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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第3章

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87 アンドエン

 シャーリンは岸壁に停泊中のムリンガを見上げた。色は白からきれいな青色に変わっているはずだが、暗くてはっきりは見えない。船名板も変更されていた。


 操舵室の上に設置されていたさまざまな機器やアンテナはすべて取り払われている。代わりに船尾室が一段高くなってドーム状の構造物が大きな存在感を主張している。


 振り返って二番艇がいた場所を見ながら思った。確かにこれは、見た目も以前と全然違う。


 ミアはフレイに続いてムリンガから降りてくると、満足げにうなずいた。


「こんな短時間で見違えるようになったな。フレイ、感謝してるよ」


 それから、メイと並んで立つステファンに向き合った。


「ありがとう、ステファン。船の名前がいまいちなのは心残りだが……」


 ウィルが近づいて船名を読み上げた。


「リンモア? 変わった名前ですね」

「二番艇と交換しただけだから……」

「まあ、ムリンガも十分に妙な名前ですけど」




 まだ、夜明けには遠く風が冷たい。というより寒いくらいだ。肌で感じる空気が冬の近いことを告げていた。


 ステファンはメイを抱きしめたあと言った。


「十分に気をつけるんだぞ。それに、ミアのこともよろしく頼むよ」

「大丈夫。わたしにまかせてちょうだい。これからは、わたしがお姉ちゃんをちゃんと見張っているから。暴走しないようにね」

「ケイトじゃあるまいし、あたしは常に冷静だよ」


 そう主張するミアに、ステファンはさっと手を回して引き寄せた。

 驚いた顔のミアに向かって彼は言う。


「ミア、西の作用者たちは手練(てだ)れの集まりだ。本当にうちの者を同乗させなくていいのか?」

「ああ、こっちは問題ない。それに、少人数のほうが目立たないから……」

「そこまで言うのなら……わかった。気をつけてくれ」


 抱きしめていた手をほどいたステファンが、何となく不安そうに見えるのは気のせいだろうか。




 ミアにもステファンの動揺が伝わったのだろうか。彼女はもう一度ステファンを軽く抱きしめた。


「あたしは大丈夫。慎重に行動するから。それより、ここも気をつけて。やつらがロメルまで来るかもしれない。向こうの強制者は手強(てごわ)い」

「ああ、そうだな。少し人を増やすことにしよう」


 ステファンの顔をじっと見ていたミアは、


「では、お元気で……お父さん」


 そう言うと、すばやく向きを変えて足早に船に乗り込んだ。

 ステファンの顔にちらっと笑みが見えたが、今度は、シャーリンが彼にしっかりと抱きしめられた。


「シャーリン、西の作用者たちは危険な連中だ。もし出会っても、絶対に対峙しようとしないようにしてくれ。どうかこれだけは約束してほしい」


 どういうわけか、ステファンの不安そうな様子が胸に突き刺さってくる。


「はい、わかりました」


 そう答えつつも、この状況に既視感を覚えた。

 そうだ、父がロイスを出発したとき、あれが最後だった。あの日もこんなふうに別れの挨拶を……同じように、西国に気をつけろと言われた。父は何か知っていたのか……。


「今度、カレンを連れてきてくれ。待っている」


 ステファンの言葉が聞こえ我に返る。

 いやいや、そんなことはない。ロメルはウルブでも屈指の準家だ。そう簡単に西の者たちの侵攻を許すはずはない。


「はい、必ず。何から何まで本当にどうもありがとうございました」



***



 川を遡り、夜があけるまでにはかなり進んでいた。

 その後も全員が操舵室に閉じこもったままだったが、途中のウルブ6までは何事もなく順調だった。すでにウルブ7との中間点に近い。予定より少し早い。今のところ例の作用者たちとの遭遇もない。


