36 ペトラとの出会い
カレンは挨拶の動作を中断すると、とりあえず口を開いた。
「初めまして、ペトラさん。シャーリンがどういうわけか拘束されちゃって」
ペトラはうなずいたが、すぐに顔をしかめた。
「それはさっき聞いたわ。まったくダニエルはどうかしてる。彼は、もう、正軍の言いなりなんだから」
「それに、ウィルも一緒だったのですけれど、第三国子の執務室から出てきたら、どこかに消えちゃってて。部屋の前の廊下で待っていたはずなのですが……」
ペトラはわずかに首を傾げると、クリスを見上げて一つうなずいた。
「捜してきましょう」
クリスは慌ただしく部屋を出ていった。
ペトラの口調は少し遠慮がちだった。
「カレンさん、えっと、カルと呼んでもいいかしら? シャルはそう呼んでるって言ってたけど」
「もちろんです」
小さくうなずいたペトラは、鼻にしわを寄せると勢いよくしゃべり始めた。
「シャルはわたしのことをペトと呼ぶの。カルもそうしてくれる?」
ペトラは、部屋の真ん中にあるテーブルの周りに置かれた椅子のひとつに座った。促されるままにカレンもペトラの隣に座る。
正面の窓からは、霞がかった空と遠くに森が見えた。あれがサンクリかしら。方向としてはこちらで間違いなさそう。
「ウィルは、クリスがすぐに捜し出してくれるから、まかせておけば大丈夫。ところで、本当は何があったの? ダニエルはさっぱり話してくれないのよ」
ペトラは不満そうに鼻を鳴らした。
***
カレンは、前日の早朝にロイスを出てからのことを詳しく話し始めた。シャーリンが大変な目にあって怪我したと知ると、ペトラは驚いた様子で手を口に当てた。
指輪の一つが青い光を放っていることに気づいた。さすがに主家ともなると身につけるものもすごいわね。
「酷い。その人たち、いったい何者?」
「全然わからないの」
その後の展開を熱心に聞いていたペトラは、ムリンガのミアの話になると再び口を挟んだ。
「そのミアって人は、こっちに船で下ってくるのね。としたら、きっとすぐに会えるわね。とても興味があるわ」
「どうして?」
「だって、その人、カルの話からすると、遮へいと攻撃持ちなんでしょ。今までその組み合わせの人とちゃんとお話ししたことはないの」
その意味がカレンにはさっぱりわからなかった。ペトラの顔をじっと見つめる。
ペトラは手を組み合わせてくねくねさせていたが、再び口を開いた。
「実を言うとね、しばらく前から、作用力のことをいろいろ調べてるのよ。執政館にはね、ちょっとした図書室があるの。普通は公開されてない本、たとえば、昔の作用者たちが書いた書物とかいろんな資料を見られる。習練所では作用力の歴史とか理論とかそういうのはあまり教えてくれないでしょ。もっぱら実用面だけよ」
ペトラは一気にしゃべった。その間に、カレンは自分の記憶に問い合わせてみたが、作用力の理論や訓練に関することは何も浮かび上がってこなかった。
「そうそう、ミアには大きな借りがあるの。わたしたちを船に乗せてくれたし、それにアッセンの駐屯地に所属する、えーと、カイ指揮官とその部下たちも助けてくれたの。もちろん、わたしのこともよ。ちゃんとお礼もしないまま、ここに連れてこられちゃった。いずれは会ってきちんとお返ししないと。荷物と一緒に持ち物は全部川に沈んじゃったから支払いもできなくて。このすごい色の服もミアから借りたの」
大きくうなずいたペトラから思いがけない言葉が出た。
「わかったわ。ここで会ったら、わたしが代わりに費用を払ってあげる」
いたずらっぽく笑ったペトラから、子どものような無邪気さを感じる。
「ごめんなさい、偉そうに言って。でも、これでも一応自由になるお金が多少あるの、へへへ」
カレンとウィルが敵船に侵入したことを知ると、ペトラは目を輝かせた。
「忍び込んだの? わたしも一緒に行きたかったなあ。わたし、あんまり遠くに行ったこともないし、ましてや、そんなドキドキするような体験も全然ないの」
カレンはまじまじとペトラを見つめた。
考えてみれば、直系国子ともなると、行動の自由は全然ないに違いない。
自分が捕まっておぼれかけたくだりは全部省いた。
みんなが駐屯地にたどり着いたところまで聞くとペトラがうなずく。
「それで、そのあとは空路ここまで連れてこられたってわけね」
考え込むペトラをじっと見ながらカレンはもぞもぞしていた。またもや、自分の汚れた体やぶかぶかの格好が気になってきた。
