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バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
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 祖母は下山後、病院に行き、そのまま即入院となった。

 腕の怪我ではない。身体全体だった。祖母の身体は余すこと無く病魔に冒されていた。本来は山に登れるような身体ではなかったらしい。医者からも散々入院するように日頃から言われていたらしいが、祖母は全ての治療を断り続けていたらしい。医者も無理強いはしていなかったそうだ。その病の全てがもう手遅れだったから。

 山を下りた途端、祖母の体調は一変し、病院に担ぎ込まれたときにはすでに意識が戻らなくなっていた。あずさが呆然としているうちに周りの大人が次々と物事を決めていった。

 あずさは祖母の唯一の肉親に引き取られることとなった。祖母の次女、つまりあずさの母の妹、叔母である。都会から来た叔母夫婦は明らかにあずさを引き取ることを嫌がっていた。あずさの前でその感情を隠そうともしなかった。

「姉さんそっくりだね」初対面の叔母はあずさの顔を見てそう言った。そう吐き捨てた。

 叔母夫婦の実の娘、三歳年下の女の子に出会った時、あずさは妹が出来たと喜んだ。そして、握手をしようと差し出した手を叔母がぴしゃりと打った。「山を駆け回ってたような汚い手で娘に触らないで」そう言われた。もう山から下りて数日経っているし、手も小まめに洗っている。汚くなんかない。そう反論したあずさは頬を張られた。痛かった。驚いた。怖かった。

 祖母はあずさが反論したり意見を言ったりするとニヤニヤ笑って喜んでくれた。別にそれであずさの意見が通るわけではなかったが、あずさが自分の考えを述べること自体を否定することは決して無かった。叔母は違った。あずさの意見は全てはねのけられたし、口を開くこと自体を許さなかった。そしてことあるごとに祖母と、事故で死んだ母の悪口をあずさに聞こえるように、あずさに聞かせるように大声で並び立てた。

 叔母はあずさの母が嫌いだった。母とはずっと比べられて惨めな思いをさせられたらしい。事故で死んでせいせいしたと高らかに言った。

 そして祖母のことを憎んでいた。祖母は昔から地域の嫌われ者で、そのせいでずっと辛い思いをしたと言った。また、姉であるあずさの母ばかりを愛し、自分のことを蔑ろにしたと喚いていた。

だから、母の娘で、祖母に育てられたあずさなど、憎悪の対象でしかなかった。

 ではなぜ、あずさを引き取ったのかというと、世間体のためだ。叔母夫妻は周りの目をことさらに気にするタイプの人間だったのだ。

 でも、きっとそういう所が、自分の憎しみの感情を、本音を、外面のためだけに表向きだけ隠してしまうようなその生き方が、叔母があの祖母に愛されなかった理由なのだろうとあずさは子供心に思った。祖母は興味の無い人間には本当に無関心な人だったから。きっとこの叔母は祖母に見向きもしなかったに違いない。

 あずさが自分の意見を一切口に出さず、ひたすら黙ってうつむいて、叔母夫婦の広い家の片隅に隠れるように過ごすようになって幾日も経った頃、祖母が死んだ。

 電話する叔母の金切り声から推測するに、葬式も出されなかった。らしい。

 それ以外のことはわからなかった。コテツは。鶏たちは。畑は。井戸は。かかしたちは。銃は。祖母が大事にしていた曾祖父のかまどは。どうなったのか。あずさはそれを聞く権利すらなかったのだ。

ただでさえ人の言葉の裏がわからず、空気が読めず、さらに集団行動の経験がない田舎者のあずさは、都会の小学校では案の定いじめられた。中学校でもそれは一緒だった。

 あの田舎での夏休み、あずさがいじめっ子に気持ちだけでもぶつかって行けたのは、やはり祖母の待つ家があったからこそだった。

 たとえあずさが正しかろうが何だろうが面倒事自体を決して許さない叔母の家にいては、あずさは戦えるはずなどなかった。ただ、下を向いて、事が大きくならないように、嵐が去るのを待つようになった。

