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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第2章

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53 追っ手が迫る

 遠くに意識を伸ばしたまま、半分眠ったような状態でいたカレンは、ぎくっとして体を起こすと座り直した。


「遮へい者がいる。それに……感知者も」


 膝を抱え込んで座っていたペトラがさっとこちらを向いた。


「それって、あの人たちなの?」

「わからない。もっと近くないと。遮へい力がとても強い……たぶん、これはふたつもち」

「ねえ、向こうはこっちに気づいてる?」


 レセシグはかろうじてわかるが、頑張って()ないとレシグはほとんど感じられない。どちらにせよ、向こうからも視られているのは間違いない。


「確実にね。こっちには遮へい者がいないから、こんな誰もいない場所だと、灯台のように明るく視えているに違いないわ」

「川で待ち構えてた作用者かな?」

「それもわからない」


 ペトラは小首を傾げていたが、すぐに断定した。


「でも、向こうは、こっちが相手に気づいてるとは、思ってないよね。常識的に考えれば、ひとつもちの感知者がふたつもちの遮へい者をかわせるとは思ってないだろうから」

「うーん、その可能性はあるかも。どっちにしても、まだ遠くにいる今のうちに移動したほうがいいわね」


 さっと立ち上がったペトラは、膝をつかんで足を何度か曲げ伸ばしした。草と土をパンパンとはたき落としながら言う。


「やれやれ、やっと行動開始だね。そうとなったら、早いとこ、ここを登ってしまおう」


 別人のように元気いっぱいになったペトラはすぐに動き出した。




「それで、どっちから来るの?」


 崖を登り切ったところにしゃがんだペトラは、頭だけ出して(のぞ)きながら尋ねた。カレンが上流を手で示すと、反対側を見て続ける。


「そうすると、こっちに行くしかないけど、それじゃ、船との待ち合わせ場所から遠ざかるよ。どうする?」

「あの作用者たちからまっすぐ遠ざかるほうに動くのはまずいと思う。いかにも察知して逃げているように見えるし。こっちにまっすぐに行ってあの森の中に入るのがいいと思う。それから、森の中をぐるっと大回りして上流に向かうことにしましょ。最初は、急いだほうがいいかも。いずれにせよ、これから相当歩く羽目になりそうよ」

「歩くのはいい。走ることにならなきゃいいけど。その人たち、前より近づいてる?」

「うん、急ぎましょう」




 結局、ふたりは、ほとんど走るように正面の森に向かって進んだ。やがて、二、三十メトレの高さにそびえる木々と膝丈の草むらの中に押し入る。

 カレンは、時々立ち止まっては、作用者たちの動きを視た。幸いなことに、彼らがこちらにまっすぐに向かってくるようには感じられない。


 しばらく森の中を奥に進み、それから左に向きを変えて歩き始める。しだいに、昼下がりとは思えないほどあたりが薄暗くなり始めた。ふたりは縦列になって口もきかずにひたすら歩く。

