61 ダンとの再会
カレンとペトラは、建物の外で待っていたふたりの兵士に案内されて、車に乗ってダンのいる建物に向かった。
窓から外を見ていたペトラがしゃべるのが聞こえた。
「なんでフィンを呼び寄せたのかな?」
「ペトのいくところにはいつもついて来るんじゃないの?」
「そんなことはないよ。フィンは、一応は執政館付きということになってるし」
ペトラはつぶやいたが、突然こちらを向いた。
「ディードがいなくなった代わりかなあ」
「それは、呼び寄せたときには知るわけないから、別の理由があるはずね」
車は何もないところをかなり走って、一つの建物の前に止まった。降りて周りを見渡すと、そこは駐屯地の外れのようで、あたりはほぼ真っ暗でしかも閑散としていた。
入り口で別の人に建物の中に案内された。作用者だった。そこはただの宿泊所としか見えず、普通の部屋が並んでいるだけだ。留置場にでも入れられているのかと心配していたが、そうではないことがわかり安堵した。
部屋に入ると、ダンが窓際の小さな机の前に座って何かを読んでいた。
扉の開く音に気づいたのか、こちらを向くとその顔に一瞬だけ笑みが浮かんだ。すぐにいつものしかめっ面に戻ると立ち上がって近づいてきた。ペトラの前で立ち止まると姿勢を正し深々とお辞儀をした。
「ペトラさま、お久しぶりでございます」
「ダンもとりあえず元気そうで安心しました。ここが普通の部屋でよかったです。留置場にでも入れられているのかと思ってました」
ペトラはそう言いながら部屋の中を見回して検分しているようだったが、最後にはひとつうなずいた。
「はい、姫さま。行動の自由はまったくありませんが、生活に不自由はないです」
ダンはカレンに向き直ると再び深々とお辞儀をした。
「カレンさまもご無事で何よりでした。いろいろとご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」
カレンは首を横に振ると答えた。
「サンチャスが攻撃された時には、助けていただきありがとうございました。おかげさまでこのとおり元気にしています」
ダンはうなずいたものの、少し悲しそうな顔で続けた。
「ペトラさま、わたしのしたことでアリシアさまに大怪我をさせてしまって大変申し訳ありませんでした。船が襲撃されたあとに、リセンではもっと注意して行動すべきでした」
「強制者のなせることよ。たぶん、ダンにはどうしようもなかった。あの力の前では誰も」
ダンはペトラからカレンに目をやり尋ねた。
「それで、シャーリンさまは?」
すぐにペトラが答えた。
「ああ、シャルは、ウルブに向かってるわ。途中で見つからなければね。アリーが言うにはしばらく国外にいるようにですって。ウィルもシャルと一緒に行ったわ。彼もまったく元気だから安心して」
ペトラは、再び何もない部屋を見回すと顔をしかめた。それから、カレンの手をつかむと引っ張って、ベッドに向かって歩き腰を降ろした。ダンにも椅子に座るように促した。
「それで、強制者のことを詳しく教えてちょうだい。実際は何があったの?」
「かしこまりました。しかし、どこからお話しすればよいのか……」
「リセンで車に押し込められたあとよ」
「なるほど。あのあと目隠しをされてしばらく車で走りました。そうですね、二時間くらいといったとこでしょうか。それから、どこかの家の中で、女性と会いました。若い方でした」
「黒く短い髪の?」
「はい、さようです。そこで、シャーリンさまのことをいろいろ聞かれました。それから、ご当主のこと、とりわけ、シャーリンさまのお母上のことを」
シャーリンの両親? 彼女の母親についてはシャーリン自身もちゃんと聞かされていないと話していた。ダンは知っているのかしら?
「何も知らないと答えました。彼女はすぐにいなくなりましたが、少しすると別の人が現れました。その男性はシャーリンさまを確保したと言いました。そのあと、また同じような質問を受けて……それから……」
ダンはしばらく宙を睨んだ。
「それから?」
「そのあとのことは覚えていないのです。申し訳ありません」
ペトラはカレンを見た。がっかりした表情が見え、確認するかのような言葉が聞こえた。
「そのあと、強制者にいろいろ指示され、記憶を消されたってことね」
でも、最初の強制者に会って質問されたところの記憶は消されていない。どうしてかしら?
ダンは黙って考え込んでいた。
いや、記憶は消すことはできないわ。破壊しない限り。突然、封印という言葉も浮かんできた。破壊と封印? なんでそんなことを思いついたのかしら。それともこれはわたしの記憶なの?
