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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第3章

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81 感知作用

「カレン、眠れましたか?」

「おはようございます。久しぶりに夢も見ずにぐっすりと。旅はせわしなくていまだに慣れません。それに、ここはとても静かでよいところです」

「それはよかった。さあ、中にお入りください」


 指令室に入るなり驚きの声を上げたカレンは、空まで見渡せる大きな窓に足早に近づいた。


「ここからは上の空も全部見えたのですね。昨夜は気がつきませんでした。それに、昼間は、ここからの景色がまるで違って見えます。どこに壁があるのかもわからないですし」

「今日は天気がいいからですよ。太陽の光が強いと壁が光ってもここからは見えませんが、曇り空になれば(またた)きが見えます。今日のような日はあそこに壁があることを忘れさせてくれます。それに、あそこで起きている消耗戦から発する抑圧も、昼間だと小さくなるので感知者にとっては楽です」




「トランサーは作用力を使うのですか?」


 カレンの声は(いぶか)しげだ。

 手をぱっと横に振る。


「いやいや、そういう意味ではないです。おそらくトランサーが消滅するときに、何というか圧迫音のようなものを出して、それが感知力に働きかけてくるんです。このいわば抑圧は感知力を使う上でわずらわしいので、夜は意識的に感知を遮断しています」

「それでは、トランサーが何か感知力を乱す信号のようなものを出しているという意味ですか?」

「昨夜、ここから壁を見ていたときに、重くのしかかってくるような感覚を受けたでしょう?」


 カレンは少し考えているようだったが、首を横に振った。


「わたしにはわかりませんでした」


 意外だった。誰もがあれを感じているわけではないのか。カレンがひとつもちであることの違いなのだろうか?




 カレンは窓から目を引きはがしあたりを見回した。


「実は、ペトラがもしやこちらにお邪魔しているのかと思ってきたのですが、ここではないようでした」

「ああ、ペトラなら、ザナを探しているようだったので、彼女の居場所を教えました」

「やはり、そうでしたか。ペトラがご迷惑をおかけしていなければいいのですが」


 まるで、ペトラ国子(こくし)の保護者のような口ぶりに驚いた。いったい、このふたりはどういう関係なのだろう?


「いや、大丈夫です。これからの何日かはダンにかけられた強制力の解除に専念してもらいます。それ以外の時間は何をしようと自由ですから」

「ダンのことで、こちらのお仕事にご迷惑をおかけしてすみません」

「ここは、三国の混成軍ですから、どの国のことも同等、平等に考えます。それに、西国が介入してきたとなると、ほかの国にとっても脅威になりかねません。どんな強制力がどのようにかけられていたかを知るのは我々にとっても非常に有益です。それに、今は、壁も普通の状態に戻ったので問題ありません」


 カレンが口に手を当てた。


「今は、とおっしゃいました?」

「そうです、何日か前に壁の一部が破られたのですが、今は完全に元どおりです。しばらくは大丈夫のはずです」

「壁が突破されたのですか?」

「トランサーは地下をも進んでいるんです。昨日フィルが説明していたと思いますが。しかも地上より速く。それで、壁の内側に侵入されました。我々はこの新しいトランサーを第二形態と呼んでいます」

「それは大変なことですね。でも、地下には防御フィールドは作れませんよね?」


 アレックスはうなずいた。


「そのとおりです。それが頭の痛いところです。地上では前進を抑えられていますが、地下を行く第二形態に壁の裏側を取られてはならないのです」

「地下のほうが進むのが速いということは、それだけ、あの海の南下も速くなるという意味ですね?」

「そのとおりです。この大陸から追い出される日も格段に早くなった」


 カレンは考え事をしているのかそれっきり黙ってしまった。




 しばらくして、カレンがこちらを向いて話を再開した。


「わたし、ほかの感知者とあまり話したことがないのです。いろいろお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか? お忙しいのにすみません。自分の力をもっとうまく使えるようになりたくて」


 ゆっくりとうなずく。


「わたしは、習練所の教官ではないので、あまり教えられることはないかと思いますが……」

「わたしは、習練所には数回かよっただけなのですが、そこでは、実際の使い方を教えるのに重点が置かれているようでした。インペカールでも同じですか?」

「それは、おそらく昨今、作用者の数が不足しているからでしょう。我が国でも、年々、作用者の実働数は減っています。早く独り立ちさせて、前線に送り出すといったことが平然と行われるのには困ります」


 少し考えてから話を再開する。


「最近の事情はどれも、作用者の全盛期が過ぎたためかと。インペカールがメリデマールを併合したあの頃から、おかしくなりはじめた。はっきり言って、あれはインペカールにとって最大の汚点です」


 こちらをじっと見ているカレンと目を合わせる。


「もしかすると、作用者の時代は終わりつつあるのかもしれません。わたしには、トランサーがそれにとどめを刺しているような気がしてなりません」

「ずいぶん、はっきりと言われるのですね」

「辺境に飛ばされた異端児のように思うでしょう?」

「いえいえ、そんなことはありません。まったく逆です。司令官のように確固たる主張が持てるのは、とてもすばらしいです。うらやましいです」


 まあ、ここはインペカールではないし本国からも遠いから、かなり自由に振る舞えるのは事実だ。


「それで、作用については、どんなふうに教えられましたか?」

「わたしは、記憶に障がいがあってそのあたりは全然覚えていないのです。困ったことに。ここ一年分の記憶しかなく、わたしの知識は、最近、あらためて習練所で受けたものだけです」


