344 希望の空 (カレン)
最終話となります。
レイの長の声をカレンは聞く。心なしか頭の中に形成される言葉が熱を帯びている。
「ところで、そなたの後ろにおる者は、これまで存在が知られていなかった日と月の両使い」
「ジェンナは自由に力を使えないのです。どうしてでしょうか?」
「適切な時期に力の使い方を学ばなかったからだ。それは、力を持たされたすべての者に当てはまる。時が遅くなるほど流れがどんどん固くなり自由に制御できなくなる。それにその者が持つ樹形は貧弱だ」
そうか。彼女のそばには初動する時期にそうさせてくれる人がいなかった。体内に精華を育てる訓練も怠った。だから、きちんと使えないまま。わたしは単に彼女の力を無理やり引き出している。
「まあ、早すぎるのも何かと問題だがな……」
直接伝わってくる語りなのに、そこに優しい震えを感じるのは気のせいかしら。
「その者とつながりたいものがいる」
「彼女にも見えるように、話せるようになるのですね? それはきっと彼女にとって望ましいことだと思います」
「では新しきレイの手を呼ぶとしよう」
目の前に急に青い姿が現れた。
「ごきげんよう、母なるカレン。フィアよ。回復者とつながれるとは、なんてすてきなのかしら」
フィア……とても懐かしい思いがする名。
そのフィアはさっと飛んでジェンナの前に浮いた。
ジェンナが目を見張り口を半開きにしたまま固まった。おずおずと両手が伸びる。
その手のひらに座ったフィアとジェンナの間で会話が交わされているのがわかる。緑の瞳が輝き頬が染まっていく。つれて青き光も強くなる。
「今夜はここで過ごすといい。その者はここシルの傘の中で過ごせば、おのれの真の力を自ら制御できるようになるだろう。一晩もあれば樹形も本来の姿に近づく。さすれば、そのうち誰の手助けもなくやっていける」
「ええっ? ジェンナを助けてくださるのですか? それは掟に……」
「新しきシルを育てるのに必要なこと。それを守るレイの癒やし手がその者とつながるのも欠かせない。使い手は不完全なる者と強ききずなを作れない」
***
転移先はロイスのすぐ裏の森にしてもらった。
ジェンナの顔がまた青くなった。
「大丈夫?」
「平気です。前よりはだいぶましです。すぐによくなりますから少々お待ちを……」
「あなたはもうひとりではないのだから無理してはだめよ」
「はい、お母さま。……あ、向こうですね」
ジェンナが指さした方向に薄らと白い煙が見える。
「そうみたい。動けるようなら、行きましょうか。日が差していても寒いわ。ああ、かばんはわたしが持ちます」
「それはあたしが……」
「ジン、わたしだってこれくらい持てるわ。さあ、行きましょう」
少し歩くと大きなお城の裏手に出た。
見上げるジェンナからため息が漏れる。
「すごいですね。砦みたい……」
「砦……おもしろいことを言うわね。でも、実際そうだったのだと思う」
ここがロイス……わたしの数少ない寄す処のひとつ。高くそびえる石の壁を見つめていると、裏口らしきところから何人か現れた。
その中からひとり小走りでやってくる女性がいる。
「あの人たち……あの服装……この砦の家事ですね、きっと」
何も出てこない記憶を探し回ったが諦めてジェンナの横顔を見る。
こちらを向いた彼女が言う。
「カレンさまは話してくださいました。ロイスで手取り足取り教えてくれたのは、シャーリン、フェリシア、そして、アリッサだと。アリッサは筆頭家事。きっとあの人がそうだと思います」
女性はカレンの前で何度か息をついたあとお辞儀をした。
「カレンさま、お帰りなさいませ」
「アリッサ?」
「はい」
アリッサは何かを探すように、こちらの全身に目を走らせた。
スッと前屈みになった彼女の青みを帯びた灰色の髪が銀色に輝くのを見た瞬間、彼女の背中に手を回し引き寄せるとしっかり抱きしめていた。
「カ、カレンさま?」
ああ、苦労人なのにこの柔らかい感触。記憶はないけれど、それでもわかる。この温もりだけは懐かしく感じる。
ロイスに側事はいないと聞いた。だとしたら、きっと彼女にいろいろなことを教わり数々の迷惑をかけたのは明々白々。
「アリッサ……アリッサ……」
「はい、カレンさま。ご無事でなによりです」
「ただいま帰りました、アリッサ。そして、いろいろとありがとう」
わたしの母親代わりになってくれたに違いない。そう考えただけで涙がどんどん溢れてくる。
「わたしこそお礼を申し上げなければなりません。ここをお立ちになったあの夜もこうしてくださいました。お帰りを心待ちにしておりました。カレンさまは以前と変わられたと皆さまからうかがっておりました。でも、王さまになられたとしても、カレンさまは、昔と、ここに初めていらした時と少しも変わりません」
彼女と一緒に過ごしたころの記憶はもうない。本当に同じなのだろうか。手を離して身を引くと、霞む目で彼女の瞳を覗き込み、何か知っているものが出てこないかと探る。
突如アリッサの顔に微笑が広がるのを見た。注がれる視線の先に目を向ける。
「こんなにもご立派になられて感慨無量です。本当にすてきな姫さまにおなりになりました」
