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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第2章

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41 川港を眺める

 カレンとペトラが、立ち上がって服についた枯れ葉を払い落としていると、クリスが尋ねた。


「車を呼びましょうか?」


 ペトラは首を横に振った。


「ううん、歩いていくわ。ここのところ、少し運動不足だし。少なくともわたしは」

「それは、ここのところ、図書室で過ごす時間が長すぎるためではないですか?」


 ペトラはディードを横目で睨むとすまして答えた。


「わたしには、いろいろと高尚な務めがあるのだから」


 クリスはみんなの後ろから、ぶらぶらと歩きながら口を挟んだ。


「ディード、おまえの訓練と同じ程度にね」




「その港はどこにあるの?」


 カレンの疑問にはクリスが答えた。


「実は執政館は二つの川の間に位置してるんですよ。ここまで歩いてくるのに少し上り坂だったでしょう。気がつかなかったかもしれませんが、途中で橋をひとつ渡りました。その下を川が流れているんです」

「なんでそんなところに?」

「ご存じのように、オリエノールは昔から水運で栄えた国なので、川や運河が多くあり、海港もたくさんあります。でも、ここ、ミンは国都でありながら海港からはいささか離れているので、川を通って物資を運ぶ必要があるのです。通じている海港はいくつもあったほうが、戦略的に有利だからでしょう。ああ、ちょうどこの先です」


 今度は、いま歩いているところが橋だとわかった。


「この川は、少し上流で二つに分かれて、国都の下流でまたひとつになってます。そのあとまたもや二つに分かれて、それぞれ別の大きな海港に通じています。他にも支流がたくさんあります。北側の川は南よりかなり狭くて、居住棟の裏手を流れています。だから普通、ミンの港と言えば、これから行く南側の川港を指します」