 記憶障がいなのか。それにしては見かけも話し方もまったく普通だ。そう言われなければ気づきもしないだろう。


「なるほど、そうでしたか。では、すでにご存じかもしれないことも含めて説明してみましょう」


 手を部屋の後ろに向かって振る。


「あちらに座って話しましょう」




「すべての作用には、陽作用と陰作用があります。攻撃と防御、生成と破壊、感知と遮へいといった具合にです。それぞれの作用には誰でも使える普通の作用から難度の高い作用までいろいろな種類があります」


 カレンの顔を見ながら続ける。


「たとえば、感知を例にすると、最も基本的な能動的感知手法は感知者の誰もが使えます。熟達者ほど感知範囲は広がります。これに加えて、熟練者は受動的感知が使えます」


 カレンはうなずいた。ここまでは知っているようだ。先に進める。


「陰作用を持つ遮へい者は、作用者を感知者から隠す能力があるわけですが、その効果は相手との力関係が大きな要素になります。いわゆる精華といわれる因子です。でも、精華だけで優劣が決まらないのも事実です。感知者は、ほかの人が作用力を使うときの精媒の活性化を捉えます」


 カレンは確認するように言った。


「その活性化を捉えるときには、こちらから相手の精媒に働きかけているのですよね?」

「そうです。なので、相手が感知者だとこちらがやっていることがそのまま伝わってしまう」




「受け身の方法だと相手には気づかれないのですよね?」

「能動的に感知するときは、相手の精媒に働きかけて、その応答を見るわけですが、受動的手法では、相手の精媒が活性化するときに出す波動そのものを捉えるんです。だから相手には気づかれません。このとき、相手が大きな力を使うほど捉えやすくなります。もちろん、平常時のわずかな変化を受け取るにはそれなりの感度が必要です。あるいは、能動的手法に比べて、相手がかなり近くにいる必要があります」


 うなずいて何か考えているようだったカレンが質問を再開した。


「遮へい者はどんなことをしているのでしょうか?」

「遮へい者は、自分も含めた周りの作用者の精媒に働きかけてくる感知者の力を無効にします。だから、能動的感知に対しては何の応答も感じないことになります。だから気づかれないわけです」

「遮へい者のそばにいないと効果がないのですよね?」

「遮へい作用は距離とともに急激に弱くなるので、遮へい者にできるだけ近づく必要があるんです。これに対して、受動的な方法なら遮へい者は遮断できません」


 カレンは首を傾げた。


「そうですか。でも……」

「一般的にはそうなのですが、しかし、上級の遮へい者であれば、精媒から発する波すら遮断できると言われています。だから、受動的な感知力でも捉えられなくなってしまう」

「そうなのですか。それで、少しわかりました」


 とにかく、作用力が面倒なところは、結局、決して理論どおりにはいかないことだ。

 ちょっとした力関係の違いとか、距離とか、調子の良し悪しなど、いろいろと不確定因子が多すぎる。


「結局、どの場合も、その時のふたりの力関係で決まるのですね?」

「そういうことになります」




「わたし、大勢の人がいるところでは、非常に混乱してしまうのです」

「確かにそれはありますね、受け身で感知しているときに。特に全員が作用力を最大限に使っていたりすると大変です。たとえるなら、大勢の人がみんな大声で話しているような状態になるので、それを全部そのまま聞いていたら、いらいらするし疲れてきて最後には息苦しくなります」

「そう、それです。最初はいいのですが、だんだん頭が痛くなってくるんです」

「それは、全員の声を聞こうとするからですよ。適度に耳を塞ぐことが必要です」


 カレンは身を乗り出した。


「ふさぐ? どうやるのでしょうか?」

「そうですね。人によってやり方は違うと聞いています。わたしの場合は、聞きたい作用力にのみ道を開いたり、完全に入ってくるものを遮断したりします」

「なるほど。具体的にはどうするのでしょう?」

「ちょっとやってみましょうか?」

「はい、お願いします」

「まず、普通に受動的感知体勢になってみてください。それから、その中のどれかひとりの一つの作用力に集中してみてください」


 カレンは目を閉じると動かなくなった。

 ここから先は、人によって違うから、それぞれが自分に適したやり方を習得しなければならない。


 カレンに対して能動的な感知を連続的に行いながら考えていた。

 彼女は、一年より以前の記憶がないと言っていた。作用力に関する知識も忘れたと。でも、それにしては、うまくやっているようだが。やはり、一度覚えたことは忘れないはずだ。


 しかし、感知の選り分けを知らないとすると、そのこと自体を教わったことがないのだろうか。それとも、実は全部を知っていて、何らかの切っ掛けで思い出したりするのだろうか。




 しばらくしてカレンが顔を上げた。


「少しこつがわかってきました。一つに集中し続けるとほかのは小さくなるんですね」

「そう言う人もいます。どういう感覚を持つかは人それぞれみたいです。それでは次に、その残った一つを維持したまま、ほかのことを考えてみてください。そうすると、感知作用をわずかだけ残した状態にしておけるはずです」


 しばらくすると、カレンが鼻にしわを寄せるのが見えた。


「うーん。もとに戻ってしまいました」

「まあ、焦る必要はないです。たぶん、すぐにできるようになります」

「わかりました」

「車を動かしたことはあります?」

「え?」


 カレンは顔をこちらに向けたまま固まった。


「……車ですか。えーと、動かし方は練習させてもらいましたけれど……そもそもロイスでは自分で動かす機会がほとんどないので、ほんの何度かだけです」

「感知を抑制するのは、車の操作とかなり似ているんです。車を動かすのに慣れてしまうと、考え事をしながら、気がついたら相当な距離を走っていた、ということに誰もがなるんですが、だからといって注意力が散漫になっているわけではないのです。無意識に周囲に気を配りきちんと操作しています。ちょっとたとえが悪かったですかね?」


 カレンは少し考えてから答えた。


「車のことはあまりわかりませんが、お話はわかったような気がします。もう一度やってみます」


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