楽しい学校生活が始まりそうだ・1
「はい、それじゃ今週最初のお便り、読んでいきまっしょい」
「っしょい!」
「えーと……東京都にお住まいの、ラジオネーム、ザーメンまっ黄色さん(5さい)……さんからのお便り……えー……? ザーメンて……いいの、読んじゃって? いいの? ……えー」
「ちょ……ケンスケさん何言ってるの? やだー」
「いやいやいや、僕が言ってるわけじゃないから、このリスナーさんのラジオネームだからね? ラジオネーム……って、愛ちゃん、なんでそんなに椅子遠いの」
「○×▲□☆◎&▽(マイクから遠すぎてよく聞き取れない)」
「ひどいっ! ……まあ、いいけどさ……え? 早く読めって? 分かりましたよ……えー、ケンスケさん愛さんこんばんわ。はい、こんばんわ」
「◎□ば×わ~(マイクから遠すぎてよく聞き取れない)」
「いつも楽しく聞かせてもらってます。はい、どうもありがとう。先日、ちょっとした偶然から、私の父親が今でもオナニーしているということを知ってしまって……あー、正直困っています……おー、僕も困ってるよ」
「×◆%▽▲$& ゴソゴソゴソ……パチッ(マイクを切る音)」
「えー、50近くにもなって、そんなにオナニーするものなのか? と疑問にも思ったのですが、どうやらホントっぽいのです。世間体とかいろいろとまずいと思うので、なんとかして彼にオナニーをやめさせたい。思春期の息子に言い聞かせるようにやめさせたい。そこで、長州力にこいつらを切れさせたら大したもの、とまで言われたお二人に相談です。どうしたら、彼がオナニーするのをやめさせることが出来るでしょうか? それを考えると夜も眠れません。どうか助けると思ってアドバイスしてください」
「……ゴソゴソゴソ……パチッ(マイクを点ける音) えーと、次のお便りに行きませんか?」
「そうしたいのは山々なんだけどね、もう読んじゃったし、一応何か助言らしきものをするならばっ!」
「するならばっ!」
「まずね、君、このザーメンまっ黄色さん(5さい)さんだけど、これ、5歳のザーメンまっ黄色さんじゃないからね? ザーメンまっ黄色さん(5さい)さんなんだけど」
「え? ……あ、本当だ。(5さい)まで書いてますね」
「そもそもねえ、5歳でまっ黄色はありえない! 確かに男子は5歳くらいから勃起するけど、精通まだだからザーメンまっ黄色とか、ありえない!」
「そうなんだ!」
いや、食いつくところそこじゃないだろう。こっちは結構切実なのだ。真面目に答えて欲しいのだが……家族の寝静まる深夜帯、ベッドに横になり、点けっ放していたラジオから聞こえてくる声を聞きながら、藤木は溜め息をついた。
期せずして親父がオナニストという知りたくもなかった事実を知ってしまった藤木は激しく動揺した。昨日、小町がオナって死んだときのように、親父がオナって死ぬんじゃないかと思った藤木は、急いで自分がオナって死んだ。自分が死んでいれば、周りの人間がオナって死ぬこともないと思ったからだ。
しかし、それじゃ本当に死ぬのと同じである。親父がオナる可能性がある時間帯、ずっと死んでいるわけにもいかない。賢者モードになってよくよく考えてみれば、オナるまえにやることがあるだろうと思った藤木は、小町に半殺しにされながら生き返ると、ヤフー知恵袋に相談し、エキサイトお悩み相談室に相談し、ラジオ人生相談にメールをし、ようやく思い出して天使に相談した。
「はぁ……確かに、お父さんも死ぬ可能性があるにゃ」
「やっぱりか」
「しかし、なんですかにゃ。親子ですにゃ……呆れを通り越して悲しくなってきましたにゃ」
「俺もそう思うんだけど、他人から言われると腹立つな……それより流石に外出先でポックリ逝かれた日には、生き返らせてやりたくてもどうにも出来ないんで、なんとかならないか」
「出来なくもないですが……しかしですにゃ、藤木さん、そんなことを言ったら、お父さんや小町さんだけじゃにゃくて、クラスメイトや親戚の方も可能性はゼロではないですにゃ」
「マジで!?」
「はい。尤も、その可能性はもう相当低いですにゃん。恐らく、気にしないでもいいレベルじゃにゃいかと。実際、さっき小町さんもオナって……ひっ!」
ストッと、天使の顔を掠めて、押入れの扉にペンが突き刺さった。
藤木の背後にいた小町が満面に笑顔を浮かべて言った。
「あたしは何もしてなかった……そうだね?」
「はいですにゃ。小町さんはなにもしてませんでしたが、藤木さんのお友達の誰かがさっきオナっていたのですが、死にませんでしたにゃ。それはこれからもずっとそうでしょう」
「えーっと……なんでまた?」
いつも楽天的な顔をしていた天使が、珍しく眉間に皺を寄せた。どうも相当、説明しづらいらしい。
「これは直感的に理解しにくいでしょうけど、例えば藤木さんのお父さんがこれから死ぬとしますにゃ? そしたら、藤木さんはなんとしてでも生き返らせようとする。そして生き返らせたあと、ポチの能力で忘れてもらうはずですにゃ」
「まあ、出来ればそうしたいな」
「すると、お父さんに起きたことが、起きなかったことになる。そして、どうせなかったことにされるならば、始めから起きなかったことになるにゃ」
「えーっと? おまえが何を言ってるのか、さっぱり分からないぞ」
なんだか未来を起因にして、過去が変わってるような。日本語になっていない。
