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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第3章

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79 幻精

 ザナは、扉を閉めてから部屋の隅にあった椅子を運んできた。カレンに椅子を勧め、自分はベッドに腰掛ける。


「さてと……」


 そう言いかけたところで、カレンがいきなり猛然と話し始めた。


「わたしのことを知っているのですよね? わたしは、あの、記憶をなくしているのです。一年前からです。教えてください。どうかお願いします」


 カレンは手を強く組み合わせて頭を下げた。なぜか、体が小刻みに震えている。


「その前にひとつ聞きたいことがあります」


 カレンは顔を上げた。


「はい。何でしょうか?」

「あなたの作用力について教えてください」

「わたしのですか? 感知だけですが……」


 やはりそうなのか。とても残念だわ。




「カレン、よく聞いてください。あなたもシャーリンもイオナに狙われています。つまり、イオナに隠し事はできないということです」

「え? 狙われているのはシャーリンであって、わたしではありませんが」


 カレンの怪訝な顔はとてもかわいらしい。いやいや、彼女のことをかわいいなどと言ってはいけない。

 ザナはあらためてカレンを見つめた。


「それは、あなたのことにまだ気づいていないからですよ」


 いや、もう気づいているかもしれない。


「でも、たぶん、その人がシャーリンの居場所を探し出して、捕まえて……」

「なんだって? 強制力下に入ったという意味ですか?」

「はい、たぶん。国都の執政館でのことです」


 すばやいな。もう、そこまでやっていたのか。


「それで、何をされたの?」

「それが、理由がまるでわからないのですけれど、シャーリンは国主を襲うように仕向けられて」

「なるほど。確かに、あのダンという男にしたことを考えれば、当然、次はそうなるわね。それで、その計画は達成されたの?」

「それは……答えられません」


 カレンは口ごもったが、その顔を見ればわかる。国主はたぶん殺されたのだろう。それとも重傷ってところかしら?


「まあ、いい。成功したかどうかは重要じゃない。それより、どのくらいの間、シャーリンが支配下に置かれていたかはわかる?」


 カレンは少し考えていた。


「すぐに気づいたので、強制力下にあったのは、執政館の中の部屋に強制者が現れてから十分か十五分くらいだと思います」


 すぐに、質問の重要性に気がついたようだった。


「それは、シャーリンも影響下にあるという意味ですか? どうしよう。みんなが……」

「落ち着いて、カレン。イオナに遭遇したあとすぐに動いたのなら、いくつもの深層指令の埋め込みまでは至っていないと言っていいわ。イオナといえども埋め込みにはそれなりの時間がかかるはず。その移動前にそれほど時間がなかったのなら……」




「でも、その人たちもシャーリンと一緒に移動していたんです。国主の部屋の近くまで」

「え? 一緒に行動した?」


 いったいどういうことだ? 指令を与えたあと、自分は離れて成り行きを見ていたのかと思ったがそうではないらしい。


「西の者が一緒だったのに、国主を襲ったのはシャーリンなのですか?」

「ええと、正確には、シャーリンが銃を国主に向けたのは事実ですが、その引き金を引いたのは別の人でした」


 さっぱりわからない。どういうことだろう? 相手の前に出るんだったら何も人にやらせる意味がない。それとも……。


「うーん。でも、短時間だけ一緒に移動していただけなら、そんな時間はなかっただろうから大丈夫でしょう。それで、シャーリンはそのあとどうしたの?」

「オリエノールを出てウルブ1に向かいました。もう着いているんじゃないかと思います」

「国主を襲ったとすると、そのあと、よく国外に出られたわね」

「ミアというウルブ7の商人が助けてくれたんです」


 内心の驚きは表に出さず、単にうなずくにとどめた。ミアは商人だったのか。シャーリンがミアとともに行動しているのなら好都合だ。




「カレン、最初の質問に答えると、あなたが対抗者でないなら、たとえ、わたしがあなたのことを知っていたとしても、そのことを教えることはできません」


 カレンの顔には落胆がありありと浮かんでいた。


「どうしてですか?」

「あなたが強制者に遭遇したら、あなたの記憶を、わたしが話した内容も、抜き取られてしまう可能性があるから」

「何か少しでも教えていただけないでしょうか。わたしの記憶はもとに戻るのでしょうか?」

「それはわかりません。とても残念ですが」


 ザナは一瞬だけ迷った。カレンに話したいが危険すぎる。とても気の毒だが、ここで情に負けてはいけない。いまの彼女がまともである保証はない。


「ひとつだけ話せることがあります」


 カレンが顔を上げた。

 もう一度よく考えてから深呼吸した。


「シャーリンとミアがウルブ1のロメルに行ったとすると、カレンもシャーリンのところに行くのがいいでしょう。ミアやメイと一緒になれば、次になすべきことがわかるはずです」

