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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第2章

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59 アリシアとの出会い

 アッセンの大きな川港が見えてきた。

 港の中を進み始めるとすぐに、何となく見覚えのある景色が前方に現れた。あそこにミアの船をつけたのは、そう、たったの三日前だったかしら。あれから果てしない時が流れたような気がする。


 サラとクリスが操舵室に入ってマイクと話をしている。

 突然クリスが何かを指差した。カレンがそちらを見ると、停泊所の前に車がいるのに気がついた。

 すぐに船の推進音が変わり、ちょっとの間、ブルブルッと振動すると、この前とだいたい同じ場所に船が横付けされた。


 ペトラとカレンは急いで下船の支度をした。といっても、ふたりとも手ぶらなので、寝ていたソファから土ぼこりを払い落とし自分の服を整えた程度だ。


 アッセンのような大きな町に来ると、人が大勢いるため、たちまち感知が飽和状態になるのを感じる。単に受け身で入ってくるにまかせても少し疲れる。体自体の倦怠感と関係しているのかもしれない。

 船室の扉が開くと、サラが頭だけを見せて早口でしゃべった。


「すぐに車で司令官のところまで行きます」


 ペトラはうなずくと、サラが扉を閉めてしまう前に、手をかけさらに大きく開いて外に出た。カレンも急いで続き、扉から踏み出したところで振り返って船室内をぐるっと見た。それから静かに扉を閉めると操舵室に回り込んだ。


 マイクはすでに下船して、船を係留する作業をしているようだ。サラが車の前で待っていた。カレンもペトラに続き急いで近寄る。乗り込む前に振り返ると、クリスとマイクが話をしているのが見えた。


「クリスとマイクは乗らないのですか?」

「あのふたりはあとから来る。さあ、乗って」




 車は川港をあとにすると、すぐに速度を上げて走りだした。少しして、ガタガタと激しい音を立てながら曲がって進み、覚えのある道を走り始めた。

 この前はずっとぼんやりしていたから、このあとどこを通ったのか、周囲に何があったのかはっきりとしない。今日はまだ宵のうちで灯りがたくさんあり、あたりの景色がよく見える。


 アッセンの駐屯地の中に入ってから、いくつかのゲートを通過した。しばらく、車は低い建物の間を走り続け、やがて見えてきた二階建ての施設の前に止まった。


 その建物の中に入ると広いホールになっていたが、妙に静まり返っている。ある部屋の前まで来ると、入り口の両脇に立つ二人の兵士のひとりが扉を開いて押さえた。

 中にも三人ほどいるのが見えた。この人たちはきっとアリシアの護衛だわ。ふだんからこうなのかしら。それとも、爆弾事件があったから?


 ここは、駐屯地といっても、あの執政館の居住棟と似たような造り。さらに内側の扉を通って中に入る。壁際に大きなベッドが置かれていた。その上には背当てに寄りかかるように座っているひとりの女性。

 額と両方の腕から肩にかけては白いテープがぐるぐる巻かれている。おなかから下と両足は毛布の中で見えなかった。


 遠くてよくわからないけど、たぶん青い目、それに短い茶色の髪。この方がアリシアだわ。

 とても不思議な人。記憶にないものを口に入れたときに懐かしいと感じた、これまでにも何度かあったあの瞬間のよう。その姿から目を離すことができない。

 思わず、足が二歩、三歩と動いて近寄ったところで動かなくなる。




 ペトラがそれまで閉じていた口を開いた。


「ああ、アリー。爆弾で大怪我したと聞いていたけど大丈夫なの? 一応、元気そうには見えるけど」


 そう話しながらベッドに向かって歩いた。


「わたしはもう大丈夫。見てのとおり元気よ。まだ歩くなって言われているけど」


 アリシアの下半身にかけられている毛布を見ていたペトラは顔を上げた。

 その声が震えていた。


「よかった。でも、お父さんが……」

「さあ、こちらにいらっしゃい」


 ペトラを手招きしたアリシアは、さっと駆け寄ったペトラの上半身を引き寄せると抱きしめた。

 その耳元でアリシアが何事かささやくのが見え、ペトラがピクリとする。


 ちょっとの間そのままでいたが、目を上げるとカレンと視線を合わせた。少し顔をしかめながらも軽くうなずくと、入り口のそばに立つサラに手で合図をした。


 サラは後ろ手に扉を引いてきっちり閉めると、部屋の隅から椅子を二つ持ってきた。

 ひとつをペトラの後ろに運び、もうひとつを棒のように突っ立っているカレンのところに持ってきた。


「カレン、立っていないで座って」


 アリシアが笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 そういえば、挨拶をするのもすっかり忘れていたことに気がつき焦った。この状況だと、今さら正式な挨拶をするのも……と考えていると、アリシアが早く座れと手を下に振った。




 ペトラは顔を起こしてアリシアを見上げると話し出した。


「それに、シャルが国主を襲った犯人にされて……」


 アリシアはペトラの背中に回していた両手を離し、ペトラの両肩にかけると、彼女の上体をゆっくり起こした。


「わかっている。強制者のしたこと。たぶん、わたしのときと同じ。でも、国主の、父の場合は……防ぎようがなかった……」


 ペトラはアリシアと顔を合わせると頭を横に何度も振った。

 しばらくして、絞り出すような震える声を出した。


「よかった。信じてもらえなかったらどうしようかと……」

「おばかさんね、ペトラ。そんなのにだまされるわけないでしょ。ダンから覚えていることを聞き出したあと、シャーリンを強制者から守るために待機室に入れさせたんだけど……」


 ため息が漏れるのが聞こえた。


「残念ながら、あの部屋では強制者の干渉を防ぎきれなかったということね。作戦は完全に失敗。相手が上手だったわ。さて、いろいろと話すことがいっぱいあるの。ペトラもそこに座って」




 ペトラは、床につけていた膝を起こして中腰になると、そのまますとんと椅子に座った。ちょっとだけ明るい顔が戻ったように見える。


「シャルはすぐに戻れる?」


 首を横に動かしたアリシアの次の言葉を待つ。


「いいえ、今は無理。国都の騒ぎは収まっていないし、強制者の影響下にある者がどこまで広がっているかもわかっていない。今はこの一件が知れ渡るのを防ぐのに頑張っているけど、これからどうなるか予想ができない」


 ちらっとサラに視線を向けたあと続けた。


「あなたたちが川を上ってきたってことは、残りの人たちは下って海に出たってとこね?」


 アリシアはペトラとカレンを交互に見た。

 ペトラがゆっくりとうなずく。


「ウルブの商人が船で脱出するのを手伝ってくれたの。もし抜け出せたら、ウルブ1に向かうと言っていた」

「ミンから発見したという報告はないから、おそらく国都の軍が設置した関門を通過したってことね。その商人がどういう手を使ったのか興味があるわ」


 ペトラとカレンは顔を見合わせた。

 すぐにカレンが言いかけた。


「そのことですが……」

「国外に出たあと、どうするかは何も考えていない?」


 アリシアの眉が上がった。


「はい。そうです」

「しばらく、ウルブに滞在してもらうことね。戻れるようになったら知らせるわ」

「はい。わかりました」


 知らせるって、どこに、あるいは、誰に?


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