 町を通りすぎる直前の、小さな川港に船をつけるとミアが宣言した。


「ここで少し休憩しよう。あたしはちょいと情報を仕入れてくる。あまり遠くに行かないように」


 シャーリンは船を下りると、ミアが足早に歩いていくのを見送ったあと、近くに見える公園に向かった。ディードがついてくるのを感じてくるりと向きを変えると言った。


「一緒に来なくていい、あそこの公園をぶらぶらするだけよ。ほら、誰もいない」


 ぐるっと手を振る。

 ディードはあたりを見回し、しぶしぶうなずくと言った。


「それでは、ちょっと川の先を見てきます」


 右に曲がって川岸に向かうディードを見送る。

 公園には小高い丘とまばらに木が生えている林があった。ゆっくりと丘の上を目指す。頂上には、低い垣根に囲まれた長い椅子とテーブルが並べられていた。


 この時間帯になれば川から吹き上げてくる風も冷たくはなく心地よかった。椅子に座り川上を眺める。

 目を転じて左側を見れば、遠くに雲が広がっている。この分だと明日には天気が悪くなりそうだ。




 突然、人の気配を感じて振り返る。

 しまった。腰を浮かしたものの、考え直して再び座る。ゆっくりと向きを変えて、目の前の男たちを見上げる。


「あんたたちは誰だ? 強制者の仲間か?」

「強制者?」


 そうつぶやいた男はほかの人たちと顔を見合わせた。


「シャーリン国子(こくし)、あなたは何か誤解しておられる」

「どうして、わたしの名前を?」

「わたしはヤン、あなたとお話ししたいのです」

「こんな状況で?」

「突然のこと、おわびいたします。わたしたちはアンドエンです」

「無作用主義者か」

「そうとも言われています。少しお時間をいただけますか?」

「わたしは忙しいんだ」


 さっと立ち上がって歩き出す。


「あなたは国主を撃ったのですか?」


 背後から届いた声に思わず振り返る。ヤンと名乗った男の顔を見つめた。


「……いや、わたしは撃ってない」


 ヤンは一つうなずいた。


「そうだと思っていました」

「なぜ、そのことを?」

「わたしたちにも情報網はあります。オリエノールの国都での事件、その後の騒乱、国主襲撃」


 シャーリンの体が意図せずビクッとした。


「それに、消えた国子」




 シャーリンはヤンに向き合った。


「ヤン、あなたの目的は何ですか?」

「あなたに真実を知ってもらうことです」

「真実?」

「ええ、作用力の真実について」


 表情を変えずにしゃべるヤンの顔を観察する。

 作用力の真実? どういうことだろう?


「少しは興味を持たれたでしょう。わたしたちは各国に情報網を持っています。過去から伝わるいろいろな事件についても」


 シャーリンはあたりを見回した。ほかには誰もいない。ディードも近くにはいない。

 ヤンは察したようだった。


「よろしければ、あちらの食堂で座ってお話しするのはどうでしょう?」


 そう言うと、反対側の丘を下ったところに見える小さな建物を指差した。

 ゆっくりとうなずく。


 何もしゃべらず黙々と歩いて坂を下る。食堂の中には誰もいなかった。全員が当然のように一番奥の隅にあるテーブルを目指して進みその周りに腰を下ろした。



***



 全員の前に水の入ったコップが置かれたところで、ヤンが話し始める。


「わたしがこれからお話しすることは、我々が長年かけて集めた情報をもとに考え上げた仮説ですが、わたしたちはこれが真実に近いと思っています」

「それは、話を聞いてから考える」

「そのように。……わたしたちは、紫黒の海と呼ばれる脅威に日々脅かされ、そう遠くない将来に、この大陸の住民はここに住めなくなる。どの国も外洋船を作り移住の準備を始めています。あなたはこの災いの原因をご存じですか?」


 すぐに首を振った。


「誰も知らない」

「かつて、メリデマールという国がありました。今はインペカールの一部ですが」

「もちろん、知っている」

「メリデマールにはかつて、力ある作用者が大勢いました。おそらく今の西の王国群を凌駕(りょうが)するくらいの。なかでも、アダルのユアンという作用者はずば抜けた力を持っていました。彼が率いる作用者たちは、集団で作用力を使うという技を作り上げた。そして、あの、インペカールが侵攻してくる少し前に、その集団が消えたのです」

「消えた?」

「ええ、メリデマールから全員が」

「どういうことだ?」

「彼らは、大陸の中央部に行き、そこで何らかの実験を行なったのです」

「実験?」

「何をしようとしたのかはわかりませんが、それが失敗したのは明らかです」

「どうして?」

「そのあと、あのトランサーが出現したからです」

「つまり、その実験の失敗で紫黒の海が出現したとでも?」

「そのとおり」

「まさか、まったく信じられない。あの脅威は人が生み出したものだと言いたいのですか?」

「まさしく」


 シャーリンはただヤンの顔を見つめるだけだった。


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