73 セインへ
船室のベッドに横たわるペトラのそばに座って、カレンはうつらうつらしていた。
夢の中でも、何かもやもやしたものを感じていた。何かおかしい。何がおかしいかわからないけれど、とても変だ。
「カル?」
カレンはピクリとすると目をあけた。何とかペトラの顔に焦点を合わせる。手を伸ばして、毛布の下から出してきたペトラの手のひらをつかんだ。とても冷たい。
「水を飲む?」
答えを聞かずに、隣の机の上から水差しをとった。
ペトラは頭を起こしてごくごくと一気に水を飲み干した。机の上に置きっ放しになっていたお盆を引き寄せると、ベッドの上に起き上がったペトラの膝に置いた。
「おなかがすいたでしょう」
「うん」
すぐに、がつがつと食べ始めたペトラは、一段落すると、昨日のことを思い出すかのように話し始めた。
「あの時、わたしの中にもうひとりが、カルがいるのをずっと感じてた」
いや、そんなはずはない。カレンはちょっと考えたあと答えた。
「それは、わたしではなくて、もうひとりのペトラだと思うわ」
「もうひとりの……わたし?」
カレンはうなずいた。話を続ける前に、少し考えを整理する。
「ひとりをふたりに分けないと二つの作用は使えないのかもしれない。どう思う?」
「それじゃ、まるで、わたしが二重人格保持者になったみたいじゃない?」
「あれをやっている時に、あなたは連携できたと言っていたわ。その時は意味がわからなかったけれど、ペトはそのもうひとりと話をしていたの? 力を使っている間に」
ペトラは目を閉じてしばらく考えているようだった。
「うーん、ふたりともたぶんフィンの中に入って、なんて言うか、対話をしていたような気もしないでもない」
「それなら、やはり、ひとりで二つの作用を使うのじゃなくて、もうひとり現れて別の作用を使うってことだと思うわ。まあ、意図的に作られたふたりよね」
「そういえば、よくは覚えてないけど、なんか現実界から隔離された空間に閉じ込められているみたいだった」
カレンは自分が時々見る夢のことを考えた。
ペトラはじっとこちらを見ながら、考えを読み取ったかのように言った。
「カルの異世界もあんな感じなの?」
カレンはあらためてペトラを眺めながら考えた。二つの作用と異世界。関係あるのだろうか。
いくら考えてもわからない。気を取り直して現実の問題に対処することにした。
「さて、ちょうど夜明けになる頃合いよ。起きられるならフィオナを見に行きましょうか」
「はい」
そのあと小さな声が続いた。
「カレン……お姉さま」
ペトラは、勢いよく立ち上がったもののちょっとよろめいて、壁にドンと腕を打ち付けた。
「ほら、気をつけて。ここで頭をぶつけて、また失神したりしないでね」
「はい、お姉さま」
「ほらほら、それくらいにして行くわよ。さあ、手をつないで」
「うーん、やっぱりちょっと違うな……」
首を傾げたペトラはカレンの後ろ手に引かれてついてきた。
「外に行くの?」
「昨日の場所にテントを張ったのよ」
「あ、そうなんだ。それで、フィンの具合はどうなの?」
「昨夜はこん睡状態のままだった」
ペトラはうなずくと、ゆっくりと通路を渡って桟橋を歩き出した。
***
「おはよう、ソラ。フィンの容態はどうなの?」
「ペトラさま。まだ、こん睡状態ですが、見た限りでは一応安定しています。もう船に運んでも問題ないでしょう。早くセインに連れていって病院に入れたほうがいいですから」
すぐに、カイとクリスが現れて、フィオナを船に運ぶ段取りと、出発の準備を始めた。セインから先に行く部隊も昨夜遅くに戻ってすでに乗船を完了していると聞く。
やがて、船は静かに桟橋を離れるとセインに向かった。
***
カレンはペトラと並んで、狭い船室で遅い朝食を摂っていた。
「ねえ、そもそも、昨日は何があったの? どうしてあそこにいたの?」
ペトラは口にパンを押し込んでもぐもぐしたあと答えた。
「ごめんなさい。建物か船で待っているように言われたので、あのあと、ダンに会いに行ったの」
「え? ダンの船室に?」
「そう。ちょっとおしゃべりしようと思って」
「ひとりでじゃないでしょうね?」
ペトラは首を振った。
「いいえ、ひとりで行くなと言われていたので、フィンを連れていったの。ほら、別の人がいれば大丈夫だと思って」
カレンは眉を上げた。フィオナでは役に立つと思えない。作用者か兵士じゃないと。
「それで?」
「最初は雑談してたんだけど、ロイスの話とかシャルのこととか。それから……」
「それから?」
「窓の外を見ていたダンが言ったの。誰かがこっちに来るって」
「え? 船室の窓から人が見えたの?」
ペトラは首を振った。
「何も。でも、ダンが急におどおどしだしたのがわかったから、また、襲撃されるのかと思ったの。それで、船の上に出て見回したら、桟橋の左のほうに何か人影が見えたような気がしたの」
「それで、船から下りて確かめに行ったのね?」
ペトラは残りのパンを全部口に押し込んだ。目が覚めた時に食べたばかりなのにすごい食欲だ。まあ、あれだけの力を使ったのだから、まだまだエネルギー不足に違いない。
お茶をごくごくと飲んでから答えが返ってきた。
「はい、ごめんなさい。すぐに何も見えなくなったし、別に危なくはなさそうだし、そばには大勢の兵士がいるから。きっと、何かを見間違えたんだろうけど、念のため確認したほうがいいと思ったの。それに、誰かに話しても曖昧な話には取り合ってくれないだろうし。ね?」
こちらを見上げる。
カレンはしばらく絶句した。気を取り直すと別の指摘をしてみる。
「よく抜け出せたわね?」
ペトラは小さく肩をすくめた。
「そこは、クリスとディードを相手に鍛えたのが今になってとても役立って……それに兵士たちは自分たちの……」
カレンが眉をひそめると、こちらを見ていたペトラの声はしだいに小さくなり、しまいには、黙ってうつむいてしまった。
ペトラはもう十分に後悔しているようだ。
「でも、あなたはすごく頑張った。本当によくやったわ。それはとてもすばらしいことよ」
ペトラは顔を上げると少しだけ微笑んだ。
「ありがとう、カル」
クリスの話では、貫通弾はらせんを描いて飛ぶらしい。近距離だと文字どおり貫通するだけだが、離れたところから撃たれた弾は大きな穴を穿つ。防御フィールドを通過する際には震動によってさらに広がる。
それは、つまり、もしペトラが普通の防御者に守られていたら、フィールドを突き抜けた銃弾は、狙いが急所から外れていても、その向こう側の人を即死に追いやっただろうという話だった。
いずれにしても、あの状態から生還したフィオナは大変な幸運に恵まれたことになる。
「今なら、もう一人前食べられそう」
「これ、あげる」
目の前の皿を差し出す。
「いいの? ありがとう。遠慮なくいただくわ」
あっという間に、皿の中身は全部ペトラの口の中に消えていった。
やっと満足したような声が返ってきた。
「だいぶ満たされた。まだ食べられるけど」
そう言うと、そのままベッドに転がり込んだ。
「寝るわ」
そういう声が聞こえたあとすぐに静かな寝息をたて始めた。
ペトラの体に毛布をかけると、その寝顔を眺める。なんか顔つきがぐっと大人びたように見えるのは気のせいかしら。
急にどっと疲れを感じて、カレンも背中を壁に預けてうつらうつらし始めた。




