37 お互いを知るには
カレンは、ペトラ、クリス、それにディードとともに軽い食事を摂っていた。
「待機室というのは何ですか?」
クリスは、手に持っていたスプーンを皿の上に置くと話し始めた。
「それは少し説明が必要ですね。待機室は、もともと、作用者がほかの作用者を取り調べるために作られた部屋です。といっても、中は鍵がかけられ普通に暮らせる部屋と、正軍兵士が常駐する前室があるだけです。犯罪者を収容するための場所ではありませんから」
思ったとおり。クリスに向かってうなずくと、彼はさらに説明を続けた。
「外部からの作用力による影響を排除するために、部屋全体を、つまり壁と床と天井もメデュラムで覆っています。しかも外扉が内側からしか解除できません。誰かがそこに収容されると、前室には当番兵が交替で常駐するわけです。現在では、待機室は正軍の管轄下にあるため、我々作用者は近づくことは許されていません」
「そんなところにシャーリンは閉じ込められているの?」
「そうですね。でも、特に生活に不自由はないはずです」
「レンダーは全部持っていかれたわ」
「渡したものは、保管室にしまわれて、待機室を出るときに返されると思います」
それまで黙って聞いていたディードが口を開いた。
「カレンはどちらの出身ですか?」
ペトラがすかさず声を上げた。
「ディード、カルになんて失礼なことを聞くの?」
「え? わたしは、ただ、カレンのことを知りたいと思っただけなんですが……」
ディードは、まるで悪いことをして捕まった子どものように、おどおどした口調になった。
「いいのよ、ペト。わたしがちゃんと自己紹介しなかったからだわ」
カレンはディードとクリスを見ながら話し始める。
「わたしは、ロイスのシャーリンの家にお世話になっています。しかし、その家の前に突っ立っていたところから、わたしの人生は始まったようです。どうやって誰とロイスまで来たのか、それ以前にどこで何をしていたのか、どれも覚えていません。ロイスの主事と内事は、どうやら、シャーリンの父上から何か聞かされていたみたいです。入り口に放心状態で立っていたわたしを中に迎え入れてくれた……そうです」
一息つきながら当時のことを思い出そうとした。
「それ以前の記憶がわたしにはないので、出身地も、両親のことも、それまでどこでどう暮らしていたのかもわかりません。たぶん、これには、シャーリンのお父さんが関わっていると思うので、いずれ話してもらえると考えていました。けれど、わたしがロイスに来るその少し前に出かけたきり、いまだお帰りにならず、それも今や無理になったのかもしれません」
「すみません。知らなかったもので。誰も教えてくれないので」
ディードはクリスを見ながら口にした。
そのクリスはディードに顔を向けると、のんびりとした口調で言う。
「わたしも今、初めて知ったんだよ」
カレンは慌てて付け加えた。
「あの、でも、心配しないでください。生きていくにはまったく支障ないですから。ものの使い方を全部忘れたわけではないし、もう読み書きも問題ない……はずです、たぶん。それに、少なくともここ数か月の記憶は完全ですから」
正確には、ロイスで手に入る本から学んだ知識だけだけれど。それ以外のことには……まったく自信が持てない。
「わたしがロイスに来たことと、シャーリンのお父さんが行方不明になったことが、何か関係があるのじゃないかと、それがずっとわたしの不安の種です」
「いろいろ話してくださってありがとうございます」
ディードはまじめな顔でうなずいた。
「ペト、ウィルが解放されたら、わたしたち、どうしたらいいかしら? ダニエルにはロイスに帰るように言われたの。でもシャーリンをここに置いて帰るわけにはいかない。それにダンのことをリセンやロイスに知らせないと。マーシャの施設は破壊されてしまったので、直るまでは連絡できないです。フェリシアが直してくれるはずって言っていましたけれど、ロイスの人たちはまだ戻ってないですし」
クリスが代わりに答えた。
「国都の通信施設はほぼ復旧しています。ロイスの人たちが戻ってきたあとで、ロイスに直接連絡しましょう」
「ドニとフェリは冬支度のため出かけているの。確か、明日の夜遅くに帰ってくる予定です」
「それじゃ、明後日の朝にでも連絡を取ることにしましょう」
そこで、クリスは立ち上がった。
「もう一度ウィルの様子を見に行ってきます」
ディードも慌てて立ち上がり、クリスのあとを追うように部屋を出ていった。
***
フィオナがどこからともなく現れて食事の後片づけを始めた。
「カル、こっちに来て。わたしのささやかな本棚があるのよ」
「本物の本ということ?」
「ええ」
「それはすごいですね。紙の本は貴重品だから」
「たいていの人は書機を使っているけど、わたしは本のほうが好き」
カレンは、居間に戻ると、別の扉をあけたペトラに続いて中に入った。そこは寝室のようだった。ペトラが横に動き、視界に現れたものを見て驚いた。扉のついた大きな書棚が三つもある。
わくわくしながら急ぎ足で本棚に近づく。
「見てもいいかしら?」
「どうぞ」
ペトラは部屋の中を見回した。
「ここにベッドをもう一つ入れさせるわ。カルが寝られるように」
「ここで? ありがとう。昨日はあまり寝ていないから、今夜はよく眠れそうだわ」
カレンは本棚に向き直ると、収納されているたくさんの本に指を走らせながら、すばやく背表紙に目を通した。驚いたことに、学問の専門書のような本が何冊かある。その隣には、教科書のようなものも混じっていた。
「それは、学校の本よ。ずっと借りっぱなしなの」
振り向いてしばらくペトラを眺める。
「わたしね、実を言うと、しばらく学校に行ってないの。ちょっといろいろあってね」
肩をすくめたあと、少し黙っていたが、再び話を続けた。
「だけど、習練所にはちゃんとかよってるよ。もっとも、講義の内容はたいていすでに知ってることだけど。でも実技はためになっているわ。それなりにね」
カレンはこくりとうなずいた。
ある一冊の本のところで手が止まる。
「これは……」
「どれどれ、ああ、これはね、とってもおもしろいのよ……」
ペトラは近くにあった椅子を二つ引き寄せると座って話し始めた。
***
鈴の音がした。ふたりは持っていた本をしまってから、急いで居間に戻ったが、そこにはクリスとディードしかいない。
「ウィルは?」
ペトラの問いに、クリスが当惑したような顔を見せた。
「それが、ウィルは取り調べのあと、拘束されて留置場に入れられたらしいです」
「なんで?」
「よくわかりません、正軍は何も答えてくれません。それに、ロイスに調査隊が派遣されるという話も聞きました。その結果が出るまではそのままのようです」
「それじゃあ、当分、出られないってことですか?」
カレンのがっかりした声に、クリスはうなずいた。
「ほかにも聞いたことがあります」
クリスの緊張した声に、ペトラがさっと顔を上げた。
「シャーリンは第二国子の命令で待機室に入れられたそうです」
「アリーが? 正軍のやったことじゃないの?」
「そうらしいです」
「なんでアリーがシャルを拘束させるわけ? まったくわけわかんない……」




