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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第3章

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82 修理には時間が必要

 ロメルの実践施設は立派なものだった。

 いろいろな武器の取り扱いを訓練するための部屋に加えて、作用者向けの習練施設、大勢で戦闘訓練を行うための演練室まである。他にも通常のトレーニング室などどれも本格的だ。

 大勢の人が出入りして利用しているところをみると、ここにいる人がかなり多いことがわかる。


 ウルブの各都市に属する防衛軍とは別に、各準家もそれぞれ独自の自衛軍を持っていると聞いたが、ロメルは準家の中でもかなり力があるようだ。

 いくらウルブの税も投入されているとはいえ、しょせん財力がなければここまではできまい。


 船の修理が終わり出発できるようになるまでは、毎日ここを利用させてもらうことにした。


 シャーリンが、いつものように午前中の習練を終えて出てくると、ウィルにばったり出会った。


「ロイスと話はできたかい?」

「はい、今朝、姉さんと話をしました。父さんの治療は順調らしいです。近いうちに家に帰れそうだと言ってました」

「それはよかった。安心したよ。それ以外に何か情報はある?」

「いいえ、特には。ああ、そういえば、ロイスには正軍が、かなりの兵士が常駐しているらしいですよ」


 一瞬驚いたがよく考えれば当然だった。あそこの通信施設はそれなりに重要なはずだ。




「それで、ウィルは今まで何をしてたの?」

「ムリンガの修理状況をミアさんと見てきました」

「そう。それで、どんな状態? いつ出発できそう?」

「予定どおりに進んでいるらしいです。順調だと言ってました。あと二日くらいとか」

「あと、二日か……」

「それから、ミアさんに船の操作について、いろいろ細かいことを教えてもらいました。北に行くときは、操船もさせてくれると約束してくれました」

「ここに来るまでも操船させてもらってたじゃない。わたしがミアにいろいろ教えてもらってる間」

「ああ、あれは海の上だし単に自動航行しているのを監視していただけですよ。でも川だと、自分で動かさなきゃならないから全然別です」

「そうなの?」


 うなずいたウィルはさらに楽しそうに話を続けた。


「新しく取り付けられた装置についても、艤装の担当者から詳しく教えてもらいました」

「へえ? ウィルはもうすっかりミアの弟子だな」

「ミアさんはとってもいい方です。本当に弟子入りしたいくらいです」


 ウィルの熱意に満ちた顔を見て言ってみた。


「ミアの弟子になるんだったら、交易業についても勉強しないと」

「貿易のことですか? それは難しそうだな。それにロイスじゃ、交易なんかしないから役に立ちませんし」


 首を振ってから続ける。


「いや、そんなことはないよ。ウィルが主事(しゅじ)内事(ないじ)をするんだったら、すごく役に立つと思う。そうだな、ほかの人との交渉とか取り引きの仕方、それにディールのやりとりや扱い方とか。他にもいろいろある」