 この付近の木々の葉はほとんど落ちているのに、暗く感じるのは、高いところまで木の枝がびっしりと広がっているからかしら。


 ぐっしょりぬれた多量の落ち葉にしょっちゅう足をとられて転ぶ羽目に陥った。そのたびに、疲れがどんどんたまってくるように思う。呼吸も荒くなってくる。

 しまいにはふたりの服も手足も泥だらけになった。


 これで何度目か、立ち止まって感知の手を伸ばすが、いつの間にか先ほどの作用者の気配が感じられなくなっていた。

 なんとか逃げられたと思ったのもつかの間、今度は、前方に別の気配を感じ取る。

 慌てて小走りで、少し先を機械的に歩き続けるペトラに追いつくと、肩に手をかけて引き止めた。




 体を引っ張られてしぶしぶ立ち止まったペトラは、こちらを振り向いて口を開きかけた。カレンが首を小刻みに左右に振ると、ペトラはそのままの姿勢であたりを見回し始めた。

 ペトラの耳に口を寄せてささやく。


「前方に普通の人が数人。さっきのような正軍の人たちかも」


 背伸びをしたペトラは小さな声を出した。


「作用者は?」

「それが、少し前に見失ったの。今は何も感じ取れない」

「どっちに行く? 左? それとも右?」


 ペトラは、右奥のさらにうっそうとした森を睨んだ。

 いかにも暗くて奥が全然見えない森は、その中を歩くだけで大変だし方向感覚も失われそう。


「そっちに入っていったら、今までよりもっと歩きにくいだろうし、それに戻るのもきっと大変。こっちに行くしかないかも」


 左の方向を示す。


「わかった、カル。じゃ、急ごう」


 左に向きを変えたペトラは、いまや胸の高さになった茂みをかき分けてぐいぐい進んだ。

 先頭を行くのは大変なはず。後ろについて行くカレンは、ただ足を滑らせないことにだけ注意を払った。黙々と歩くふたりが通るたびに、草のこする音が静かな空間を満たしていく。




 少し進んだところでふたりが立ち止まると、カレンは再度感知の手を慎重に広げる。

 かなりの距離を早足で歩いたはずなのに、先ほどの正軍と思われる人たちがかえって近づいてきていた。さらに範囲を広げると、突然、作用の流れが割り込んでくる。左からだった。

 カレンは息を押し殺した。


「ペト、作用者が向こうから近づいてくる」


 左のやや後方を指し示す。こんなにはっきりしたレシグにどうして今まで気づかなかったのだろう。きっと、疲れているためだわ。今や作用者ではないほうも何の努力もなく強く伝わってくる。


「それに、そっちの正軍かもしれない人たちもすぐ近く。どうしよう?」


 ペトラを見てから、後ろを振り返る。いやでもあの暗い森に入るべきだった。後悔の念に駆られる。

 今進んでいる方向を見てペトラが言った。


「川までまだ遠いかな。走る?」


 カレンは首を振った。


「わたしたち、歩き続けでくたくたよ。少なくとも、わたしは走れる自信がない。ずっと息苦しくてたぶん無理」

「わたしも走るのは苦手。肺が小さいことと関係あるのかなあ」

「肺?」

「ほら、作用者の肺は小さいでしょ。こっち側」

 

 ペトラは自分の左胸を指さした。確かにそうね。


「走るのはやめましょ」

「じゃ、作用者か正軍かを選ばないと……どっちがましかよね……」


 彼女はすぐに結論を出した。


「えい、正軍にしましょ。あっちのあの人たちはまっぴらごめんだわ」


 カレンはうなずくと右側のやや前方を指差した。


「こっちよ」


 ペトラの顔には疲れが見えたが、再び背筋を伸ばすと両手を前に掲げて木の枝を避けるように進み始めた。その顔は真剣そのもの。もはや、冒険を切望していたペトラは完全に影を潜めていた。




