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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第3章

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71 生成と破壊

 カレンは目を閉じて、ペトラの右手に意識を集中していた。最初は抵抗があったものの今はすんなり流れている。

 ふと自分の右手に視線を向けた。フィオナには最初からすんなり力が流れていった。それは彼女が作用者ではないからだろうか。それとも彼女が気を失っているからかしら。


 そういえば、こうやって他人に力を投入するのは初めてではないような気もしてきた。前にもこうやったことがあるのだろうか。


 目的のない作用。ふと浮かんできた言葉の意味を考える。

 左手からは精気を流し込み、両方に力を注いでいる。感知力を送り込んでいるわけではない。つまり、ほかの人に力を分けることができる。そういうことかしら。

 よくわからないけれど、ほかの人とつながるやり方にはだいぶ慣れてきた。


「なくなったところは見つけた」


 ささやきが聞こえた。


「血管はどうやって作るの?」

「それはわかりません。わたしは作用者ではないので。何か組織の合成方法について学習しませんでしたか? 無害化した本人の組成物は十分あるはず。それを使うはずです」


 声が途絶えたので顔を上げてソラを見つめる。彼女がまた話し始めたのでもう一度左手に神経を集中する。


「なんでもいいから太い血管をつないで血の通り道を作ればいい。あとから手術でいくらでも修正できるので、今はとにかく死なないようにすること、それも急いでやらないと。血のかよわない時間がこれ以上長引くとまずい」


 ソラは診断器を(のぞ)き込んでつぶやいた。


「代謝機能が恐ろしく低下している」

「わかった。やってみる」


 ペトラの声はほとんど聞き取れなかった。彼女の顔から汗が大量に滴っていた。

 左手からペトラに力を注ぎ込みながら、役に立つかどうかわからないままに、右手からはフィオナにも作用を入れ続けた。


 そういえば、フィオナを狙撃した人はどうなったのだろう。まだ近くにいるのかしら。下を見て考える。感知を使いたいけれど、今は両手とも使っている。


 そこを使えばいい。


 え? 自分の思考に面食らう。


 ちょっとして気がつく。そうか、力髄(りきずい)……作用者の根源たる臓器は心臓の左下にある。そこから両手まで伸びる太い力絡(りきらく)以外にも、無数の細い力絡がすぐそばの表面までつながっている。


 どうして知っているのかわからないけれど、この密集した部分は手の代わりに使える。とにかく意識を力髄に集中した。残っている作用力を左胸に集めて流し込む。


 ……できた。すばやく感知の手を伸ばす。両手を使うよりすんなり広がる。その理由もわかった。確かにここは使いやすい。

 手の届く範囲に不審な作用は何も感じなかった。山の上にも湖の向こう側にも。

 安心して力を引っ込める。



***



 永遠とも思える長い間、ペトラには何も変化がなかった。

 やっとつぶやきが聞こえてきた。


「少しできた、まだ薄いかも。破壊者とうまく連携できた」


 連携? ペトラの中で二つの力が同じところに作用しているということなの?


「ペト、左手は大丈夫? 手がふらふらしている」

「少し忘れてた……これで大丈夫。戻した」

「ゆっくり輸血を始めてくれ」


 診断機を見ていたソラが顔を上げると言った。


「こっちの左腕からだ」

「ペトラさま、血が入り始めるとまたいたる所から(あふ)れてきます。他にもたくさんの損傷があるはず。足りなければ、血を除いて変成させたものも使って順番に壁を修復します。肺の本体もその辺の組織もこの際どうでもいいです。どれも一部でも残っていれば生きられます。とにかく肺の中を通過するようにすること。これからは単調な作業の繰り返しです。できるだけ太いところから始めてください」

「はい」


 ペトラの声はほとんど聞こえなかった。

 再び、長い時間が過ぎていった。



***



「向こうで貫通弾を発見しました」

「貫通しててよかった。体内に止まって砕けていたら医術者でもどうしようもなかった」


 カイの声とソラの答えが聞こえた。


 もう大丈夫なのかしら?

