343 レムリアの民 (カレン)
遠くまで一気の転移は自分の持てる作用が強くないと大変なのだとカレンは知った。ジェンナはよく頑張ったと思う。
あとから船酔いのようだったと聞かされた。
「よく協約を終わらせてくれた。わずかの人と使い手で大変なことを最後までやり遂げた」
「シルがわたしたちを導き、使い手のみなさまがわたしたちを守ってくださいました」
「シルは非常に満足している。もちろんレイもだ」
少し間をおいて言葉が続いた。
「記憶を失ったのはとても残念だ」
「後悔はしていません。わたしが自分で決めたことですから」
レイの長はいつもどおりだったが、頭の中に形成される言葉から謝意が伝わってきた。いろいろな話をしてくれたことにも驚いたが、本題はそのあとだった。
「新しい協約について話したい」
「……何か始めるのですか?」
「これから徐々にシルの力は復活するだろう。使い手の数もしだいに増えよう。それでも、残念ながらこの大陸中に広がった大地を刻むものたちの動きは止められない。知っているか? あやつらは記憶をむさぼり食う」
彼らと接触すると記憶を奪われるという話を耳にした。やはりそうだったのか。カイルの祖父のこと。ウルブの前線で聞いたうわさ。チャックからの気になる報告。それらはどれも真実。
わたしが記憶を失うのもトランサーと関係しているに違いない。
「疑いない。彼のものの一部がおまえの中に形を変えて存在している」
えっ、わたしの中に?
思わず自分の体を見下ろしてしまう。外見では何もわからないのに。
「一体になってしまったものを取り除くことは不可能。これからも共存していくしかないだろう。しばらくは、静かに暮らすことだ。強い力の行使を控えて必要以上に記憶を奪われないように努めるとよい」
ああ、そうすればまた数月、もしかすると一年くらいの記憶は保持できるのかしら。
「……あやつらはこの大陸を破壊し尽くしたあと、いずれ世界中に広がるだろう」
「でも、陸を隔てる海が……」
「これまでのように、地を刻むものはいつか形態を変えるだろう。それがいかなる存在にも起こる理」
海を渡るようになるというの?
それなら……わたしたちがしようとしている移住なんて意味がないことになってしまう。
「そうではない。人がこの世界のあらゆる場所に広がれば、来たる日に備えることができよう。彼のものらとて、どこまで浸透するかは未知数だ。協約が停廃されたから破壊者の数はこれ以上増えない。いずれ、長い時を経てしだいに衰退し、最後には消滅に向かうだろう。使命を果たしたものの宿命」
使命?
「どんな世界にも根底に調和というものが存在する。行き過ぎた二界には揺り戻しが生じる。記憶をなくし文化も失えば衰退せざるを得ないが、それでも世界は存在し続け、新たなる命と文化が芽生える。それがこの世のなりたちなのだから。世界は常に釣り合いを要求してくる。急速な成長はいずれ反動になりやり直しが求められる」
「そんな……」
「悪いことではないのだよ。種に刻み込まれた古き記憶を礎とした再出発は、より強い二界を作り上げ、それは前より繁栄するのが常。シルは太古からその波を見続けてきた。これからもそうするだろう」
「それで、わたしに何をお望みですか?」
「これまでのシルの記憶をカレンに託したい」
「えっ?」
「今さらこの地の上を移動してもむだだろう」
陸も海も長い年月で形を変えていく。そのたびにシルは場所を変えてきた。世界中にシルの痕跡は存在する。
「大地を刻むものたちの手の届かないところにも、記憶を囲う必要がある。このような事態はシルの記憶からしても初めて。それにシルもそろそろあそこに戻る頃合いだ」
つまり、トランサーの届かない空の上、もしくは海の中。
「新たなるシルの種を託したい。それを育て護ってほしい。代わりに高きところで暮らせるように援助しよう。大空に居を構えるのも心機一転になるのではなかろうか。すべてのレイが十分に育てば飛行術を提供できる。天空の先には海も広がっている」
大空を飛び、そこで暮らす? そのようなことが可能なの?
「シルがここで手段を用意しよう」
ここで?