「なるほど。そう言われると、大事なことのように思えてきました。それじゃあ、今度、ミアさんに聞いてみようかなー」


 ウィルと別れると、いつものように下の庭園に向かう。ここにいる間、外出はできないから、ここくらいしか外気に触れる機会はない。

 それに、内庭はとても落ち着くし、考え事をするには最適の場所だ。気持ちよくてうっかり寝てしまうのが最大の問題だが。



***



 シャーリンはベンチの上に横になって、葉の落ちた枝を上に向かって大きく広げている木とその先に広がる空をぼんやりと眺めていた。


「ここにいたのですか、シャーリン」


 メイの柔らかな声が聞こえ、慌てて起き上がると座り直した。


「ごめんなさい。お邪魔しちゃいました?」

「いえ、そんなことはありません。ここに座ってぼーっとしているとつい眠くなってきてしまって……」

「隣に座ってもいいかしら?」

「もちろんです。というか、別に許可はいらないと思いますけど」


 メイはフッと笑みを漏らすと腰掛けた。こちらを見て話し始める。


「時々、ここに来ているのを見かけました。何か困っていることはないかしら? 何でも言ってくださいね」


 気になることはいろいろある。

 そろそろ、シアが何か知らせを持ってくるかと思って待っているとは言えない。


「いいえ、特には。まあ、あまりよく眠れないということを除いては」

「いろいろ大変な思いをしたのですから、眠りが浅くなったとしても、しかたないかもしれませんね」


 ぺこんとうなずく。


「強制力を何度も受けたせいか、今でも自分の考えが筒抜けになっているのじゃないかと時々不安になることがあるんです。そのためか目覚めがすっきりしなくて」

「二度もそんな経験をしたら、わたしならおかしくなってしまいそう」

「まあ、そのうち一回は自分の失敗のせいだから自業自得です」

「そんなに気を落とさないで」

「うん。でも、実はその前にも一回経験しているんで、三回目なんですよ。どうかしてますよね、わたしは」


 こちらを見るメイの顔には驚きが張り付いていた。たしかに変人に見られてもおかしくない。


「三回? その前にもその強制者に遭遇しているのですか?」

「いいや、最初は別の人です。確か、レオンと名乗ってました。ミアと出会う前のことです」

「レオン? その強制者も西国の人ですか?」

「よくわからないけど、そうは見えなかった」

「そうですか。それはもう大変なことでしたね」




 空を眺めながらメイが尋ねた。


「ロイスはお変わりありませんか?」

「ええ、カレンたちも目的地についたようで、ダンの治療を進めてもらってるという話でした」


 メイが首を何度も縦に振るのが見える。


「それが終われば国に帰るのですか? それともここに来ていただけるのかしら?」

「そうですね。わたしたちは、ミアの船の修理が終わったらウルブ5に行くでしょう。どこか向こうで会えるかもしれないと思ってるんです」


 メイは左手に右手を被せて胸に引き寄せると大きくうなずいた。


「それはいいですね。早く、もうひとりの妹に会いたいわ」

「うん、わたしも」


 メイは小首を傾げてこちらを見た。


「それで、カレンはどういう方ですか? 姿が母にそっくりということ以外に」


 しばし自分の記憶を探る。


「カレンは、一年前にロイスに来たんだけど、来ることを知っていたのはうちの主事と内事だけでした。あの日は、そう、自分の部屋の窓からぼんやりと外を眺めていたときでした。家の入り口の前で壁に寄りかかって空を見上げてる女性が目に入ったんです……なんかそこだけ別世界のような雰囲気で、少しの間、見とれていました。そういえば、そこに来るところは全然見なかった。……気がついたらそこに彼女が立っていた」


 メイは膝を立ててその上に置いた両手で顎を支えて聞いていた。


「急いで一階に下りてダンにそのことを話すと、心当たりがあったためか、彼は急いで外に出ていき、すぐに彼女を中に連れてきた」


 扉から入ってきた彼女と向き合った瞬間が強烈で今でも忘れられない。


「彼女は背中をすっと伸ばしてわたしをまっすぐに見ると、自分の名前だけをしゃべった。その日はそれ以外に口をきかなかった」

「ずいぶん変わった方ですね」

「たぶん、それまでの記憶がまったくなく、名乗った瞬間から新しい記憶が形成され始めたんだと思う。最初は何をするにもぎこちなかったし、話し言葉もかなりおかしかった。でも、ひと月もすると、見かけはまったく普通の人になった」


 目を閉じて思い起こす。


「実はね、カレンはわたしと生まれが何日も違わないの。ほとんど同じだけど、会った瞬間から妹のように思ってた」

「それで、本当に妹だったわけね?」

「うん」




 しばらくしてメイがぽつりと言った。


「仲よさそう。うらやましいわ」


 驚いてメイの顔を見る。彼女だってミアと仲はいいように見えるけれど。


「今では、カレンはわたしの道義だと思ってる」

「道義?」

「つまり、わたしが変なことをしないように制御してくれる大切な存在。カレンの直覚に頼るところもずいぶんとあるし」

「ああ、そういう意味。そういえば、姉からシャーリンのことも少しだけ聞いていますよ」

「うへ。それは全部忘れてください」


 好奇心に満ちたメイの目を避けるように、膝に置いた自分の手を眺める。手首の違和感はだいぶ薄らいだような気がする。

 メイは身を乗り出して、首を傾げるとこちらを(のぞ)き見た。


「カレンがいないと突っ走るみたいな?」

「まあ、そうかもしれません。でも、大丈夫です。ここでは変なことはしませんから」


 いったいミアはどこまでメイに話したのだろう?




