60 アリシアの悩み
「ミンはどうなってるの?」
ペトラの質問に、アリシアは宙に目を向けながら答えた。じっとしたまま、カレンはふたりの会話に耳を傾ける。
「国主暗殺の件は、当分、公にはしないつもり。わたしがミンに戻れるようになるまでは。この足が元どおりになって歩けるようになれば……」
「足以外は大丈夫なの?」
「医術者がすばやく処置をしてくれたおかげで、足を除けばそれほど問題なくなったわ。まだ、腕が不自由だけど。足のほうもあと何日かすれば普通に動かせるはず」
「ダニエルは大丈夫なの?」
「もちろん。でも、他から援軍を出さないとたぶん収拾がつかない。サラとランセルには国都に戻って対処してもらうつもり。あなたたちの行方がわかったから、次はそっちを何とかしないと」
「とにかくペトラが無事でよかった」
アリシアはペトラの両手を取ってぎゅっと握ってから言った。
ペトラはわけがわからないという顔を見せた。
「わたしはあの強制者に狙われてはいないし、それ以外でも危ないことになったわけでもないし。それに……」
わたしたち、最初はあそこで強制者が待ち構えていると思ったわ。今頃、森の中をさまよい、とんでもないことになっていたかもしれない。そう気づいたとたんに、背筋に冷たいものが走った。
「父が亡くなり、わたしが死んだら、ペトラがこの国の舵取りをしなければいけないのよ。わかっている?」
「何を言ってるの? 縁起でもない……」
ペトラは、そこで気づいたようだった。
「今、なんて言った? 次はダニエルでしょ。だって、ダニエルが第三国子で、わたしは……」
アリシアは首を横に振った。
「国義の書を読んだことがあるでしょう? 国子の順番と継承順位は関係ないわ」
「そんな本に興味ないし」
ペトラの簡潔な答えに、アリシアはため息をついた。
「ダニエルじゃないならマヤでしょ?」
期待するような声にアリシアはとどめを刺した。
「何を言っているの? 成人だけよ」
「わたしだって成人じゃない」
「今はね。でも、もうすぐでしょ」
「それじゃあ、ダニエルに譲るわ」
ペトラは頑固に主張した。
アリシアからまたため息が漏れた。
「理論上はそうできるけど……」
ペトラは満足そうにうなずいた。
「とにかく、アリーは死なないし、わたしは政治に関わらない」
ペトラがまくし立てたあと、あたりを沈黙が支配した。
その場の雰囲気に耐えきれなくなっておそるおそる尋ねる。
「誰がアリシアさまに危害を加えたのでしょうか? それに、あの襲撃はどこが……」
アリシアがこちらにほっとした顔を見せた。
「まだわからない。最有力は反体制派ね。きっと、その強制者たちにつけ込まれたってとこでしょうね。無作用主義者の一派という可能性もゼロではないけれど、たぶん、今回の件には関わっていないと思う。それでも、彼ら信者はオリエノールでもウルブでも広く浸透しつつあるの。インペカールはもとより西の国々にもね」
「西にも? でも、西国はいわば作用者の王国でしょ。作用者が大きな力を持ってるんじゃないの?」
そう言うペトラは先ほどの問題は棚上げにしたようだ。
それに、作用力に関する調査のついでに、絶大な作用力を誇ると言われている、西の国々の事情も詳しく調べたに違いない。ペトラが出入りしていた資料室にはそんな書き物もあるはず。
アリシアはペトラに向かって説明した。
「少し前まではそうだった。でも、紫黒の海がどんどん南下してきた。そのうち、この大陸にどの国の人々も住んでいられなくなる時が来るのが、誰の目にも明らかになった。この現状を見れば、元凶となった作用力そのものを排除しようとする勢力が広がるのは必然ね」
湧いてきた疑問を口にしてみた。
「あの前線が生まれたのには作用者が関係しているのですか?」
アリシアは軽くうなずいたものの、説明は曖昧だった。
「今はなきメリデマールの作用者たちが北方で行なった実験のせい。それが、これまで言われてきた一番有力とされている説。でも、真相は誰も知らないと思う」