いつしか、あずさのなかで、祖母と過ごした幼い頃の記憶は、薄い、淡い、昔見た夢の中の出来事のように霞んでいった。


 ずっと忘れてたな。

 あずさは今、十数年ぶりに山道を歩いていた。

 左手に弓を。腰には矢筒を。背にはリュック。肩には散弾銃を背負って。

 あずさは思い出していた。あの日の事を。祖母と最後に山に入った、あの日のことを。

 あずさは上を見上げた。

 そうそう。あの日も、こんなふうだった。

 まだ十一月中旬。まだ早い。異常気象だ。でも、山の神様は気まぐれだから。


 空から、季節外れの雪が、ひらひらと舞い降り始めていた。

 



 山小屋に戻り、クロダの腕の治療を本格的にしようとしたヒジカタの申し出をクロダはすげなく断った。

「あの女を殺す方が先だ」

 だが、矢が刺さった状態では戦うことも出来ない。数分の問答の結果。クロダが折れた。

 上方の血管を縛り付け、止血を完全に行った後に、素早く矢を引き抜く。運良く、大きな血管は傷ついていなかったようなので、そのまま適当な糸を使って傷口を縫合した。麻酔など無かったが、クロダはハンカチを噛みしめたまま微動だにしなかった。隣で震えながら見ていたタケルの方がよっぽど倒れそうだった。

 再度包帯で傷口を覆う。血管の損傷のわりに出血が多い。包帯にはすぐ赤い血がにじみ始めた。

「まあ、これで銃ぐらい撃てるだろ」

 遠距離からのスナイピングを得意とするクロダの銃はボルトアクション式だ。右手で引き金を引き、右手でボルトを操作して排莢と装填を行う。左肩をかばいながらでも撃てないことはない。

「ぼ、ぼく、こんなの作ってみたんですけど」

 クロダの矢傷を見て、相当びびったのだろう。タケルは声を震わせながら木の板を持ち出してきた。

 盾だ。まるで先住民が持っていそうな木製の盾。木の板を組み合わせたものの裏に取っ手が取り付けられていた。

 クロダが呆れたような目でタケルを見る。ヒジカタも同じ気持ちだった。きっとタケルは矢ぐらいならこれで防げると思っているのだろう。無理矢理補強を重ねたらしく、板は何枚も重ねられているので確かに矢ぐらいなら防げそうだ。あくまで矢なら。

 タケルは気づいていないのだ。神城あずさはすでに、ベンケイの猟銃を入手している。

 もうこの戦いのレベルは一段、上がってしまっているのだ。木の板でどうにか出来る段階ではない。

 しかし、ヒジカタは「すげえじゃないか!」と大げさに叫んでタケルに駆け寄った。

「これさえあれば兎の矢なんてなんの意味もねえ! お前、これ自分でつくったのか?」

 ヒジカタの食いつきが想像以上だったのだろう。タケルは「う、うん」と戸惑ったように頷きながらも、嬉しそうに顔を上気させた。

「はじめは工芸品として作ろうと思ってたんす。さっき、木の板を増設したから大分、強度も上がってると・・・・・・」

「いやー。すげえわ。これさえあれば安心だわ。まじで見直した」

「へへ。そうっすかね。よかったらこれ、持って行って」

「ありがとうな! これで一緒に戦おうぜ!」

 ヒジカタの一言に、タケルの表情が「え」と固まる。

「お前がこの盾で防御して、俺が銃で攻撃する。最強のタッグじゃねえか」

 タケルの顔からすうっと血の気が引いていった。

「い、いや。でも。僕はモニターを見て遠隔で支援を・・・・・・」

 ヒジカタの意図をくみ取ったのだろう。クロダが身体を起した。

「大丈夫だ。タブレットでも操作はできるだろう。無線は傍受される可能性があるし、お前も現場に行け」

 タケルが口をパクパクとさせる。

 ヒジカタはその肩を無理矢理組むように抱えた。

 こいつの盾が役に立たなくても、こいつを囮にすることは可能だ。なんならこいつの肉体自体が盾にもなり得る。ヒジカタは前線に送られる事が決まってガクガクと足を震えさせ始めたタケルを豪快に揺さぶって笑った。

