80 ザナの客人たち
いつものように夕闇が迫るのをアレックスは自分の席に座って見ていた。
光が瞬き始めると、窓の前に張りついていたふたりの女性から感嘆の声が上がった。いつもの見慣れた光景が展開されている。これを初めて体験すれば誰でも自然と声が出てしまう。
ザナが四人を連れて戻ったのはつい先ほどだ。帰ってくるのは意外に早かった。ちょうど会えたらしい。いつもながら手際がいい。
それにしても、ザナの知り合いだという女性とともに、オリエノールの国子が一緒に来たのには驚いた。しかも、若い。非常に若い。
カティアと対面して少し話したあとは、窓の外の景色に魅せられているようだが、誰がどう見てもまだ子どもだ。
「ねえ、カル。あれが本当に恐ろしいトランサーの群れが壁に当たって発する光なの? 何も知らなければ、別の、そう、大気の発光現象かなと思ってしまうよ」
「初めてあれを見る誰もがそう言うけど、あそこではまさに地獄の光景が繰り広げられてるんだぜ、お嬢さん」
ペトラは声の主と向き合ったが、フィルの言葉にいささかも動じたようには見えず、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「トランサーって動きが速いのですか? 足で移動するのですか? どのくらいの速度で歩くのですか? そういえば、飛べるのでしたっけ? 普通の羽虫みたいに……」
フィルは若干ひるんだように見えた。
「質問は一つずつお願いします、お嬢さん」
「ペトラです。それでは、まず、トランサーは生物なのですか? それとも何らかの機械?」
「実はそれすらわかってないんだよ、恥ずかしながら。どこかでどんどんと無限に生まれ続けていることしか。でも、個人的な意見としては、あれは生物の作りだね」
「地上を動く速度はどれくらいですか?」
「それは場合によりけりだ。あたりに何もなければ、歩く速度くらい。何か引きつけられる物があれば、走る速度になったりする」
「何に引き寄せられるんですか?」
「一般的には、メデュラム、その他の金属、そして、有機物と言われている」
「どうして壁があるのに進んでくるんですか?」
「どういう意味だい?」
「壁に触れれば消滅する。それがわかっていてなお前進するのは、生物としては変だと思いません?」
フィルは肩をすくめた。
「まあ、生物なら自己保存を放棄するのはおかしいけど、トランサーだからな」
「前進を強要されているとか?」
「やつらが集団で動かされていると?」
腕を組んだフィルはしばらくペトラを見つめていた。
「おもしろい。もしそうなら、やつらの間で何らかの意思の伝達があることになる」
トランサーが進み続ける理由か。
遺伝子か何かに組み込まれた指令にしたがって、個々が機械的に前進するだけというのが定説だが、そうするよう命じられているという考え方はおもしろい。一考の余地がある。
しかし、そうだとするとどこかの大本から強制力を伝達する経路があるはずだが……。
ペトラはすでに別の質問に移っていた。
「トランサーは空を飛べると聞きましたが、本当ですか?」
「やつらは自力では飛べずに風に乗って遠くに移動するだけと言われていた。以前は」
「今はそうではないのね?」
「先日、我々が遭遇したやつらは、地下を掘り進み、地上に湧いて出てからは、空を飛んで殺到してきました。飛行速度はわかりませんが、地上を這うやつに比べたらとんでもない速さ……のはずです」
「はず?」
「何しろ、うちの空艇はやつらに囲まれ、そこから逃げるのに精いっぱいでしたから。やつらの性質なんかに構ってられませんでしたわ」
「それは大変なことでしたね。でも、無事に戻られたようですね?」
「そう、ひとりも欠けることなく」
フィルの声は若干自慢げだった。
「うちの戦闘指揮官は超優秀ですから。絶対に戻れるとわかってましたよ。ほかの部隊では全滅していたかもしれません」
「フィル、そう軽々しく言うな」
いつの間にかフィルの後ろに立っていたザナの静かな声がした。
「トランサーには近づかないのが一番だ」
ペトラは黙ってザナを見つめていた。
「はい、ごもっともで。でも、ザナと一緒だと不思議と安心感があるんですよ。これは、全員の一致した意見ですから。本当に」
ザナはあきれたように首を振ると窓から見える壁のほうを向いた。
「でも、どう抵抗しても、最後には、この大陸はあの海に飲み込まれる……」
少しの間沈黙が支配したが、すぐに、ペトラの質問責めが再開した。まるで、知識に飢えているかのように、次々と問いかけている。しかも、聞き方が意外に的確だ。
隣の女性もフィルの講釈を熱心に聞いているようだ。
確か、ザナと血のつながりがあるとかいうのは左側に立って静かに聞いている女性のほうだったな。このふたりは対照的だ。
カレンと呼ばれた女性は、あれを見て何を思っているのだろう? 彼女は感知者だ。トランサーから押し寄せてくる力を今まさにひしひしと感じているだろうか?
