62 新しい旅と道連れ
翌朝、アリシアの部屋に皆が集まると、すぐに彼女が話し始めた。
「昨日も言ったけど、ダンはできるだけ早く対抗者に持続強制を取り除いてもらうべきだと考えています。わたしたちにとっても本人にとっても、見えない危険を排除するためにそれが一番いいと。ただ残念ながら今、近くに対抗者はいない。でも、このためだけに誰かをここに呼ぶゆとりはないの」
アリシアは隣に立つサラをちらっと見た。
ペトラが何か言いたそうなそぶりを見せたが、アリシアの次の言葉に口を閉じた。
「その代わりに、別の案を考えました」
アリシアはカレンを見ながら説明した。
「オリエノールは、ウルブ北方中立地帯の阻止線の近くに、部隊を派遣しているのは知っているわね。いわゆる三国混成軍だけど、そこの防御指揮官はうちの力軍から出している。カティアは少し変わり者だけど、とても優秀なのよ。それに、彼女の、ああ、友人が対抗者なの。その人にお願いして、ダンにかけられた深層指令を解除してもらうのが、今できる最善最短の策だと思う」
すぐにクリスが指摘した。
「その対抗者ですが、我が国の者ではないということですか?」
「そこが、ちょっとした問題なのだけど」
アリシアはクリスを見て肩をすくめた。
「その対抗者の所属がインペカールだということが」
「え? インペカールの人に強制解除を頼むのですか?」
絶句したクリスはしばらくアリシアの顔を見つめた。
「そうよ」
「しかし、インペカールは我々の……」
アリシアはパッと手を振った。
「中立地帯は安全が確保されているし、とりわけ、混成軍では、三国の誰でも自由に動けます」
「そうではなくて、インペカールの方がオリエノールのために動いてくれるとは思えませんが……」
「まあ、その可能性もなくはないけど、あのカティアの友人だというくらいだから何とかなるかなと思っているの」
ずいぶん楽観的に考えているように見えるが、アリシアはそのカティアという人をとても信頼しているらしい。
再びカレンを見てアリシアは話を続けた。
「それで、カレン、ダンを連れてカティアに会いに行って、事情を説明してもらえば、何とかしてくれると思う。やってもらえる?」
カレンは即答した。
「はい、もちろんです。その場所がまだよくわかっていませんが、そこまでは川から行けるのですか?」
「セインから、さらに北に向かって一日くらいのところに小さな町があってね、そこからは車で行く必要があります」
ペトラの意気揚々とした声が割り込んだ。
「わたしも一緒に行くわ」
「だめよ」
カレンはアリシアに目をやりながらきっぱりと言った。
「ペトは安全なここに滞在するのがいいわ。昨日聞いた話を忘れたの?」
「うん、忘れた。それに、これは乗りかかった船よ。わたしも絶対に行く」
アリシアは静かに声を出した。
「何が乗りかかった船よ。ペトラが一緒だと邪魔になるでしょ」
「そんな子ども扱いしないで。わたしはもう大人よ。昨日そう言われたような記憶があるのだけど。だから、自分のすることは自分で決めるわ」
アリシアの口からため息が漏れた。
ペトラは立ち上がって主張した。
「クリスに一緒に行ってもらうから、いいでしょ。大丈夫よ。さっきウルブも中立地帯も安全だと言ったじゃない。わたしも何か役に立ちたい。ぼーっとここでみんなの帰りをただ待ってるのなんかいやよ」
アリシアはしばらく顔を天井に向けていたが、いきなり首をやや傾げてペトラの顔をじっと見つめた。
カレンはペトラの横顔を眺めながら考えた。彼女の顔は真剣そのもの。ミンを出たとき、単に冒険を望んでいた女の子は、もうどこにも存在しない。
アリシアは突然カレンのほうを向くと尋ねた。
「カレン、どう思う?」
いきなりの質問にびっくりした。
「わたしにお尋ねですか?」
くるっとこちらを振り向いたペトラの、まじめな顔をちらっと見たあと、ゆっくりと答える。
「わたしが思うには……アリシアさんの許可があれば、一緒に行ってもらいたいです。国主との約束もありますし……外の世界を見るのも、今後の政治活動に、いろいろと役立つときがあるかと……」
ペトラは顔をしかめた。
「これに政治は関係ないと思うけど。それで、父との約束って何?」
その向こうでアリシアはうなずくと、いやにあっさりと言った。
「わかりました。それでは、ペトラも同行してちょうだい。ただし、いいこと? カレンとクリスの言うことには必ず従う。わかった?」
ペトラはすばやくうなずいたが、すぐにこちらを見た。
「ねえねえ、カル、約束って何のこと?」
「え? 前に話したでしょ。ペトの話し相手になることとか……」
「ああ、そのことか……うん」
振り返ってアリシアに目を向けると、高らかに宣言した。
「わたしはカルのことを姉と思って、何でも言うことを聞く」
「姉って、それはアリシアさんのことでしょ。いったい何を言っているの?」
クスクス笑う声がして、そちらを見ると、アリシアの体が小刻みに震えていた。
「相変わらず一途ね、ペトラは。カレン、気をつけたほうがいいわよ。次は、さらに昇格するかもしれないわよ……もう目に見えるようだわ」
そのあと軽やかな笑い声が続いた。あっけにとられて体を震わせるアリシアを見つめた。いったいどういう意味かしら。
再度ペトラの顔を見ると、きわめてまじめな表情をしていた。いやな予感がする。
「お姉さま……とてもいい響き。ああ、でも、そうではなくて、本当は……」
ペトラの声はいささか甘くて怪しげな雰囲気をたっぷり出していた。
カレンは慌てて声を上げた。
「あのね、ペト。わたしは国主と……」
「真実を追究する者の努め」
ペトラが指を振り回すと、カレンは口を開いたまま黙った。
「カレン、ごめんなさいね。ペトラの独特な性格はとっくにわかっていると思うけど、気をつけてね。何しろ、急に突拍子もないことを言い出すから。暴走しないようにしっかり見張っておいてくださいな」
ペトラはアリシアをつんと見たあと声を上げた。
「そうとなったら、まず旅の準備ね。アリー、軍資金を少しちょうだい。わたしたち、手ぶらなので旅支度をしないと」
「ああ、そのことだけど、フィオナが何とかしてくれるわ。その軍資金の件も含めて。それに必要な装備はここの補給部から支給します」
「あ、そうなの」
拍子抜けしたような声が聞こえた。
「ああ、それに、クリスだけでは不安だからフィオナにも同行してもらいます」
「え? フィンも?」
フィオナをわざわざ呼び寄せたということは、彼女は思っていた以上にペトラにとって重要な人に違いない。つまりは、ペトラがわたしやダンと一緒に旅に出るのも、最初から想定済みだったということ?