 しばらく歩くと、前方に人がいるのがわかり、話し声も聞こえてきた。

 すぐに低いがはっきりとした命令が響く。


「おい、おまえたち、そこで止まれ!」


 まだ誰も見えなかったが、ふたりはただちに立ち止まる。間もなく、正面の両側から二人現れた。

 予想していたとおり、どちらも正軍の服装だ。ふたりは銃を半ば構えた体勢のまま、仲間を待っているようだった。

 まもなく現れた新しい集団のひとりが声を出す。


「そのまま、動くな。あんたたちは……ここでいったい何をしている?」


 そう問いただす声の主に視線を向ける。

 どうやら、目の前の男がこの分隊らしきグループの責任者らしい。見たところとても若いが、士官のようだ。

 ペトラが口を開いたが、主家たるイリスの者の発言にしては少し甲高い声で重みに欠けていた。


「あなたたちこそ、ここで何をしている? 単なる移動には見えないが……」


 先ほどの男が遮るように早口でしゃべる。


「尋ねているのはこちらだ」




 ペトラはじっと前を向いたままささやいた。


「後ろの作用者たちは、まだ遠い?」

「うん、しばらくは大丈夫、と思う」


 目の前の男が持っている武器を神経質そうに左右に動かした。

 いきなりペトラが左手を首筋から服の中に突っ込むのを横目で捉え、カレンは慌てた。


「ペト、手を動かすと誤解される……」


 案の定、先ほどまで兵士たちの脇にだらりと下げられていた銃が一斉にこちらへ向けられた。

 ペトラは手に何かを握って取り出すと、一度だけ咳払いをした。ついで、先ほどと違って今度はいやに低い声を出す。


「そこのあなた、こちらに近づいてこれを見なさい」


 手のひらを広げるのが視界に入った。

 分隊長と思しき男は口を開きかけたが、左右の兵士たちをちらっと見たあと、ゆっくり歩き出す。

 男はペトラとカレンを交互に見ながら慎重に近づいてきた。ペトラの左手の上で青色に光るペンダントを凝視したあと、パッと目を見開いた。


「ああ、これは……国子(こくし)の証し。申し訳ありません。こんなところに国子さまがおられるとはまったく思いもしませんでしたので……」


 男の顔が青ざめているのが見えた。

 カレンは、目の前の人をちょっと気の毒に思ったが、安堵でゆっくりと息を吐き出す。




 ペトラは子どもらしくにっこりしたが、いきなり早口で問いかけた。


「イリスのペトラです。川へ行く道はどっち?」

「え? 川においでになりたいのでしょうか? でもどちらから……」


 その言葉を遮るようにペトラが声を上げた。


「それはどうでもいいの。わたしたちを川まで連れていって。できるだけ早く」

「あ、あの、川は向こうですが……」


 自分たちが向かっていた方向を手で示しながら答える男に対して、ペトラはたたみかけるように命じた。


「そうだ、川までの護衛もお願いするわ。向こうから、わたしたちの敵がどんどん近づいてくるの」


 ペトラは後ろに手を振った。


「さあ、急いで」


 男はすでに近くに集まっていたほかの兵士たちを見て、少し迷っているようだった。ペトラはいらいらしたように足を交互に動かす。

 男がうなずくのを確認すると、ペトラは振り返って上目遣いでカレンをちらっと見た。まるで、強権を発動したのをとがめられると思っているかのように。

 カレンが一度だけうなずくと、ペトラはフーッと息を吐き出して、頬を緩めた。



***



 最後に急な坂を下り始めると、突然目の前に川が見えてきた。このあたりの川岸は平坦で、そこにマイクの小さな川艇が接岸しているのが遠目にもわかる。

 しかし、その右隣には、別のもっと大きな船が停泊していた。正軍の船かしら?


 カレンはその船に手を向けて、後ろにいた指揮官に尋ねる。


「あれが、あなたたちの船ですか?」


 男は指差されたほうをちらっと見たあと答えた。


「いいえ、我々の船は、いつもこの少し下流の中間監視所に泊めています」


 カレンは急に立ち止まるとあたりを見回し始めた。すぐ近くに作用者がいる。後ろにいると思っていたのに、どうして前に?

 その時、マイクの船から人が出てくるのが見えた。


 両手を額にかざしていたペトラが甲高い声を出した。


「あれ、きっとマイクよ。ああ、よかったー」

「全然よくないわ、ペト。遮へい者が前に……」

「え? あの船に? クリスじゃないの?」

「いいえ」

「それじゃ、先回りされた? それとも、別の人たちなの? どうしよう?」


 兵士たちは、すでに全員が立ち止まり、振り返ってこちらを見ていた。

 ペトラがつぶやく。


「もうひとり出てきた。女の人みたい」

「レノ・ペトラ、あれが、あなた方の船ですか?」


 分隊長の声には当惑が感じられた。


「そうだけど、来るのが遅かった。たぶん、船はあの人たちに乗っ取られたみたい」


遅ればせながらX(Twitter)始めました。

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