「そうですか。メリデマールが……」
ペトラは違う見方をしているようだった。
「でも、作用者にそんなすごいことができるの? あんな大量に無限に生み出される破壊の根源を作り出すなんて」
「メリデマールの作用者たちのことは良くも悪くも今や伝説よ。集団ですごい力を発揮したとの逸話もあるし。でも、彼らがみな大陸の中央に出かけている間に、インペカールにあっという間に占領されてしまった。それは、彼らが自信過剰だったためではないかしら」
「それじゃ、その人たちは国を見捨てて、自分たちの何かの実験に走って、そのあげく、恐ろしいものを生み出したってこと?」
「アンドエンの宣伝文句を信じるならばそうなるわね。でも、今となっては真相はわからないしこれからも謎のままかも。北に出かけた人たちは誰ひとり戻ってこなかったし」
そこで一息ついたあと小声で付け加えた。
「おかしくなったひとりを除いてね。たぶん、どの話も、何があったかについても、その唯一の気が変になった生還者の、意味不明な話から組み立てた仮説だとは思うけど」
アリシアは首を振ると手を動かした。
「話が脱線したけど、今回の事件は、今後、サラたちが念入りに調査することになります。それまでは、あなたたちもミンには戻らないほうがいい」
ペトラが尋ねた。
「それで、ウィルのお父さんは?」
「ダンは、おそらく強制者から複数の深層指令を受けている可能性があるの。こんなに手の込んだことをするとしたら、ひとつの任務で終わりとは思えない。その一つ目は爆発物を駐屯地内に持ち込んで動作させ、おそらくわたしを消し去ることね。これは、半分成功した。他にも何か埋め込まれている可能性があるの」
アリシアはそっとため息をついた。
「そういうわけで、今は彼を隔離している。サラがあなたたちをダンのところへ連れていく車を用意するから、会いに行ってちょうだい」
最後はカレンを見ながら言った。
ペトラが声を上げた。
「じゃあ、ダンはここから出られないの?」
「強制力が強い者が使うほど、深層力は長続きするの。指示が消えたかどうかもわからない。深層指令を確実に消去できるのは、対抗者とそれに当の強制者だけ」
ペトラはうなずいた。
「それじゃ、対抗者を呼んで、その強制力を消してもらえばいいのね?」
「そう簡単にはいかないの、ペトラ。オリエノールにも対抗者はいるけど、あいにくいま国内には誰もいない。みんな国外にいるから、ペトラの案はだめ。ひとりに戻ってもらう手はずを進めているけど、その人は今は国都にこそ必要なの。あそこを正常に戻さないと。まずは、国の守りを固めないと」
オリエノールにも対抗者やそれにたぶん強制者もちゃんといるんだ。でも、全員が今まで国外にいたってことは、国の諜報活動なのかしら。第四以上の作用力は存在しないっていう、あのセインの習練所での教えはいったい何だったのかしら。単に公にしたくないってことなの?
そこで思い当たった。ああそうか、その対抗者はオリエノール人ではないということかしら。そうだとすると……。
「それじゃあ……」
アリシアはペトラの言葉を遮った。
「待って。どうするかは、明日話しましょう。もう遅い。まずは、ダンに会ってあげたほうがいい。彼も心配しているはず。それから……」
アリシアは眉間にしわを寄せると続けた。
「あなたたちは湯浴みをして着替えたほうがいいわね。ちょっと臭う」
カレンとペトラは目を合わせると、お互いの乾いた泥がこびりついた服を見て苦笑いした。
「それより何か食べたい。それに、何も持たずに来たから……」
ペトラの言い分に、アリシアはきっぱりと言った。
「フィオナがあなたたちの着替えを持ってきたわ。食事も彼女が手配してくれる」
「フィンがここに? どうやって?」
「もちろん空艇でよ。みんなが雲隠れしたあと、こっちに呼んだの。あなたたちが野山を駆け回っている間に着いたわよ。ね、よかったでしょ。さあ、早く行きなさい。明日の朝、またね」




