74 伝言と見舞い
カレンは、セインの駐屯地の近くにある軍の宿泊所、アッセンのときと同じような作りの部屋にいる。
かばんの中身をベッドに並べているところに、ペトラが帰ってきた。
見るからにうれしそうだ。いい知らせに違いない。
「どうだった?」
「一時間後に少しだけ面会できるって」
「よかった」
面会できるということは、意識が戻ったという意味だ。本当によかった。
「クリスは司令部に寄ってから病院に来るって」
「わかった」
ペトラはベッドの上に広げられた品々を一瞥して言った。
「何をしてるの?」
「シアが戻ってきたの」
「本当? それとこの展示会の関係がまるで不明」
確かに入れたはず。かばんの奥を覗き込む。
「それで、ティアからの伝言というのを受け取ったんだけど……」
「ティアって誰?」
「たぶん、シアの姉妹か仲間かと思うのだけれど。つまり、シルのレイ・ティアってことになるのかしら」
そこで手を止めて、そばに立って鼻にしわを寄せているペトラを見上げる。
「シアの家族ね。そのティアからの言づてなの?」
「いいえ、ザナっていう人から」
「その人はカルの知り合い?」
カレンは首を横に振ったが、ペトラは両手を合わせてパチンと鳴らした。
「ああ、もしかして、そのザナっていう人はカルのことを前から知ってるのかも」
確かにそれはいい兆候だ。わたしの記憶の手がかりになるかもしれない。
「タリで待っているから来いっていうことらしいんだけど」
思わず眉をひそめる。
「来い? 命令されたの?」
驚きの声が聞こえた。
「さあ、シアの口調では来いと聞こえた。とにかく、シアから聞いた伝言が正しければ、タリで待つ、来いってことらしい……」
「でも、これからダンを混成軍基地まで送り届ける役目があるんだよね、わたしたちには。そのタリっていうとこに来いと言われてもすぐには行けないよ」
それからしゃがんでカレンのかばんの中を覗き込んだ。
「ああ、ちなみに、タリってどこにあるの?」
「それで、地図を探していたとこなの。タリはウルブの北部にあるらしいわ。シアの話だと」
「ん? ウルブの北?」
カレンがかばんの底でやっと見つけた地図を取り出してベッドの上で開くと、ペトラはカレンの両手の間に潜り込んで頭を出した。
「タリ、タリ」
目を地図に近づけて言っていたが。すぐに指差した。
「あった、ここだ」
それから声の調子が高くなった。
「あれ? えーと、今の紫黒の前線はこのあたりだっけ? ということは、軍の基地はこの辺かな?」
ペトラは地図を持ち上げてカレンに押しつけると言った。
「もしかしてこれから行く途中にあるんじゃないの? ほら、セインからウルブに入って北に向かう川の先にあるよ。確か、アリーの話だと、ここから車で行くんじゃなかったっけ。ねえ、クリスに聞いてみようよ」
カレンはうなずいた。
「そうだ、北に向かう船は調達できたのかなー」
「サラの話だと、軍の船は使えないから、代わりに民間の川艇を借り上げてくれるって言っていたけど」
「明日の朝出かけるんだから、もう用意されてるはずだよね」
「病院でクリスと合流するのだったら、そのときわかると思うわ」
***
ペトラから唐突に聞かれた。
「ねえ、カルのやりたいことはなに?」
「やりたいこと? うーん、そうねえ……」
「ああ、記憶を取り戻したいというのはわかってる。それ以外でね」
「記憶? うーん、実を言うと、わたしは自分の記憶を取り戻したいのかどうか、最近わからなくなってきたの」
「ええっ? どうして?」
「ついこの前までは、どうしても記憶を取り戻すんだと思っていたけれど、このところ、それが……怖くなってきたの」
「怖い? どうして?」
「自分の記憶が戻ったあとが……少し恐ろしいの。わたしが、以前に何をしていたのか、どこでどう生きていたのか。……わたしは悪い人だったかもしれない」
「カルが? そんなこと絶対ない」
カレンはペトラの自信に満ちた顔をじっと見た。
「どうしてそう言い切れるの? わたしは何かよくないことをしていたかもしれないでしょ。だから、このまま封印された状態のほうがいいのかなとも思っているの。寝ていると時々……」
「悪い夢を見るの?」
思わずペトラの顔を見つめる。
「そんな気がしただけ。カルはこのところ寝起きがとても悪いし……」
そうかもしれない。
「ねえ、それって、記憶が戻るのが怖いっていうのは、単にあの強制者の影響じゃないの? 考えすぎだと思うけどな」
ゆっくりとうなずく。そうだといいけれど。
「それじゃあ聞くけど、ペトラのなりたいものは何なの?」
「わたし?」
「そうよ。まあ、今のペトラには将来の選択の余地なんてないでしょうけれど」
「探求者になりたい」
「探求者? それは職業じゃないでしょ」
「そうお? いろいろなことを探求するのは十分に立派な職業だと思うな。たとえば作用の真実について追求するとか」
「それは、もう十分に調査したんじゃないの? まだ、調べ足りないの?」