「さあ。狩りの始まりだぜ。タケルくーん」

 クロダが立ち上がった。

「OK. 総力戦だな」

 クロダは上着を整えると黒いレインコートを羽織った。銃を操作するためだろう。前を開けて。胸元で数カ所だけ留めるものだからマントのようだった。

「翁」

 クロダは部屋の隅を振り返って隅に汚らしいリュックの上に座っている老人に声をかけた。

「なんじゃ」

 老人は上機嫌でクロダに刺さっていた矢をつまみ上げ、矢じりを眺めていた。血だらけのその切っ先をニタニタと見つめている。今にも舐め上げるのではないかと思われた。クロダはその光景に眉をひそめながらも言った。

「あんたは来ないのか」

 老人は「ふうむ」と顎を撫でた。

「あの女に伝えてくれ。儂は、山頂。神社の上で待つとな」

「どういう意味だ」

「そういう意味じゃよ」

 老人は立ち上がった。その反動で、座っていたリュックがドサリと横倒れになり、上部の蓋が開いてそのリュックの中身がこぼれ落ちた。

 札束だった。

 古く、痛んだ、所々汚れた一万円札が、適当に縛り上げられている。そんな一束百万もあろうかという札束が無数に、無尽蔵に大きな革製のリュックにパンパンに詰め込まれていた。何千万、いや、何億あるのだろうか。

 三人の目がその札束に釘付けになる。

 特に反応したのはタケルだった。ゴクリと唾を飲み込み、「よっこらせ」と億劫そうに彼らに背を向けて札束を拾う老人をじっと見つめていた。

 ちらちらとクロダとヒジカタに目線を送る。

 無論、クロダもヒジカタも無視した。それに焦れたのか、タケルはヒジカタに耳打ちした。

「・・・・・・あいつを、やっちまった方が、はやいんじゃないんですか!」

 ヒジカタは数秒黙り、それから小声で押し殺すように「黙れ」と呟いた。

「脇の間、よく見てみろ」

 タケルが怪訝な顔で、言われたとおりに背をむけてしゃがみ込んでいる老人の脇に目をやって、「ひっ」と声を出した。

 老人の左脇には、何でもないように、さも、手を空けたいから仕方なく挟んでいるのだと言わんばかりに猟銃が挟まれていた。水平二連式散弾銃。そして、その黒光りする銃身はまっすぐにタケルの胸に向いていた。

「ちょっとでも攻撃の素振りを見せてみろ。心臓ぶちぬかれるぞ。動くな」

 小声でそう言うヒジカタに、タケルは涙目でぶんぶんと頷いた。

 老人はゆっくりと、これでもかと時間をかけてこぼれ落ちた札束を全てリュックに詰め込んだ。はち切れんばかりのリュックを押し込むようにして上部の留め金を止める。

「なんじゃ。来ないのか」

 老人は立ち上がり、さも残念だというようにタケルを見つめた。

「最近、銃が古くなってきておってのお。ふとした拍子にすぐ撃鉄がおりてしまうのじゃ」

 老人は震えるタケルを小馬鹿にしたように「そうならなくてよかったの」と笑うと、その何キロあるかわからないリュックをひょいと背負った。

「じゃあの。儂は行く」

 老人はヒジカタを見た。

「せいぜい、狩られないようにな」

 ヒジカタの奥歯を噛みしめる音が微かに響いた。

 そして老人はクロダを見つめた。その険しい顔をしばらく見つめ。能面のような顔を、まるで翁面のように歪ませて笑った。

「ぐっどらっくじゃ」

 老人は鼻歌を歌いながら小屋を出て行った。




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