 目を開いてソラのやっていることを見る。右手はフィオナから離した。顔を上げるとここが強い(あか)りに照らし出されているのがわかる。振り返るとあたりが真っ暗だった。


 しばらくフィオナの胸を調べていたソラは言った。


「うん。今のところは大丈夫だ。これから外側の手当てにかかる。ペトラさま、手を離してください」

「はい」


 つぶやくペトラの、こわばった両手をカレンはつかんで持ち上げた。ペトラが急にぐったりして寄りかかってきたので、体を引き寄せ抱きとめた。

 誰かの手が伸びてきてペトラの両手を拭うのが見えた。ツンとするにおいが鼻の奥を刺激する。


 ペトラはうっすらと目をあけるとささやいた。


「カル? わたし、できてた?」


 カレンはペトラを後ろから支え直して抱きしめると耳元で言った。


「よく頑張ったわ。本当にできていた、ふたつとも」

「カルには最初からわかってたの? わたしが両方できること?」


 当然、そんなことができるとは知らなかった。でも、やってみるしかなかった。


「もちろん、信じていたわ。あなたはイリスのペトラなのだから」


 ペトラは体を起こすとくるっと回って両手をカレンの背中に回した。カレンはペトラの頭を引き寄せると大きく息を吸い込んだ。ペトラの髪は血のにおいがした。



***



 クリスがこちらをじっと見ているのに気づいた。ずっとそこに立っていたのかしら。フィオナとクリスはともに長い間ペトラを支えてきた。


 その彼の表情はとても穏やかだったが、なぜかアリッサの顔が浮かんでくる。わたしが彼女を困惑させたときに見せるのと同じ表情が。


 ソラは何度も首を振っていた。


「ほとんど奇跡に近い。脈は恐ろしく遅いが安定しています。呼吸はこの機械が補助している。まだ、どうなるかわかりませんが、とりあえず命は取り留めたようです。でも、他に影響がないかどうかは、病院で調べないとわかりません。それでも、今日はこのまま動かさないほうがいい」


 最後はカイに向かって言った。


「わかった。ここで野営する準備をさせよう。モリー?」


 それまで近くに立ったままあたりを監視していたモリーはうなずくと駆け足で船に向かった。


「よくやった、ソラ。おまえが医術補助者で本当によかった」




 やっとクリスから震えるような声が聞こえた。


「フィオナは大丈夫なのですね? よかった。本当によかった」


 見れば、クリスの目が潤んでいるようにも見えた。

 答えるソラの声は手放しで喜べるものではなかったが、軍医としては当然のことかもしれない。


「意識が戻るまでは、なんとも言えません。あまり期待しないほうがいいかもしれません。どこか頭とかに障がいが残る可能性も考えておかないと……それにしても驚きだ。またも」


 カレンのほうを見ながらの説明の最後は、ほとんど聞き取れなかった。


「ペトラさまは気を失ってしまわれましたか? 力を使い果たしたご様子ですね」


 そう言いながらカイはペトラのそばにしゃがみ込んだ。


「それにしても、カレン、ありがとうございました。すごいものを見せつけられました。こっちは、フィオナを狙撃した犯人を取り逃がしました。塔を襲撃した連中も行方知れずです。残念ながら」


 クリスが疑問を口にした。


「塔の近くにいた者たちとペトラたちを襲ったのは同じ人たちでしょうか」

「関連あるのかどうか、今はまだわかりません」


 カレンは膝の上で身動きひとつせずにこんこんと寝ているペトラの髪を機械的に撫でていた。


「ペトラはわたしが船に運びましょう」


 クリスがそう言ってくれたので助かった。足がしびれて限界にきたところだった。




 ペトラを両手に抱きかかえたクリスの後ろについて行きながら、カレンは考えていた。

 どうして、ペトラを撃ったのだろうか。アリシア、ユーリ国主、ペトラと襲われたが、今回もあの人たちがやったのだろうか。

 今日も貫通弾を使用した。ということは……。


 いや、そもそも、どうしてペトラとフィオナはあんなところにいたのだろう? 船かあの建物の中にいるはずだったのに。そうでなければ、銃で狙われたりしなかったかもしれない。

 もしかして、あの強制者が近くにいる? シャーリンのように強制力で連れ出された?


 カレンはあたりを慎重に見回した。この辺に隠れるところはない。ほぼ真っ平らだ。直接見えるとしたら山の高いところだけど、いくら何でも遠すぎる。

 それに、強制力ならほかの方法もあるわけだし。いや、そもそも強制力は全然感じなかったことを思い出した。


「クリス、どうして、ペトラとフィオナが出ていくのを誰も止めなかったのでしょう?」


 クリスは歩みを止めるとペトラを抱きかかえたまま振り向いた。


「そうなんです。あとで調べないと。というか、ペトラが目を覚ましたら直接聞くのがいいと思いますが……」


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