「そうですにゃあ……じゃあ、例えば、お父さんがオナって死んで、それを藤木さんが生き返らせて記憶を消して、何もなかったことにした世界があったと仮定しますにゃ。ところで、この仮定の世界と、今のこの世界と、お父さんにとってどんな違いがありますかにゃ?」
「どうって……親父は何も覚えてないんだから、多分、なにも違わないだろうな。なんらかの時間的齟齬を感じるかも知れないが、身に覚えが無いなら気にも留めない」
「そうですにゃ。お父さんにとって死んでも死ななくても何も変わりがにゃい。それどころか、藤木さん以外の世界中の全ての人にとって、なんの違いもにゃい。違うのは、ただ藤木さんの記憶の中だけですにゃ。さて、この一見して同じように見えて違う世界。パラレルワールドですけど、巨視的に見ると殆ど同一ですから、いずれはどちらの世界も収斂されて一つになるんですにゃ。で、どちらに収斂されるかと言えば、より自然な世界の方へまとまりやすい。つまり、藤木さんがチートを駆使してお父さんを救出したという世界があったとしても、何も起きなかったという今の世界をベースとして収束してしまうんですにゃ」
「ちょっと待て、それじゃ、過去に起こったことが無かったことになるというのか?」
「そう考えてもらっても差し支えないですにゃ。で、それは過去を未来に変えても同じことが言えるんですにゃ。つまり、これから先、藤木さんのとばっちりでオナって死ぬ人が出てきても、死ななかったことにされる。どうせそうなるのならば、始めから起きなくなるんですにゃ」
「なんかそれって無茶苦茶じゃないか? なんで俺ごときの行動一つでそんな世界がどうこうなるのよ」
「そうですにゃ。無茶苦茶ですにゃ。けどまあ、死人が生きているというのは、そういうことですにゃ」
言われて、うっと言葉が詰まった。藤木が生きていると、他人に悪影響を与えるというのもどうやら本当のことのようだ。世界がどうのというのも否定できなくなってきた。本気でそろそろ身の処し方を考えた方が良いのではないかと思いもするが……
藤木が考え込んでしまったのに気づいたのか、天使がフォローするように続けた。
「ですけど、こんなものは、それこそ巨視的に見れば何も起こらなかったと同じことですにゃ。気に病むものでもありません」
修正の利くものなら、いくらでも修正すればいい、そのために天使は来たのだと彼女は言った。しかしそれは言い換えれば、修正の利かない出来事がやがて起きると、予告しているようなものだった。その時、自分はどんな決断を迫られるのか。
悶々とする一夜を明かし、殆ど寝たかどうか分からないような、どんよりとした頭を振り振り、欠伸を噛み殺しながらバスに乗った。時刻は午前8時過ぎ。二本のバスを乗り継ぐが、結局は同じ市内の北と南であるから、その時間に家を出ても、じゅうぶん学校に間に合った。
意地悪な金持ち連中と、将来性の無さに目をつぶれば、やはり快適な学校である。そんなことを考えながら、妹としてまるで十年来の付き合いみたいに母親と仲の良い天使と、いつの間にかリビングでコーヒーを飲んでいた小町と一緒にバスに揺られること数分、駅南口ターミナルに着くと、バスの乗降口の前に待ち構えていたように、いつもの小母さんが声を張り上げながらビラを配りにやってきた。
「事件の目撃者を探しております。ご協力よろしくお願いします」
今日も朝から元気なことである。周りの殆どの客と同様に、目を合わせないようにして横をすり抜けた。先に行く小町も、後に続く天使もそうするだろうと思っていた。
しかし、天使は小母さんからビラを受け取ると、その顔をマジマジと見上げ……
「おい。ポチ、行くぞ」
複雑そうな顔をして佇む天使に声を掛けると、彼女ははっと思い出したようにこちらに駆けて来た。
何が気になったのだろうか? 取り残された小母さんが小首をかしげながらこちらを見ている。
それを無視するように天使の手を引っ張り、駅北口ターミナルへ出ようと駅舎の階段を上がった。やがて階段中腹の踊り場に差し掛かったとき、
「あの小母さん、死亡フラグが立ってましたにゃ。昨日の今日で、何かしましたかにゃ?」
ボソッと天使がそう漏らした。
って……それは自分に言ってるのか?
藤木は思わず足を止めて後ろを振り返った。後ろに続いていたサラリーマンが、ちっと舌打ちをして避けていった。南口ターミナルでは、相変わらず毎日のように同じ格好で、同じビラを配る小母さんが声を枯らしていた。そりゃ、毎日会う相手である。こちらは一方的に知っている人物だし、向こうも顔くらいは覚えているかも知れない。しかし、話しかけたことも無ければ、自分の人生に何の関係もない赤の他人ではないか。
何かしようにも、何の接点もない相手だ。
「身に覚えがないが……俺がなんかしちゃったっての?」
「さあ? わかりませんにゃ」
突然、昨日は無かった死亡フラグが立っていたから、ちょっと気になったが、あの小母さんが単にそういう運命だっただけかも知れない。
「気にしないでくださいにゃ」
そう言って天使は階段を駆け上がっていった。
気にするなと言われても……
何が起こるか分からない。バタフライ効果。そんな台詞が頭を過ぎった。
「藤木ー! 何やってんのよっ! バス来ちゃうよ」
階段の上で小町が声を上げた。藤木は後ろ髪を引かれる思いがしたが、それ以上何も出来ることもなし、階段を登って二人と合流すると、学校へのバスに乗り遅れまいと、先を急いだ。