ちょっと吟味したあと言葉を選んで話してみた。
「消されたのじゃなくて、たぶん封印されたのよ。記憶を呼び起こせないように。記憶は消えたわけではないと思うけど」
自分でも今の説明がいささか人ごとのように聞こえてしまう。
もしかして、わたしの記憶も消されたの? 強制者によって。わたしも何か指令を帯びていたりしたら……。気がつくとペトラがこちらをじっと見ている。
ぽつりと口にする。
「わたしも記憶がない……」
「カル、それは違うと思うけどな。強制者なら、過去の記憶を全部消したり、つまり、封印したりしないよ。そんな必要ないもん」
それはそうね。大量の記憶を封印するのはきっと大変な労力が必要なはず。ちょっと考えすぎだわ。いくぶんほっとしてうなずいた。
「アリーが、対抗者ならダンを元どおりにできるって。でもいま近くにいないんですって」
「はい、姫さま。そのことはお聞きしています。何とかできる方がここまで来てくれるまでは、この部屋に籠もって過ごすしかないようです」
そう言ったあと、こちらに顔を向けた。
「それで、カレンさまにお願いがあります。今度ドニに会ったら……」
「もちろん、ロイスに戻ったら皆さまにちゃんと事情をお話しします」
カレンは腰を上げると、ダンのところまで近づき、さっと立ち上がったダンの背中に手を回して抱きしめた。
「大丈夫です。できるだけのことはします。どうか安心してください」
ダンの肩越しにペトラが笑みを浮かべているのが見えた。
「カル、その服……」
慌ててダンから離れた。
「すみません。山を転げ回ったもので服が泥だらけで」
「大丈夫です。さあ、着替えにいらしてください」
「はい、明日また来ます」
いつの間にかそばにいるペトラに手を引っ張られ、彼女に引きずられるように扉から出た。
再び車に乗ると、来た道を戻り始めた。
「強制者は、強制力を使うほかに、本当にそんなに簡単に人の記憶を操作したり、後々の行動を命じたりできるの?」
「わたしにはわからないけれど、どうやら聞くところによるとそうみたいね。二度と会いたくないわ」
さらに自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「どっちもごめんだわ」
それを聞きつけたペトラがこちらを向いた。
「どっちもって?」
「昨日の……」
そう言いかけて自分でも驚いた。
「そうか、まだ今朝のことだったわ。あの強制者と、それから、リセンで部屋に閉じ込められている間に出会ったレオンという人。シャーリンは両方に従わされてしまった。とても酷い経験よ、きっと……」
「それはつまり、カルもそれを受けずにすんだ?」
カレンはさっとペトラに顔を向けた。
「何のこと? 強制力?」
「もちろん、それよ」
「強制力を受けないのは対抗者と強制者だけよ。わたしはどちらでもない」
「でもあのとき、ディードの銃を使ったでしょう」
「あれは……確か……強制力が襲ってくる前だわ」
「ふーん、そうなの?」
「ペト、いい? わたしはひとつもち」
「はいはい、よくわかってますよー」
ペトラは満面の笑みを浮かべていた。肩がかすかに揺れている。
「ペトったらもう、からかわないで」
強制力を使われても、その人に意識はあるし、おそらく周りのことも見えているはず。あの時、わたしが何をしたのかはペトラも知っているようだし。もちろん、向こうにもわかってしまったはず。
これは本当に、あの人には遭遇しないように気をつけないと。
今度は見覚えのある、一晩だけ泊まった部屋のある建物の前に車が止まった。しかし、先日とは違って階段を上がって別の部屋に案内された。中から声が聞こえる。扉が開くと、フィオナのほかに小さな女の子がいた。
その子がさっとこちらを振り返るなり歓声を上げながら走ってきた。
「ペトラ、フィオナにお菓子もらったの。さくさくのお菓子。いっしょに食べよー」
ペトラの手をつかんでぐいぐい引っ張っていく。
「いいねえ、マヤ。わたしはおなかぺこぺこ。食事の前にマヤのお菓子を一つもらおうかなあ」
マヤはアリシアの行くところにいつもついて行くのだろうか? ダニエルのいる国都にではなくて。
駐屯地だとほかの子どもはいなさそう。よくわからないけれど、理由があるのかな。おそらくもう学校にかよう歳ではないかしら。それとも、おそばで面倒を見る人の他にも専属教師とかがちゃんといるのだろうか。
そんなことを考えていたら、右手が強く引っ張られているのに気がついた。見下ろすと、マヤの大きな青い目と向き合った。
とたんに自分の中の作用が膨れ上がるのを感じる。何なの、これ? アリシアに会ったときと同じ……。
何度も深呼吸して心を落ちつける。今日は少しおかしいわ。歩き回って疲れたせいかしら。
「カレンもいっしょに食べよー」
「はい、マヤ。あ、はじめまして、マヤ。カレンです」
「うん。知ってるよ。ペトラお姉ちゃんから聞いた」
「カレンさま、先に食事にしますか? それとも湯浴みがいいですか?」
「こんばんは、フィオナ。そうね……」
遠くからペトラの声が割り込んだ。
「先に食べたい。そうじゃないとわたし倒れてしまう。足にエネルギーを充填しないとこれ以上一歩も動けない」
「はい。では、その役に立たないお足で隣の部屋へどうぞ。すぐに運んできます。もちろん食事は駐屯地の晩食ですけれど」
「今なら、何だって食べられちゃうよ」
フィオナは隣の部屋に消えていった。マヤも一緒にいなくなった、と思ったら、すぐにフィオナの声が聞こえた。
「マヤさま、もう寝る時間をとっくに過ぎています。お付きの方があちらでお待ちしていますよ」




