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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第4章

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97 遊軍を動かす

 ガタンという大きな揺れで、ザナは目を覚ました。

 体を起こすと向かいにナタリアが座っているのが見える。こちらが身動きしたのに気がつくと、彼女は隣の席に移動してきた。

 外はすでに暗くどこを走っているのかわからない。


「どこらへん?」

「いま川に沿って北上しているけど、このあたりは地盤がよくない。速度もあまり出せない。予想より時間がかかりそうよ」

「問題は川を渡ることよね」

「そう。この川で渡れるポイントはここしかない」


 ナタリアは手に持っていた地図を広げて示した。


「フロートはあるんでしょ?」

「もちろん装備はあるけど、この川は谷が深いか段丘になっていて、水面に降りられない。傾斜のきつくないところがあれば強引に渡ることもできるけど」


 確かに、フロートがあれば水上を移動できるが、出入りの際の角度が厳しく制限されている。


「どこかに切れ目はないの?」

「この地図によれば、ここまではないことになってる」

「そうね、降りるほうはひっくり返らなければ何とかなるけど、(おか)に上がるのはよほど緩い岸でないとそうはいかない」

「気を()んでもしょうがないわ。とにかく最大速度で北に向かってる。今できることはこれだけ」

「わかった」

「さて、ベッドを出してちゃんと寝ましょう。明日の朝、また状況を確認するから」



***



 目をあけると、鮮やかな緑色の髪の持ち主が視界を遮っていた。その小さな頭がくるっと回ると新緑がサラサラと空中に広がり、ふわりと元の位置に戻っていった。

 深い緑色の瞳と向き合う。


 さっとあたりを確認する。もちろん誰もいないのはわかっていた。ナタリアはほかの部屋に行ったに違いない。

 片肘をついて頭を少しだけ起こす。


「おはよう、ティア」


 別に声を出す必要はないのだけれど、やはり、会話は音にして自分の耳を使ったほうが実感が湧く。


 声にしないと、それが自分の発した言葉なのか、相手の考えなのか、それとも頭の中にあるだけの伝わっていない思考なのか、時々わからなくなり混乱してしまう。

 こればかりは、どんなに時間がたっても、いまだに慣れないただ一つのことだ。


 ティアはその場に立ち上がり、かすかに青い光が漏れる服をパタパタと振った。


「眠りが深いね、ザナ。またも疲れている」


 そう言いながら、背筋をピンと伸ばすと両手を背中に回してこちらを見上げた。




 どうやらそのようだ。ティアが現れたことはもちろん、ナタリアが起きて出ていったのにも気づかなかった。これはよい兆候ではない。


「理由はわからないけど、人は疲れやすい生き物なの、あなたたちと違って」

「それはわかっている。人は心配事にエネルギーを浪費する」

「あら、よくわかっているじゃない」

「それで、ザナの今の不安定な状況は何?」

「わたしの抱えている悩み? すべてよ。どれもこれも全部」


 ティアは腕組みをした。


「それはありえない」


 やれやれ、今の言葉をそのまま受け取る必要はないのだが。


「数えてみて」


 やんわりと促される。

 ここで、不安材料の種を並べ立てても、ティアが相談にのってくれるわけでも、ましてや代わりに解決してくれるわけでもない。単に、記憶されるだけか、あとから情報として処理されるだけか。


 それでも、妙に人間っぽい仕草で、首を(かし)げて先を促されると、心配してくれているような錯覚に陥る。つまり答えるしかない。




「第一に、この庇車(ひしゃ)はのろくて移動に時間がかかる。ウルブ7に迫ってくる大群との衝突には絶対間に合わない」


 ティアは膝を折って座った。まじめに聞いている、ように見える。


「第二に、リアナはいまだに、ローエンに戻ることを考えている」

「ナタリアはザナのことを第一に考える」

「それよ。彼女はわたしがインペカールに所属しているのを忘れている」

「失念するはずはない」


 ため息をつく。


「ナタリアがローエンのことをよく知っているとは思えない」

「ザナも知らない」


 ティアの指摘はもっともだ。ローエンから逃れた人たちは減り、その子孫のほうが遥かに多い。


「ティアは知っているの?」

「記憶は存在する」


 あ、そう。聞くまでもなかった。




「第三に、イオナが次に何をするつもりなのか、見当がつかない」

「ハルマンの国力は増大し、ローエンのほうは落ちているが、彼女はそこに関与していない」


 アデルは主家じゃないからね。


「はあ、それで?」

「イオナについて、思うところはない」


 やっぱりね。


「第四に、カレンとシャーリンたちが目的のものを見つけたかどうか」


 どう反応するかじっと様子をうかがう。

 ティアは小さな首を横に動かした。今のは否定? それとも答えないということ?


「第五に、トランサーからこの大陸と人々を守る手段がまだ残されているのか」


 ティアはちょっと考える仕草を見せた。もしかすると……。


「シルはかの海の一部にはならない」


 それは、シルをトランサーから守れる、という意味かしら? きっとできるはず。でも、シルは(はる)か南の遠くにある。シルがトランサーと対峙するとしてもその時期はまだ当分こない。


「それから……」

「まだ、あるの?」


 小さな両腕を大げさに広げた。


「ペトラが……」




 扉の開く音に続いてナタリアが戻ってきた。


「ザナさま、眠れました?」


 首を縦に振る。


「あたしはだいぶ慣れたけど、こいつは振動が大きすぎる。こんな原野を走るとなおさら」

「今、どのあたり?」

「タリまで8万メトレの位置。浅瀬までは9万。まだたっぷり一日かかる」

「遅すぎるわ」

「曲がりくねった川に沿う荒れた道を移動するんだから、これで限界」


 ナタリアは肩をすくめると続けた。


「川を渡って、またはるばる南下するのに、さらに三日かしら?」

「その頃には、交替する隊はなくなっているかも」

「セインからもっと多く出してもらうことはできないの?」

「それは、オリエノールとしては無理な話よ。セインの手持ちの全軍を送り出すなどありえない。インペカールがその立場だったとしても当然のこと。特にウルブ7が陥落した場合には、セインの南側を守りきれない」

「だからこそ全部出して、ウルブ7で食い止めるんじゃないの?」

「それは戦術的には正しい。でも戦略的には間違いよ。オリエノールの北だっていつ破られるかわからないのよ」




「もっと、川があればいいのにねえ……」


 何気ない一言にハッとする。


「そうよ! なんで気がつかなかったのかしら」


 大声を出してナタリアを驚かせた。


「えっ? なに?」

「川よ、川を下ればウルブにたどり着く」

「何を言うの? これは川艇じゃないのよ」

「でも、フロートは装備されている」

「それは川を横断するためのもので、川を航行する船として使用するものじゃない」

「川を行けば、山向こうの下流の横断ポイントで陸に上がれる」

「でも、川に入るには……」


 ナタリアは何度も首を振った。彼女の肩に手をかけて言う。


「ひっくり返らなければいい。ここの対岸を登ろうってわけでもない。でしょ?」

「全部が防水されてるわけじゃないのよ、この車は」

「ねえ、リアナ。全員を下ろせば少しは軽くなる、土手から降りられるかもしれない。降りてしまえばあとは何とでもなる。それに、庇車(ひしゃ)以外はもっと速度を出せるでしょ。遠回りしても間に合う」

「こいつの水上での移動速度はたぶん陸上を行くより遅いでしょうけど、ここから浅瀬までの往復分は省略できるか。やってみる価値はありそうね」

「頼んだわよ、副司令どの」


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