「二つの作用を同時に使う方法とか、普通には知られてなかったし」
「まあ、確かにそうね。わたしも本当にびっくりしたわ」
さっとペトラがこちらに顔を向け目を見開いた。
「ええーっ? カル、それはつまり、わたしが……」
そう言いかけたものの、そこで口を閉じた。
しばらく黙っていたが、別の話を始めた。
「じゃあ、作用力は全部でいくつあるか知ってる?」
「えーと、四つ……じゃなくて……五の倍の十?」
ペトラは首を振った。
「作用は第五まであることになっているけど、わたしの見たある資料では全部で十二となっていた」
「十二? 第六作用があるということ?」
「たぶん、発見されてないだけかもしれないし、単なる予想の可能性もあるけどね。六と十二は特別な数だから、何となく説得力はあるよ」
そこで、時間を確かめたペトラが声を大きくした。
「そういえば、そろそろ、面会の時間じゃない?」
「忘れていた。急がないと」
***
フィオナはさまざまな機械を体に接続されていたが、意識は戻っているようだった。よかった。
「フィン、こんばんは。昨日はもう目覚めないのかと不安だったの。それに、ありがとう、わたしを護ってくれて」
「申し訳ありません、ペトラさま」
フィオナは首の周りにつけられている装置のせいで話しにくそうだった。
「わたしは……わたしがお役に立てなくて」
「何を言ってるの? フィンはわたしの身代わりになってくれたんだよ。わたしの盾になって銃弾を受けて、それで、ほとんど死にかけて。こんなにしてくれたのに、わたしのほうが謝らなければならないの。勝手に出かけてごめんなさい」
「いえ、そうじゃありません。わたしが悪いのです。ペトラさまが出かけたわけは……」
フィオナはいつになく言葉がしどろもどろだった。
「つまり、わたしは、ペトラさまが出かけるのを止めなければいけなかったのです。ペトラさまをお守りしなければならないのに、逆のことをするなんて、わたしはどうかして……」
「守るって、どういうこと?」
「あ、それは……」
フィオナは唇をかんで黙り込んだ。
ペトラはベッドの脇に膝をついて頭を傾けてフィオナの顔を覗き込む。
「誰かに命じられたの?」
フィオナはしばらく目を宙にさまよわせて沈黙していたが、意を決したようにペトラに顔を向けると言った。
「パメラさまとお約束しました。ペトラさまをお守りすることを」
「母と?」
「はい」
「……でも、そうすると、それって、わたしが三歳になる前ってことになるわ」
ペトラは目を見開いた。フィオナの顔をじっと見たまま身動きせず、次の言葉が続かないようだった。
しばらくして、ペトラはぽつりと言った。
「わたしには三人の護衛がいたんだ」
クリスが確認するように聞いた。
「アリシア国子はそのことをご存じなのですね?」
「はい」
ペトラは立ち上がるとベッドのそばに椅子を引き寄せて座った。あらためて何本もの管が接続されたフィオナの手を取った。
「ありがとう、フィン。フィンが生きていてくれて本当によかった」
ペトラの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「わたしは……はい、わたしもです、ペトラさま。こんなわたしを救ってくださったペトラさまとカレンさま、それにほかの皆さまには感謝しかありません。本当にありがとうございました」
フィオナも泣いていた。
「そういえば、あのとき、フィンは何か大事なことをわたしに言いたがっていたけど」
フィオナは怪訝そうな顔をした。
「わたしが? わたし、何か口走りましたか?」
ペトラは首を振った。
「結局、あのあとフィンはこん睡状態になってしまって。それっきり話はできなかったの」
「そうですか。すみません、そのことはお忘れください。たぶん気が動転していたのだと思います」
カレンはあの時の状況を思い出した。
おそらく、フィオナは死ぬ前にペトラにいろいろ伝えたいことがあったに違いない。でも、今こうして生きているのだからもう必要ないわ。
「そろそろお薬の時間です。少し眠っていただかないと回復しませんから」
看護師が入ってきてきっぱりと告げた。
ペトラは素直に立ち上がるとフィオナの手を撫でた。
「フィン、わたしたちは、明日ダンを連れて北に向かう。戻ってくるまで……ここで待っててね」
「わかりました。これから先は……」
フィオナがクリスに顔を向けると、彼はすかさず言った。
「大丈夫、フィオナ。わたしとカレンでペトラはお守りします。ご安心ください」
「はい、よろしくお願いします」
こちらを見上げたフィオナにうなずく。
「大丈夫です。安心して十分に養生してください。ペトラはもうしっかりした大人ですからきっとうまくやります」
「フィン、戻ってきたら、旅行中の話をいっぱいするよ。待っててね」
クリスはフィオナの手を少し握ったあと、こちらを見た。
「明日乗る船を見に行きますか? これから船長に挨拶しに行くけど」
「行く、行く」
ペトラはフィオナに手を振ると病室から飛び出した。