ペトラは突然立ち上がると、部屋の中を歩き回った。
その様子を追っていると、ペトラは急に立ち止まり、こちらを向くと苦笑いをした。
「ごめんなさい。こうやって歩き回ると考えがまとまるの。それより、カルにはまず着替えが必要だったわね」
ペトラは壁際に下がっている呼び鈴の紐を引いた。
すぐに、閉まっていた扉のひとつが開くと、自分と同じ年頃に見える、赤い髪の女性が入ってくる。
「フィン、こちらがカレンよ、彼女には、とりあえず、着替えが必要なんだけど」
女性はカレンに向かって深々とお辞儀をすると口を開いた。
「フィオナと申します。こちらにどうぞ。浴室にご案内します。湯浴みをされている間に、内服をご用意いたします」
カレンは女性のあとに続いて部屋を出た。浴室の扉をあけたフィオナは振り返った。緑色の目が探るようにサッと動く。
「髪をお洗いしましょうか?」
「え? 髪? いえ、自分でやります」
自分の汚れてごわごわした髪にさわりながら答えた。
ここでは、髪はほかの人に洗ってもらうものなのだろうか? それともこの汚い格好を見てそれが必要だと思われたのかしら。
***
さっぱりとして浴室から出ると、それまでに着ていた外服と下衣は全部かたづけられ、室内着が用意されていた。上服とスカートに分かれてゆったりとした内服は、肌触りがよくそれだけで十分に暖かい。
ペトラの部屋に戻ると、ちょうど、鈴の音とともに外扉が開き、クリスともうひとり男性が入ってきた。
さっと自分の服装に問題がないか目をやった。
新しい人物に探りを入れたい衝動に駆られたが、かろうじて抑え、単に外見を検分するだけにした。
若い人だ。自分より年上かしら。たぶんクリスよりは若いわね。背はクリスよりもわずかに高く細身だけれどしっかりしている。自分と同じ茶の髪と目。
「ウィルはどうやら、取り調べを受けているようです」
「取り調べ?」
カレンが聞くと、クリスから答えが返ってきた。
「おそらく、ダンの一件と関係があるんでしょう。ひととおりの調べがすめば解放されると思うんですが、でも、ちょっと心配ですね」
ペトラは、さっと立ち上がり、着替えたカレンを上から下まで眺めたあと、満足そうにうなずいた。
「カレン、こちらは、えーと、わが友にして筆頭守護者たるクリス。そちらが、クリスの忠実なるしもべにして第二守護者たるディード」
ペトラは、手のひらを、弧を描くように大きく振って、ふたりの男を順に示した。
カレンは、目をぱちくりしてペトラをしばし見つめたあと、正式なのかどうか、紹介されたクリスを見る。
クリスが肩をすくめた。新しくまみえたディードはと見ると、こちらもまじめな顔をして棒のように突っ立っていた。
どうやら、これはいつものことらしい。
そうだとしたら、先ほど会ったばかりのわたしをいったいどう紹介するの?
「クリスにディード、こちらは、今より我が同境となりし、黎明者カレン」
同じように反対の手を優雅に回した。
「れいめいしゃ?」
カレンは、何のことかさっぱり理解できず聞き返した。
「ふむ、つまり、新しき時代の到来を導く存在って意味」
「新しき時代ですって?」
「しかり、我高まる予感に従うのみ」
ペトラの目は笑っていなかった。本気らしい。
当惑して、クリスに目をやり助けを求めると、彼は笑いを押し殺したあと口を開いた。
「おそらく、カレンはおなかがすいているとお見受けいたしますが? 駐屯地ではたいした朝食はあてがわれなかったでしょうから。正軍は一日三食制なので」
どうやら、クリスは駐屯地の食事内容をよく知っているらしい。
「ウィルはどうですか?」
「彼は大丈夫です。ちゃんと食事も支給されますから。手続き的には型どおりの調査が終われば問題ないはずです。ウィルがアリシア国子襲撃の件に関与しているとは思えませんので。済んだら連絡をくれることになってます。まずは食事を用意させましょう」
クリスは先ほどフィオナが出てきた扉を開いた。
「四人分よ!」
部屋に消えていったクリスに向かってペトラが叫んだ。
クリスが隣の部屋でフィオナと何やら会話を交わすのが、かすかに聞こえた。
たぶんこの建物のどこかに調理室があって、そこには常に大勢の料理人が常駐しているのだわ。とにかくすごいところだ。
ペトラの住居には、自由に使える台所とかはあるのだろうか? どこに通じているのかわからないたくさんの扉を見ながら考えた。