ペトラに目を向けにこにこしているアリシアを見ながら、カレンの頭の中をいろいろな想像が駆け巡っていた。
「じゃあ、フィンを探しに行こう。どうやら長旅になりそうだからいろいろ用意しないといけないね」
ペトラは後ろ向きに歩きながらカレンと目を合わせた。
「フィオナはこれまでもペトの旅行に一緒に行ったことがあるの?」
「ん? フィンが? わたしはこんな旅に出たことはないよ。今回がたぶん初めて」
「へえ? そう」
浮かれているペトラを見ながらなぜか不安感が増した。やはり、ペトラの同行は断るべきだったかしら? ちょっぴり後悔の念が湧き上がり、カレンは首を振った。
退出する前にサラに呼び止められ、何かの装置に両手を当てさせられる。
権威ある者による認定が遠のいたので、替わりの身分証を作るためだという。確かにそういうものがあれば、執政館とかでも出入りが便利になるに違いない。
***
再び、ダンの部屋まで様子を見に行き、北への旅の件を説明した。戻ると、宿泊所の前でクリスとフィオナが話をしていた。
「ねえ、フィン。フィンも一緒に行くんだって」
ペトラが車の窓をあけて叫んだ。
「はい、ペトラさま、どこでもお供いたします」
「これから旅に必要なものを用意しに行くんでしょ?」
すぐにクリスが答える。
「ここで、標準的な装備品はすべて用意してもらえるはずです」
「えーっ? 買い物にも行くのかと思ってた」
「旅に適した服をミンから持参してきました。カレンさまの服も適当に選んであります。後ほど確認してください」
「えー、そうなの。それミンをたつ時に言われたの?」
「はい、アリシアさまの副官から、持ってくるものについていろいろ指示されました」
これを聞くとペトラは黙り込んだ。
やはりね。アリシアの先読みは相当なものと確信した。
***
車は補給部のある建物に向かって走り出した。前に座るクリスに尋ねる。
「アッセンはけっこう大きい町ですね」
「そうですね、海に近いいくつかの港町を除けば、セインについで大きいんです。北鉱山の麓のマイセンがその次かな」
「マイクの船で行くのでしょうか?」
「いや、祖父には家に戻ってもらいます。ここからは、軍の輸送艇に乗せてもらえる手はずになっています。もちろん、セインまでですが。そこで別の船を調達してくれるはずです」
「そうですか。途中でリセンとロイスに寄ることは可能でしょうか? お世話になったマーシャとそれにドニにも、挨拶というか今までの経緯を報告できるといいのですが」
「たぶん、問題ありません。そういえば、ロイスの船を引き上げるための作業船が向かうと聞きました。沈んだ船を放置しておくわけにはいきませんから。船が引き上げられれば、船内に残っている皆さんの荷物を回収できると思います。明日リセンにつく頃には拾い上げられたあとかと」
「なるほど、わかりました」
船のことをすっかり忘れていた。これで船内に残された大事なものを取り戻せる。よかった。
***
突然ペトラが耳元でささやいた。
「ねえ、昨日あそこで消えて以来、シアが見えないね」
手で口を覆って小声で答える。
「シルに帰っているの。時々あそこに戻らないといけないらしいのよ」
「へーえ、そうなの。どうして?」
「よくわからないけれど、幻精はシルから長期間離れていることはできないらしいの。それで、時々いなくなるわ。他にも理由があるのかもしれないけど」
「ふーん。戻って何をするんだろう?」
考え込むペトラをよそに、これからの旅を考えた。
リセンに寄って沈んだサンチャスからわたしたちの荷物を回収して、ロイスに夕方着いてそこで一泊。今度乗る輸送艇は、夜間は走らせないらしい。なぜかしら?
その翌日セインに向かい夕方には着く。そこからさらに二日かけて前線基地に到着すると知らされた。
こう聞くと、わたしたちを破滅させようとしている紫黒の海が、果てしなく遠くに思える。差し迫ったこの大陸からの脱出が、自分たちが死んだあとの遠い未来にさえ想像される。実際はどんなに遅くとも十年以内にと言われているのに。
前の席では、クリスとフィオナが楽しそうに話をしていた。そういえば、フィオナがこんなにしゃべっているのを見るのは初めてだわ。
隣で目を閉じてブツブツ言っているペトラをしばらく眺めながら考えた。真実を追究する……か。どんな真実なのやら。




