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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第2章

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49 脱出

 やっと、ほかの人たちが表通りから路地に曲がってきた。

 クリスとディードは、空を何度も見上げては警戒している。シャーリンとペトラは、疲れ切った様子で押し黙ったまま。

 入れ代わりに、ミアが、自分の船を見にいくと言い残して出ていった。


 カレンは、シャーリンとしっかり抱き合うと、ポケットからレンダーの入った袋を引っ張り出す。

 シャーリンは、渡された袋をしばらく胸に押し抱いていたが、中から品物をひとつずつ取り出すと身につけ始めた。

 最後にペンダントを首にかけ、服の内側に入れるのをじっと見つめる。


 彼女のペンダントは、中指ほどの大きさで、平べったい三角柱の一面だけを丸く膨らませたような独特の形をしている。

 一度、目前で見せてもらったことがあるが、シャーリンに合わせてあるらしく、彼女が持つと青い光を発する。表面に浮かび上がる複雑な幾何学模様はとても手が込んでいた。




「皆さんは、ここで待っていてください。あたりの様子を見てきます。すぐに戻りますから」


 クリスはそう言うと、再び路地から出て慎重に歩き出した。

 ディードは、そのまま入り口のそばに陣取ると外の様子を監視し始める。

 間もなくミアが戻ってきた。


「それで、これからどうする?」

「シャルはこの国を出ないといけない。そうでないとまた捕まる。ううん、その前に殺されちゃうかもしれない。もちろん、ウィルもよ」


 ペトラの小さな声がやけに響いた。

 シャーリンは胸を押さえながら低い声を出した。


「拘束されるのは、これを取られるのは、もう二度とごめんだ」


 カレンはシャーリンを見ながら思った。

 どうしてこのようなことになってしまったの? 第一国子を襲った人物として手配されるなんて。しかも、それがペトラの父親だなんて。あの方には昨日会ったばかりなのに。




「でも、わたしは何も悪いことはしてない。やっぱり戻ったほうがいいかも。ちゃんとあの強制者たちのことを話せば……」


 シャーリンがぼそっと口にすると、ペトラはすかさず声を上げた。


「だめ! 父の筆頭衛事の証言は絶対よ。それに、ほかの護衛たちも皆いた。全員が父のあの言葉も聞いた。あれを見たでしょ。誰も信じないわ。強制者がいることだって知らないのじゃないかしら? あの恐ろしい凍りつくような力」

「そうだとしても、どうやって国外に出るっていうの? もうすでにあちこちに検問が設けられているはずよ。明るくなったとたん、空からも探されるわ」

「ねえ、カレン、あたしの船をお忘れかい? 昨日(きのう)見たと思うけど、このすぐ近くに係留してあるんだがね」

「そりゃ、ミアさんが立派な船をお持ちなのは知っているけど、検問があれば終わりだよ」


 ウィルが諦めたような声を出した。


「なに、そこはそれ、どうにかなるかもしれないだろ」

「そんなあやふやな。何とかしますって言ってよ。お願い」

「わかった。あたしが何とかする」

「さすが、ミアさん。でも、どうやって?」

「それは企業秘密だ。ウルブの商人は約束を必ず守る。この国の外に連れ出してあげる。それに、ちょうどウルブに戻る頃合いだし」


 シャーリンは首を横に振った。


「やっぱり、わたしは行かない。ダンが捕まっているし、助けないと……」

「シャル、それはわたしにまかせてちょうだい。シャルはウィルと一緒にとりあえずこの国を出るの。わたしは、彼らがどうやってそんなことができたか、何をしようとしているのかを調べる。時間がたてば、きっとみんなにかけられた強制力も解けるだろうし、そうすれば何が起きたかも思い出してくれると思う」




「それじゃあ、カレンは一緒に来ないのかい?」


 ミアの顔には、なぜか、落胆のようなものが見えたが、それもすぐに消えた。


「わたしは指名手配されているわけではないし、それにロイスに戻らないと。誰かが、ロイスの人たちやマーシャとモレアスに正しい情報を知らせないといけないでしょ。それに、あそこ、通信装置が壊されたままだから、きっと心配しているわ」


 早口で話すと、シャーリンが渋々うなずいた。


「あー、思い出した。あれ、今日は何日だ? みんなもう帰ってきてるんだっけ?」

「あのね、シャル、ロイスに軍が調査隊を送るんだって」

「え? なんでロイスにまで?」


 そこにクリスが現れ、こちらを向いて手招きした。全員が急いで近寄る。


「向こうはまだ大丈夫です。それで、どうします?」

「あたしの船に向かうよ。こっちだ、急いで」




 桟橋に係留されているムリンガの船体が、茜色になり始めた空の光を反射して輝いた。本当に美しい船だわ。幸い、まだあたりに人影はない。

 振り返ると、ペトラがクリスとディードに何か話しかけていた。


「ねえ、シャル、途中でわたしがダンを助け出すから」

「どうやって? あそこは軍の基地だよ。カルが行っても……」

「アリシアさんがいるんでしょ。頼んでみるわ」

「何のんきなこと言ってるの? だいたい、門を通してもらえないよ、きっと」

「いいから、わたしにまかせて」


 突然、後ろからペトラの声がした。


「わたしたちよ」

「えっ? ペト、あんたがカルと一緒に行くっていうの?」


 シャーリンは、本当に驚いた様子で、クリスの隣にいたペトラに顔を向けた。


「わたしは暗殺者として指名手配されているわけじゃないし」


 ペトラはカレンの口まねをすると、かすかに微笑んだ。


「それに、わたしが行けばアリーに会うのはわけないでしょ。アリーにあらいざらい話して、ダンをすぐに解放してもらうわ」

「でも、ペトのお父さんが撃たれて、きっと重傷なんだよ。これからここで、いろいろしなきゃいけないことがあるだろ?」

「我が父はすでに彼方……」


 ほとんど聞き取れないような小声で言ったペトラは、遠くを見るような目をしたが、一瞬後には、その表情は跡形もなく消えていた。




 シャーリンはびっくりしたようにペトラを見つめた。


「いったいどういう意味? まだ亡くなったと決まったわけじゃ……ない」


 シャーリンの声は尻すぼみになり、ペトラは何度も首を横に振っていた。

 カレンは国主の頼みを思い出した。シャーリンの両肩に手をかけると静かに話す。


「そうね、ペトラも来てくれると、とてもありがたいわ。じゃあ、一緒にアッセンに行ってもらえる? そうすると、わたしたちの船はどうしよう?」

「わたしが用意しましょう」


 クリスの声にペトラが顔を上げた。


「え? クリスは船を持ってるの?」

「そうじゃなくて、祖父の船。家はすぐそこですから、あっという間に行けます。もうこの時間じゃ、起きているでしょうから」

「おいおい、どうでもいいけど、そろそろ、ずらからないとやばいよ」


 ミアが空を見回した。


「あっちまで明るくなってきた。すぐにも空から見つかるぞ。ウルブに行くなら早く乗船して」


 振り向けば、薄明るくなってきたからか、執政館のほうから煙が多数上がっているのが見えた。やはり、あの建物自体が攻撃を受けたらしい。


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