「ところで、メイはずっとここに住んでるんですか?」

「ええ、産まれてすぐにここに来たと聞いています」

「ミアも?」

「姉もずっと一緒に住んでいたんですよ。でも、いつだったかしら? だいぶ前に祖母からミア宛てに手紙が来て、しばらく祖母の家に来ないかと誘われたんです。それから毎年、夏の間だけ向こうで暮らしていたの」

「ミアだけ?」

「そうなのよ。わたしは……わたしはだいぶ憤慨しました。どうして、お姉ちゃんだけなのって。喧嘩(けんか)もたくさんしました。いつも負けたけど。わたしたち、双子だけど性格は全然違うんです」


 たぶん会った瞬間からわかった。それに、違うのはとてもいいことだと思う。


「どうしてミアだけなんですか?」

「ずっとあとになって、母から聞きました。ふたり一緒にここを離れるのは危険だからと。その理由は結局教えてくれませんでした」

「その場所、どこですか?」

「ああ、言い忘れていました。ウルブ7です。お姉ちゃんのことは、まあ、そのうち、諦めましたけどね」

「へーえ、わたしと違って大人ですね、メイは?」


 こちらを見たメイの顔が(はじ)けた。


「全然大人じゃないですよ。気にしないように努力はしたんですけど、納得するまではかなりかかりました。今では理解しているつもりですけど……」




 さらに話は続き、シャーリンは引き込まれるようにメイの話を聞いた。


「……数年前に、祖母から誘いがない年があったの。その年は姉も出かけなかった。でも、その代わりに、ミアに鍵が送られてきたんです」

「鍵?」


 メイはこちらを見た。


「はい。祖母の家に入るための鍵です。祖母はそれ以降、家には戻っていないそうです」


 突然気づいた。ミアの祖母は、わたしの祖母でもあることに。いったいどういう人なのだろう?


「おばあさんの名前を聞いてもいいですか?」

「そうでした。エレインです。シャーリンの祖母でもある」

「はあ、まるで実感がないです」

「それで、その年に、ミアは突然、独立すると宣言したの。自分の力で生きていくと。それで、ウルブ7を拠点に仕事を始めたの。仕事の仕方は、どうやら、祖母からいろいろ教わっていたみたい。あっという間に交易業を軌道に乗せた。祖母の助けがあったとミアは言っているけれど……あれは一種の才覚かもしれない」


 うなずいた。とてもよくわかる気がする。


「結局、最初から祖母の選択は正しかった。姉は、その家にずっと住み続けています」


 ああ、それで、ここではないのか。


「それでね、姉の海艇、ムリンガは、姉が父から買ったものなの」

「すごい。自分であの船を購入したの?」

「まあ、たぶん、父が破格の値段にしたとは思うけど。どっちにしても正式に姉のものなの」

「本当にすごい。驚いた」


 あんなにムリンガを大事にしているわけだ。


「でしょ。今の姉については、わたしにもよくわからない。あまり自分の仕事のことは話さないしね。まあ、こっちもそうだけど。これまでもお互いに関係した仕事のこと以外は話したことがないわ」


 メイはフッと笑みを漏らした。


「それで、最近は、ロメルに品物を届けるとすぐにいなくなる。こんなに長くここに泊まるのだって久しぶりなの。父が喜んでいるのはもう誰の目にも明らかよね。わたしは感謝しています。ありがとう、シャーリン」

「なんで、お礼を言われるのかわからないのだけど」

「お姉ちゃんが、ここに滞在してくれるのは、シャーリンのおかげだから」


 本当にそうだろうか。


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