 少し歩いて執政館の脇を通りすぎ、ちょっとした坂をゆるゆると登っていくと、間もなく港が見えてきた。


「あら、こんな近くにあったんですね。予定どおりにロイスから川を下ってきたとしたら、ここに船をつけたのかしら?」


 これにはペトラが答えた。


「ううん、シャルが来るときはいつも北を使うの、そのほうが居住棟にだんぜん近いから」

「ああ、なるほど。そっちの港はあまり大きくないの?」

「そうですね、規模としては南の十分の一にも満たないでしょう。たいていの船は南に泊めます。(まち)に近いし、倉庫とかいろいろな関連施設が多い」


 クリスの説明に納得する。




 皆がたどり着いた場所は、川港全体が見下ろせる小高い丘になっていた。

 振り返ると、ちょうど執政館の二階と同じくらいの高さにあることがわかり、例の空艇場もよく見える。今日は数隻の船がとまっている。


 空をぐるりと見渡すと、朝の青空が、いつの間にか、灰色に変わってきた。天気が悪くなりそうな重々しい雰囲気が感じられる。

 クリスも空を眺めていたが同じように思ったに違いない。


「夕刻から天気が悪くなると言ってました。ちょっとした嵐になるかもしれません。早めに戻ったほうがよさそうです」

「わかったわ。カルが満足したら帰る」


 まるで初めてここに来たかのように、ペトラは熱心にあちこち見回している。




 カレンは、片足を軸にくるっと一回りして景色を眺めた。

 あらためて港に視線を向け、感知力を開放してみる。無数の精分がわんわんと反響し合い、その中にも、数多くの作用力が感じられた。


 国都では、人が多く作用者もまた大勢いるので、感知力にざわめきが絶えることがない。

 しばらく、その感覚にどっぷり漬かっていると、突然、覚えのある力を感じた。ドキッと緊張したが、正体がわかるとふっと力を抜く。




「あら、これは……」

「どうしたの、カル?」


 カレンは港の一点に力を絞りじっと見つめた。


「たぶん、ミアが来ている。でもここからは見えないわ」

「ミアが? ほら、ほら、ね、わたしの言ったとおりでしょ」

「その方はカレンのお知り合いですか?」


 カレンはクリスに向き直って説明した。


「えーと、リセンからアッセンまでわたしたちを船に乗せてくれた人です」

「ああ、なるほど、その方ですか? その船の名前は何というんですか?」

「ムリンガ、白い海艇なの」


 クリスは、腰のかばんから小さな単眼鏡を取り出すと左手で優雅に持ち、それを左目に当てて港に向けた。そんな格好がとてもしっくりしているのに感心する。


「川を通る海艇はそう多くないから、すぐに見つかるはずだ」


 クリスは川岸に沿って頭を動かしていた。

 カレンはクリスの見ている方向を振り返って確かめた。


「もっと左のほうよ、あそこにレンガ色の倉庫のようなのがあるでしょ。あのあたりじゃないかしら?」

「どれどれ、ああ、それらしい船がありました」




 ペトラが手をぱちぱちと叩いた。


「それじゃ、会いに行きましょう」


 そう宣言すると、港に通じる坂道を下り始めた。こちらを振り返って言う。


「さあ、急いで、ほら」


 クリスがすかさず声を上げる。


「ペトラ、だめですよ、港のような大勢の人がいるところに行くのは。ディードとふたりだけではお護りできません」

「なに言ってるの? 大丈夫よ。誰もわたしが誰かなんてわかりゃしないわ」


 ペトラはずんずん先に進んだ。

 クリスは肩をすくめ、観念したように言う。


「わかりました。でも、先に行ってはだめです。ディードの後ろについてください」



***



 一同はムリンガの前にたたずんでいた。

 ペトラは船のてっぺんを見上げる。


「それで、ミアさんは船の中なの?」

「いいえ、ここにはいないわ。出かけたみたい。こっちよ」


 カレンに続いて、ほかの人たちもぞろぞろと歩き出した。道路を渡って反対側にある建物に向かう。

 その入り口まで近づくと、目の覚めるような明るい黄色の服を着た女性が出てくるのにばったり会った。


「おっと、カレンじゃないか。ここで会えるとは思ってたよ」

「こんにちは、ミア」


 こんなはっきりとした色の服もミアが着るととても自然に見える。


「あれ? シャーリンとあの利発な坊やはどこだい?」

「今は別のところにいます。いつこちらに?」

「今朝ついたとこさ。途中でちょいと寄り道してたんでね。今しがた全部の商品を届け終わったとこ」


 ミアはそう言いながらも、カレンのそばにいる人たちをちらちら見ていた。


「じゃ、お仕事完了ですね。あ、そうでした、紹介しないと。こちらはミアさん」




 それまで我慢していたかのように、ペトラがすかさす前に出た。


「ペトラです、はじめまして。そっちはクリスにディード」


 今日はいやにあっさりと紹介した。

 ミアはペトラに向かい合うと、手を後ろに回して正式の挨拶をする。


「お初にお目にかかります、ペトラさま。ご機嫌いかがですか?」


 隣でクリスが軽く舌打ちをするのが感じられた。

 カレンはあたりを行き交う人たちを眺めた。何人かがこちらをちらちらと見ている。

 誰かなんてわかりゃしないわ、ですって? ペトラのとても目立つ服装をもう一度見て、首を横に振る。


「ええ、とってもいいわ。あなたに会えてなおうれしい」


 ペトラは無邪気そうな顔で答えていた。

 ミアは眉を上げてカレンを見たが、肩をすくめるしかなかった。




 気を取り直して尋ねる。


「それで、これからどうされるんですか?」

「そうだね。二日ほどここにいるよ。それから海に出てウルブに戻る」

「川を遡るのかと思ってました」

「ウルブ1が次の目的地だからね」

「それでは、わたしのとこに来ませんか?」


 すかさずペトラが声を上げた。両手を前で組み合わせ胸に当ててミアを見上げる。


「ぜひ、泊まっていってくださいな」


 ミアは空を見上げたあと、軽くお辞儀をした。


「これから嵐になりそうな感じだし、ご招待をありがたくお受けいたします」



***



 早い晩食を()ったあと、すぐにクリスとディードが退出した。

 居間に移動して、フィオナが食後のお茶の用意をするのを、カレンはじっと見ていた。フィオナが消えると、ペトラは、三人がここに着いてからのことをミアに話し始める。

 経緯を黙って聞いていたミアは途中で口を挟んだ。


「シャーリンの様子を見に行くことはできないの?」

「うーん、それはだめだと思う。待機室はね、作用者を収容するための部屋で、ほかの作用者は近づくことが許されないの。わたしでも」

「レンダーをつけてない作用者なら入れてもいいんじゃないの?」

「わたしもそう思うんだけど。つまり、正軍の人たちは、レンダーを持ってなくても、作用力を使うことを恐れてると思うのよ。だから、待機室には、万一、中や外で作用力を使われても大丈夫な設備があるっていう話よ」

「そうか……」


 ミアは眉を上げて、カレンをちらっと見たが、すぐにお茶の残りを飲み干した。


 なるほど。レンダーなしで作用力を使える人がいると考えているのか。これは用心しないと。

 ミアがこちらに目を向けた。


「それでこれからどうするんだい?」

「通信はすでに回復しているらしいし、ロイスの人たちも明日の朝には帰ってきていると思う。明日、連絡して相談しようと思うの」




 フィオナが隣の部屋で後片づけをしている音が聞こえてくる。

 ディードが再び現れて、進展がないことを伝えてきた。


「明日、ロイスにあらためて調査隊が入ることになっているようです」

「それで、結論が出るのかしら?」

「そう願っています」


 フィオナが新しいお茶のポットを持って現れると、ペトラが言った。


「フィン、ミアの部屋を用意してもらえる?」

「はい、ペトラさま。階段そばの客間を整えておきました」

「悪いね。昨夜はあまり寝てなくて。そろそろ失敬するよ」

「では、こちらにどうぞ」


 ミアは前室に向かうフィオナについて行った。


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