「メイというのは誰ですか?」

「ミアの家族」

「あ、そういえば、ミアには妹がいるとウィルが言っていました」


 ザナはうなずいた。


「その三人に会えば、あなたの記憶への道が開かれるかもしれません」

「すみません、わたしには意味が全然わからないのですが、ザナ」

「あなたたち、四人が集まればきっとわかるはずです。今はこれ以上言えません。危険すぎます」

「はい」


 何も話してあげられなかったが、なぜか、カレンの顔には安堵(あんど)の表情が垣間(かいま)見えた。

 ザナはカレンから目を離し、天井を見て考えた。

 彼女の動きは早い。大丈夫だろうか? シャーリンたちのことも心配だ。すんなりウルブ1にたどり着けるとは思えない。




 ノックの音が聞こえた。

 立ち上がって扉を開くと、もうひとりの客人が立っている。


「ペトラです。あのう……」


 部屋の中を見てカレンがいるのに気がつくと、かなり慌てたそぶりを見せた。


「カレンとお話中とは知りませんでした。あとでまた来てもいいでしょうか?」

「カレンとの話はだいたい終わりました。さあ、お入りください」


 ペトラは少しためらっているようだった。

 ゆっくり部屋に入り扉を閉じたとたんに、幻精がペトラの頭の陰から現れた。


 ザナが驚く間もなく、今度は、部屋の反対側にティアがポンと現れて、ペトラに向かって突進した。

 ペトラの目が丸くなり、顔を両手で覆うなりしゃがみ込んだ。


 二体の幻精が部屋の中をめまぐるしく飛び回り始めたため、ザナはゆっくり下がってベッドに座った。カレンは椅子に腰掛けたまま、あっけにとられたように幻精の動きを追っていたが、しばらくすると口にした。


「もしかして、シアは叱られているの?」


 ペトラがしゃがんだまま声を上げた。


「わたしには、ふたりがじゃれ合っているようにしか見えないのだけど」


 そう、確かに、ティアは説教をしているようだ。

 とりあえず言ってみる。


「ティア。そのくらいでいいんじゃないか?」




 幻精たちの動きが静かになると、カレンは立ち上って挨拶した。


「はじめまして、ティア。カレンです」


 ティアはカレンの前に浮かぶと、腕を優雅に広げて頭を少し下げた。カレンが座るとすかさずその膝の上に降り立つ。

 シアは、それまで天井付近に浮いていたが、さっと降りてくると、ティアの隣に遠慮がちにちょこんと座った。どうやら、意見交換の会は終了したらしい。


 ザナはあらためてペトラを検分してから、カレンに目を移す。カレンは二体の幻精がかすかに明滅するのをじっと見ていた。

 そこで、遅まきながら、目の前で起こったことが意味することに気づいた。母は教えてくれなかった……。




 カレンが顔を上げてペトラを見た。


「それで、ペトラはどんな話をしに来たの?」

「あ、そうだ。シアたちに見とれていて忘れるところだった」


 立ち上がってこちらを向いた。


「お願いがあります、ザナ。わたしに教えてください、破壊作用の使い方を」


 単刀直入に言われた。

 カレンはペトラをあっけにとられたように見ている。ティアとシアもペトラをじっと見た。

 二体は非常によく似ているが、シアのほうが淡い色をしている。若いからだろうか。


「ということは、ペトラは破壊もちなのかな?」

「はい。生成と破壊です」


 陰陽か。もしかすると破壊作用の真実に気づいているのかな? あらためてペトラの顔をじっくり見る。


「お願いします。正しい使い方をどうしても知りたいんです」

「わたしに、あなたの師匠になれと?」


 ペトラはぺこりと頭を下げた。


「どうかお願いします」


 手をひらひらと振る。


「わかりました。どうせダンの問題の解決には何日もかかりそうだし、その間、時間はたっぷりあるわ」

「ありがとうございます」


 ペトラははじけんばかりの笑顔を見せた。こんな顔を前にしたら、誰でも後先を考えずに承諾してしまうだろうな。

 すぐにペトラは立ち上がると言った。


「それでは、わたしはこれで。カル、先に部屋に戻ってるね」


 カレンは、何か言いたそうに見えたが、結局うなずいただけだった。




 ペトラが去るとザナは尋ねた。


「ペトラは、真の破壊作用に目覚めた?」

「ええ、たぶん」

「あの調子だと、その力を制御できていない?」

「制御というわけではなく、どういうことができるのかわからずに困惑しているようです」

「なるほど。真の破壊作用を使える人はあまりいないし、逆に言うと、教わることがとても難しい。すごく危険な力なのよ。使い方を誤ると大変な事態を招く」


 カレンはうなずいた。


「ペトラは、そのことを発見してから、どうしたらいいのかわからず悩んでいるみたいです。わたしにはどうすることもできません。きちんと使えるようになれば、きっと精神的にも安定すると思っています。わたしからもどうかよろしくお願いします」

「教えることはできます。あとは本人しだいなので」


 二体の幻精を眺めた。


「ペトラがシアの信人であることを考えるならば、守り手がいるにしても、自分の力を正確に使えるようにしておくのは必要なことだわ」


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