A・E・D! A・E・D! ・3
「で、どうして学校であんた死んでたのよ……まさか、本当に放課後は右手と右手の交換会とかしてるんじゃないでしょうね」
「おぞましいこと言わないでっ! 実は、かくかくしかじかで、AEDを使ったらなんとかなるんじゃないかと……」
「あんた、馬鹿でしょう? 馬鹿だよね? 馬鹿としか思えないわよ、この馬鹿っ!」
「いや、思いついたときは、俺って天才って思ったんだって。それに、もし成功したら、おまえに迷惑かけないで済むじゃん? 今後のことを考えて、なんらかの緊急手段が必要だと思ったんだ。切実だったんだよ!」
「今後のことを考えたら、あんたが死ぬのが一番よ」
「ひどいっ!」
学校の隅の隅っこの、汚いトイレの中で冷たくなっている藤木を発見した小町は、さめざめと泣いた。なんでこの男は全裸で死んでいるんだ。しかも変な器具を付けて、灰色になっちまったボクサーみたいな格好で便座に腰掛けて、何故か服だけはきちんと折りたたまれて。思わず回れ右して帰りそうになったが、頭の中に響く馬鹿の必死の説得で、どうにか踏みとどまった。
小町は全裸の藤木を個室から引きづりだし蘇生すると、おちんちんを股に挟んで正座するという、いわゆる女の子座りをさせて懇々と説教した。下校のチャイムが鳴って仕方なく服を着させたが、帰りのバスの中でも怒りが収まらない様子で、辺りの目も気にせず説教された。怒ってる人間からは全力で逃げろと言う、恩師の言葉が思い出される。
とは言え、内容が内容だけに、周りに聞かれるわけにもいかず、その辺はまだ冷静に考えられたのだろうか、説教すると言っても体が密着するくらい近づいて、小声で耳元で囁くようにするので、端から見る分にはやたらとエロかった。受けているのは脅迫なのであるが、その様子に勘違いしたギャラリーが、ちらりちらりとこちらの様子を気にしていた。内容を聞かれちゃまずいという程度の配慮があるなら、そっちの方も早く気づいてくれないか。一緒に帰って友達とかに噂されると恥ずかしいし。
時折、オナニーとかおちんちんとか、漏れ聞こえてくる言葉に、ビクビクする同じ制服たちを乗せてバスは進み、やがて終点の七条寺駅北口ターミナルへ着いた。プンプン怒ってドスドス床を踏み鳴らしてバスを降りる小町の後ろを、しょんぼりしながら藤木はついていった。ところで、終点なのに誰も立ち上がって、先に降りようとしないのは何故なのか。衆人環視の熱い視線を感じる。明日学校にいったら、黒板に相合傘とか描かれてないだろうな。
バスを降りると日は傾き、町はすっかり夜空の藍色に溶け込んでいた。繁華街の喧騒が夜風に乗って届き、辺りの賑わいを感じさせる。
「とにかく、もう、金輪際、こんなことで呼ばないで頂戴!」
「いや、まあ、そうしたいのは山々なんだけど、男は我慢にも限界があるんだって。なんつーか、溜めれば溜めるほど禁断症状が出るっつーか」
「あんた全然我慢してないじゃん、昨日今日で何回オナってんの!?」
「よ……四回? いやいやいやいや、めっちゃ少ないって、こんなのオナったうちに入らんて。これでも結構自重してるんだからさあ、今後ともなにとぞお一つ」
「呆れ果てて溜め息も出ないわよ! せめて、もう今日一日くらいは平和で居させて」
「つっても、俺がオナらなかったら、おまえ死ぬじゃん? どうせ家帰ってホモゲーやるんだろ。ほら、人間喧嘩したあとのセックスってやたら気持ちいとか言うじゃん。それと同じでイライラしてるときのオナニーって……あ……」
ギンッ! と鋭い眼光が閃いて、強烈なキックが藤木の膝を砕いた。
「ぎゃあああああああ!!!!」
「あんた、禁止っ! 一生、オナ禁っ!」
地面に這いつくばってのた打ち回る藤木を尻目に、小町はそう絶叫してプンスカ怒りながら駅舎へと消えていった。女子高生の卑猥な叫びにびくりとして、サラリーマンたちが一斉に振り返ったが、野郎が一人悶絶してるだけと気づくと、すぐに興味を失ったように人の流れに乗って去っていった。都会の人は冷たい。
涙とよだれを垂れ流しながら、せめて通行の邪魔にならないようにと、道の端まで転がっていったら、
「くっくっくっくっ……」
と忍び笑いが聞こえてきた。涙目になりながら声のほうを見上げると、
「徳さんか……笑ってんなよ、人の不幸……おー、いてぇ」
「追いかけなくてもいいのかい? 彼女さん、とても怒っていたじゃないか」
「彼女じゃねーし……つーか、何書いてんの、あんた」