そう言ったあと、どこからか取り出した手巾で涙を拭ってくれた。
目の前の女性が、赤ん坊のごときわたしを曲がりなりにもおとなになるまで養育してくれた。この人なしにわたしの二度目の人生は始まりすらしなかったのだと確信した。
「それに、何度もしてくださったようにまた抱きしめていただけたのがこの上なくうれしいのです」
ああ、この人もわたしの大切な家族なのだ。
「そうそう、わたしの内事を紹介するわね」
「はい、王女さまからうかがっております。ジェンナさま、アリッサと申します」
「ジンとお呼びください、アリッサ。オリエノールに来たのは初めてです。こちらのことをあたしは何も知らないので、いろいろと学ばせてください。よろしくお願いします」
うなずいたアリッサはカレンに手を伸ばした。
「皆さまがお待ちです。ここは冷えます。中にお入りください。その荷物はわたしが持ちます。さあ、お先にどうぞ。おふた方とも足元には十分お気をつけください。転ばれたら大変です」
***
メイが感嘆の声を上げた。
「きれい……。こんな星の海、見たことがない……」
ぐるりと見回せば、下に見えるかすかな灯りしか明るいところがない。月なしの夜空は格別だ。銀色の空を眺めれば何度もため息が漏れてしまう。
いつか遠い将来、わたしたちのずっとずっと未来の子孫たちはあの海に到達できるのだろうか。そうなったとき、この世界の記憶はまだ保たれているだろうか。
来たる年はどうなるかしら。新しい仕事と再出発、そしてまだ訪れたことのない場所。やるべきことはいろいろ。わたしにも新しい役割がある。まだ知らないことをたくさん経験したい。いまだ予想すらできない出会いを心待ちにしている自分が見える。
振り返ると、すぐそばでユアラとレアが寄り添うように浮いていた。
今では、エアが彼女たちと会話を交わしているらしいことまではわかるようになった。こうしてよく見れば、彼女たちはどちらも地の使いだけれどそっくりというわけではない。
きっとエアもライアとは違うのだわ。すべての幻精に個性が育まれている。それは彼女たちが積み重ねた経験によるのかしら。
「あっ、雪」
突然、聞こえたメイの言葉に顔を戻す。
星が見えているのにそこに重なるように透き通った白いものがチラチラと舞ってきた。春はすぐそこまで来ている。去りゆく季節からの最後の贈り物が、星の光を受けていたるところで瞬く。
「すてき……。まるで異世界のよう……」
声を上げるメイの頬が染まっている。感激のためなのかこの寒さのせいかはわからないけれど。
異世界……それは誰しもこの胸の内に有している。互いの界が交わり具現化した別世界を共有しているこの間。不思議な感動はとどまるところを知らず膨れ上がる。
そこかしこで煌めく光。この光景に覚えがなくても、この瞬間に立ち会えば何度でも震えただろうことはわかる。
突然、エアの声が届いた。
見上げて。
えっ? 素直に頭を反らせる。
星の瞬く空からいきなり現れる無数の淡く光るものが、目に飛び込んできた。びっくりして目を瞑る。
もう一度眺めれば、ボーッと光る星々に囲まれ、その中に飛び込んだように感じる。何となく大地の、草原の匂いがする。おかしいわね。
唇についた雪をなめてみる。爽やかだけど、ちょっとだけ苦い。でも、このドキドキするような感触はなにかしら。とても懐かしい味。
「ああ、すばらしいわ」
しばらく感激に浸ってから、両手で顔を拭う。手のひらで何度も撫でる。
じとっと濡れてしまった手を見つめ、冷え切った手を擦り合わせた。
見れば、メイとシャーリンも手を広げ上を向いたまま声を上げている。
そのそばに浮かぶ二つの光はほのかな緑。彼女たちまでまねしている。エアから聞いたの? ねえ、雪片の味はいかがかしら。
「わたしも初めて。今まで気づかなかったな。こんな空が見えることに。まったく、メイのおかげだよ」
「シャーリンはいつも前を向いて全力だから見上げる暇がなかったのね」
「そういうわけでもないんだけど、これからはいろいろなことに目を向けてみようと思う」
下からジェンナの声が届く。
「新年を迎える準備ができましたよー」
彼女の姿は見えないけれど、青い光が弧を描いた。
立ち上がってパパッと粉雪を払い落とす。こちらを見上げているだろうジェンナに答えを降ろす。
「すぐにいくわ」
(第二部 月白編 完)
◇ 以上で、第2部は終了となります ◇
◆◆ この物語はいったん完結とさせていただきます ◆◆
短編『おかあさんと呼んでいいですか【序章】~すべてはこの瞬間から始まった~』に続く本編を最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
多少なりとも楽しんでいただけたのであればうれしい限りです。
カレンたちは道中の小休止を迎えましたが、さらなる冒険が待ち構えているはずです。
少々未来のことになりますが、また彼女たちの次なる旅路にお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。