別れ際に聞いたアレックスの話を思い出した。インペカールはメリデマールの南の地に自治領を設けることを考えている。
もしそうなれば、かつてメリデマールから逃れウルブ3に身を寄せている人々に選択肢を提供できる。希望するなら故国に戻ることも可能。
その人たちの中にはわたしたちに協力してくれる者も現れるかもしれない。そして、その人たちとともにシルの、この世界の記憶を守る。そうなれば……。
ああ、きっとこれがわたしたちが果たすべき本当の使命。いつしか右手で今まで見たことがないほどの光を放つ符環を見つめた。
「知っているか? レムリアの民とシルは遥か昔にこの世界の記憶を守るためにきずなを結んだことを。忘れられて久しいが」
「レムリア……。そうすると、レムルは……」
「そう、その想像に間違いはない。ここに古の誓いを蘇らせ、あらたなる協約となしてよいか考えよ」
「はい、シルにもレイにもたくさんお世話になっています。わたしにできることなら喜んでいたします」
「そう急くでない。よく考えるのだ。新しきシルを育て護るのがどういう意味を持つのかを。そして、時は相対的なものであることを」
「わかっているつもりです。シルの規範に従い遵守すること。わたしは自分の直感を信じてきました。たまに間違える場合もありますけれど。それでも、今回は正しいとわかっています」
両方の胸に順に手を当てた。
「わたしたちは、ここ、そして、ここにいるふたりに助けられ守られてきました。これまでのあらゆること、古き協約も乗り越えられたのです。エアとレアときずなを持つわたしたちはもうレイの一員になれていると自負していますし、シルときずなを結ぶことも望みます」
「感謝する、娘たちよ」
えっ?
「そなたの中の二体がこれからもずっと助けとなるのは違いない。それでは、そなたとそなたとつながりし者たちにシルの未来を託そう。新たなるシルの母」
「ええっ? いったい何を……」
「新しきものを生む者のみならず、それを育てる者も母と呼ばれよう。単なる呼称だ。気にすることはない。これまでにもあったこと」
いや、そういうわけには……。もしかして、わたし、選択を誤った?
頭の中に笑い声が響きびっくりした。レイの長も笑うの……。
「忘れるところだった。カレンの中にいるその二体についてだが、再び実体を与えることが許された。そなたに望みはあるか?」
ああ、そういうこと……でも、もう結論は知っているのよね。
右側に手を当てる。
「レアはケイトと一緒でした。そのケイトは死……実体を失いましたが継ぐ者はいます。どうかレアに実体を与えてあげてください」
「わかった」
エア、あなたも実体を持てば自由に……。
不満そうな声が聞こえた。
「ああ、カレン、ここの居心地はいい。カレンと一緒だといろいろなものを見逃すこともない」
「しかし、実体を得たほうがどこへでも自由に行ける」
「カレンはわたしが嫌い?」
「そんなことあるはずがないわ。今までも、これからも。それに、あなたがいなくなるとすごく寂しいかも。ランがいなくなるのと同じくらい」
「だったらカレンが考えていたように初めから結論は出ているのよ」
レアの思いが頭の中に形成される。
「ねえ、カレン、あたしはカレンのことが好きよ。これからもここに居させてね」
「ああ、レア、きっとケイトもそれを望んでいる。それでも……」
「わかっている。彼女はケイトの娘。あたしが寄り添うには申し分ない存在。再び実体を得たからには、彼女にも等しく姿を見てもらえる」
記憶が不安定なわたしにとって、このふたりがいればどんなに心強いことか。必要な時にはきっと助言をもらえる。右も左もわからないわたしの道先案内人になってくれるはず。
レイの長の穏やかな声が響いた。
「案ずることはない。その二体はそなたたちと強く結ばれておる。これからは、そなたが想えば、いつでも実体を得られるし、そなたとまた一体となることも自由だ。その二体はそういうふうになってしまった。これからも常にそなたとともにあり続けるだろう。それに、レイは人と一体になった使いたちの意志を尊重する。確かに、そなたとともにあれば、その二体はこれからも多くの興味深きことに出会うだろう。それは、未来を見る力がなくとも自明」
それって、わたしがまた突拍子もないことをしでかすという意味よね。心の中でため息をつく。
「落ち込むことはないのよ。それがわたしたちの喜びなのだから」
また、頭の中に哄笑が響き渡った。
「恐れることはない、娘たちよ。今までどおりにすればよいだけのこと」