どうにか体勢を取り戻し良く見れば、声の主が先ほどの小町の台詞を何本もの毛筆を使って、力強く書き上げていた。「あんた 禁止 一生 オナ禁」しょうもない字を素人目にも鮮やかな書体で書き上げると、徳さんは満足そうに頷いて、紙切れを藤木に押し付けてきた。
「一日ここに座ってると、いろんな人を見かけるけど、君たちは飛び抜けて分けがわからないな。何があったらこんな台詞が出てくるのか」
「知らねえし、要らねえよ、そんなの」
藤木の住む街の最寄り駅である、七条寺駅はそれほど大きな駅ではないが、まさに地方都市の繁華街と言った具合に、北口駅前だけは結構開けていた。オフィスビルはそれほど無いが、ショッピングセンターやスーパーマーケット、家電量販店などが一通り揃っており、駅の利用者は結構多い。また近隣の街の繁華街として、ブティックやファーストフード店、飲み屋やカラオケボックスが軒を連ねているアーケードなどがあった。対して、南口は住宅街としてまったく開発の手が入っておらず閑静なものであり、駅の南北で街の感じがガラリと変わった。
徳さんは夕方になるとその北口ターミナルに出没する、ストリート書家だった。なんだか良くわからないフレーズをゴミ箱から拾ってきた紙の裏に書いて、誰に見せるとも無くずらずらと地面に並べている。
……一度、どういう基準で書いてるのか聞いてみたことがあるが、声を出して読んでみて「ああ、うん」って感想しか出てこない感じと言われた。ああ、うん、良く分からないけど、そんな感じのが沢山並んでいた。
他にも絵画にも造詣が深いのか、時折思いついたかのようにクロッキーに人物模写を始め、人が集まり頼まれれば似顔絵描きの真似事もやった。
若そうにも見えるが年齢不詳で、昼間からプラプラして学校に通っても居なければ、仕事もしていないようだった。いつから居たのか分からないが、気がついたらターミナルの植え込みに腰掛けていて、今では街の顔のようになっている。
藤木が始めて徳さんを認識したのは、そのあだ名が定着した2年前のプロ野球ペナントレース、セリーグ優勝決定戦の出来事である。当時、長い低迷から脱出したジャイアンツが、かつての栄光を取り戻したかのように、強力打線を引っさげてセリーグの優勝を決めた日。駅前ターミナルのオーロラビジョンに映し出された、優勝決定の瞬間を見守っていた人々の中で、一際大きな歓声をあげ、まるで徳光和夫のように滂沱の涙を流し、絶叫し、歓喜したのが徳さんであったのだ。その涙の余りの汚さは、周りを取り巻くジャイアンツファンの心を打ち、「徳光だ」「徳光和夫の生まれ変わりだ」と、あっという間に愛称が定着し、現在に至る。因みに徳光はまだ死んでいない。
駅前にはジャイアンツの公認パブがあり、普段からシーズン中には毎日パブリックビューイングを行っているのだが、それ以来そこの常連客たちの覚えが良くなり、可愛がられては、よくただ飯にありついているようだった。実は藤木も親子二代のジャイアンツファンで、時折そこへ連れ立って遊びに行ったので、自然と顔見知りになり、学校帰りに時間が合えば、道端に座って話し込んだりしてもいた。彼も絵を描くという共通点があったので、意外とうまがあったのだ。
「今日は文芸部? 同人原稿はもう上がったのかい」
「いや、今日は部活行ってないわ。原稿の方もペン入れはじめたとこ。まだ時間あるし、ボチボチだな」
「おや、それにしては帰りが遅いね。僕はてっきり部活かと思った」
「色々あったんだよ……オナニー禁止食らう程度に」
と言って、藤木はふと校舎裏での出来事を思い出した。
朝倉と中沢という意外な組み合わせが何をしていたのか、それは分からないが、少なくとも普段なら部室に居るはずであろう朝倉があの場にいたのだから、今日部室には誰も居なかったのだろうか? ユッキーもパソコンで遊んでたし……
となると、しまった! もしかしたら、なるみが一人なのをいいことに、藤木の私物の前でソワソワしていたかも知れない。それを見逃したかと思うと、
「どうしたんだい? いきなり地団駄踏み出して」
「くぅ……せっかくのセクハラチャンスを逃したかと思うと悔しくて悔しくて」
さめざめと泣き出す藤木にドン引きしながら、徳さんは愛想を返した。
その後、飯でも一緒にどうかと誘われたが、天使を友達に預けたまま放置していることを思い出して辞退し、急いでクラスメイトたちの待つカラオケボックスまで走った。彼らは藤木のことなどすっかり忘れるくらい盛り上がっており、こっそり合流してもばれなかったが、一人だけ素面状態で混ざってしまったので、テンションを上げるのに非常に苦労した。どうして酒も無いのに、酔っ払いよりも酔っ払えるのか、高校生は。