ザナの遠い親戚という話を聞いたときには、てっきりカレンはザナのように西国の出かと勝手に想像していたが、少なくとも彼女の容姿からは西の雰囲気はみじんも感じられない。
少し離れたところに立っているザナに目をやる。ザナの視線は、ふたりの女性の背後で、両手を後ろに組んだ姿勢のまま静かに立っている男性に向けられていた。
確かにこの三人は変わった組み合わせだ。そもそも、一等戦闘地域に軍人ではない普通の女性と子どもを派遣するなど、インペカールでは考えられないことだ。その子どもがいかに大人びていても。
生き生きと話をしているペトラを眺めながら考える。
それに、オリエノールの国子ということは継承順位を持っているという意味だ。こんなところまで外遊していていいのだろうか。
***
客人たちがここに到着したときには、規定どおりに訪問者の作用力は調べさせてもらった。
ペトラはふたつもちだが、あとのふたりはひとつもちだ。この三人では万一交戦状態になったときに、防御はできるが攻撃する力が欠如している。
いや、待てよ。もし、ペトラの破壊作用がザナと同じようなレベルだったら、話はまったく別だ。とんでもない戦力になる。どうなのだろう?
戦闘で使える破壊作用を操れる者はきわめて貴重な存在だし、同時に大変危険な兵器にもなりうる。インペカールでは、ザナを含めても、知る限り片手で数えられるほどしかいない。
それに、ペトラは陰陽だ。陰陽はきわめてまれな存在だ。今までに陰陽を持つ作用者に直接会ったことはない。話に聞いているのが本当なら、戦闘力があるのかもしれない。
ときどき、あどけない表情が垣間見えるペトラを見ながら考え続けた。
「アレックス、留守にしている間に、何か問題はあった?」
いつの間にか、ザナが隣の席に座っていた。いつもながら気配を消すのがうまい。それとも、考え事をしながらぼーっとしていたためか。
「そうだな。まず、例の機械化部隊、19軍が隣に到着した。すでに、キリーの17軍と入れ替えの準備に入っているみたいだ。接続替えの日程調整をしたいと言ってきた」
「本当に早いわね」
それから、椅子をこちらに少し寄せて、背伸びして周りを見回したあと、声を落として聞いてきた。
「それで、お隣さんはそのあとどうするか聞いた?」
こちらも声を小さくする。
「キリーのことか? それが、言えないとさ」
「本国に引き上げるのかしら?」
「わからない。教えてくれないなら自力で調べるしかない。交替が完了したら、部隊の動向をモニターするように命じてある」
ザナはうなずくと、椅子に寄りかかり両手を頭の後ろで組んだ。
「それで、調査はどう?」
「今日は新たに二本掘ったが、そのうち一本は当たりだった」
「ということは、これまでに掘ったうち、半分くらいが当たりだったということになるかしら?」
「そうなる。ザナが出かけるまでの調査でもう十分証拠はそろっていたんだが、昨日の結果も加えて、地下を進んでいるトランサーについての報告を各国に送ったよ」
「それで?」
「本国からはまだ何も言ってこない」
「ウルブとオリエノールは?」
「カトもフィルも、まだ、何の指示も受け取っていないそうだ」
「本国のお偉いさんたちは、この重要性に気づいているのでしょうね?」
「そりゃ、いくらアホでも気がつくだろう。我々に突きつけられている期限が何年も縮まったこともな」
「お隣さんは、機械化部隊の配置位置を南に下げた?」
「いいや、もとのままだ。キリーには下げるようにと忠告したんだがな。どうやら、新しい隊の配置に関する権限はないらしい。おそらく、次の任務のことにかかりっきりなんだろう」
ザナは眉間にしわを寄せ、再び声を落とした。
「まさか、キリーの部隊はこのままウルブのそばに留まるつもりじゃないでしょうね? いやな予感がするわ」
ザナの憂い顔を見つめる。
本当か? 留まるといっても選択肢はあまりない。ここから動かないで待機するか、ウルブのどこかの都市に向かうか、あるいは……。
離れた席で仕事をしているカティアを見る。
ザナが首を回してアレックスの視線の先を確認するとそっと言った。
「あり得るわね」
同じ意見か。
「しょうがない、モニターを増やして、やつを見失わないようにしよう」
ザナはうなずいた。
「ところで、もうひとりの客人の様子は?」
「ダンのことね。研修棟の独立部屋に入ってもらったわ。あそこなら大丈夫でしょ。万が一、何かしでかしたとしても。ちゃんと見張りもつけてある」
一番奥の今は使っていない建物。
「ああ、あそこか」
ザナは肩をちょっとだけすくめた。
「まあ、何か指令を受けているとしても、ここで実行することじゃないはずだから、本当は普通の宿泊所でもよかったんだけど、一応、規則は守ったほうがいいでしょ?」
うなずく。ザナのすることに抜かりはない。
「どれくらいかかりそうだ?」
「それは、やってみないと何とも言えないわ。明日の朝から始めるつもり」
「それにしても、西の王国がしゃしゃり出てきたとなると問題だな。何が目的なのかわかるといいんだが」
ザナは首を振った。
「そうね。でもきっと手強いはず。相手は、わたしよりずっと格上だし、本当は解除できるだけでも大成功と言いたいところなのだけれど。まあ、頑張ってみるわ」
「そうか。ここで強制力のことがわかるのはザナだけだからな。よろしく頼むよ。この仕事が終わるまでは通常シフトはほかの人にやってもらう。この問題に専念してほしい」
「わかった」




