舌の力を緩めた。
チャンス!
俺はすかさず右腕を舌から引き抜き、自由になった鉄の拳を敵のたるんだ喉元に叩き込んだ!
ゴッ!
「ゲロッ……!」
今度は、確かな手応えがあった。
水というクッションを失った敵の身体は、ただの柔らかい肉塊だ。
俺の一撃がその分厚い脂肪を揺らし、内部の骨格にまでダメージを与えたのが分かった。
アクア・トードは苦しげな鳴き声を上げながら、慌てて地底湖へと逃げ帰っていく。
俺たちは、なんとか最初の奇襲を退けることに成功したのだ。
「はぁ……はぁ……。
やりましたわね、アルマ!」
(ああ……。
だが、あいつ、まだやる気満々だぜ)
俺は息つく暇もなく、再び水中に潜った敵に視線を向けた。
奴は傷を負い、そして激しく怒っていた。
水の中から俺たちを睨みつける金色の瞳が、復讐の色に燃えている。
最初の奇襲は凌いだ。
だが、戦いはまだ始まったばかりだ。
この狭い足場で、水中から際限なく繰り出されるであろう次の攻撃を、俺たちはどう凌ぐ?
(……くそっ。
こいつ、水の中にいる限りやりたい放題じゃないか)
俺の脳裏に、一つの、そして唯一の結論が浮かび上がる。
それは、あまりにも無謀で自殺行為にも等しい選択肢。
だが、それしか、ない。
(……こっちから、その土俵に上がってやるしか、ねえか!)
俺は、覚悟を決めた。
この第二階層を攻略するためには、避けては通れない道なのだと。
俺は静かにアクア・トードが潜む地底湖を睨みつけ、リリアに次の作戦を告げた。
俺たちの、初めての水中戦が今、始まろうとしていた。




