341 エルナンの文館 (カレン)
マヤは二回も即位儀を見られたと燥いでいたが、さらにもう一回国主代理の使命を全うしなければならないのをわかっているのかしら。
新しい権威ある者によって、王女にはシャーリンが指名された。といってもこれは形だけで彼女の出番となる日が来ることはない。アリシアに反対されなかったことにホッとした。
そのシャーリンは非常にもの静か。記録から想像していたのとかなり違うような気がする。
別に具合が悪いわけではない。
ペトラに言わせるとおとなになったのだそうだ。そう彼女に断言されてもいまいち説得力がないけれど。
イサベラと彼女から託されたものがそうさせているのかもしれない、と考えて密かに納得することにしている。
これでわたしの知る限り肩の荷はすべて下ろされた……はず。あとは若い人たちに任せよう。
こんなことを言ったら、あなたも同じくらい若いでしょう、という声が聞こえてきそう。でもね、この四月の間に相当に歳を取った気分だわ。
ステファンにそう漏らしたら、何度もうなずいてうれしそうな顔を見せた。どうしてかしら?
その彼はわたしたちの去就を聞きつけるなり、仕事そっちのけでまたすぐに飛んできた。一月に二度も呼び寄せることになって申し訳なかったけれど、一晩とはいえまた父娘水入らずで過ごすことができたのはよかったのではないかしら。
ミアを遠い国に縛り付けてしまったことも謝罪したら、なぜか逆に感謝された。まったく、人の心は何もかもわからないことだらけ。あとでジェンナに聞いてみよう。
数日後にはザナが王になる。その日に合わせて皆でローエンに行くことになっている。
アレックスやクリス、それにニコラともまた会える。
マヤはうれしくて我慢できないといった感じで勉強が手につかない様子。サラとトリルも諦めている。
そういうわたしも楽しみ。アトインカンからすべての荷物を取り寄せたと聞いたから。
それに、エルナンの文館の一部はまだ健在だと言われた。本当にメリデマールの叡智が収納されているかしら。ペトラもずっとそわそわしている。
ダレンにあっという間に引退することになったのを詫びたら、せいせいしたと言われた。そんなにわたしの権威ある者になったのが不満だったのかしら。
しかし、そのあとオリエノールに同行すると言われてびっくりした。たぶんメイジーがわたしと一緒に来ると言い出したからしかたなくに違いない。
チャックとメイジーにグウェンアイの運営はグウェンタの者たちに任せることに決めたと聞かされて驚いたが、チャックからもうひとりにはしないと言われたのがこよなくうれしかった。
彼からいろいろと話を聞くのはとても楽しい。いや、少し違うわね。心地よくなりどういうわけか満ち足りた気分に包まれる。
タリアとエドナはミアからイリマーンの紫側事を免除されて、正式にロイスの、つまりシャーリンの紫側事となった。正軍の指揮官だったルイも除隊してタリアと一緒に暮らせるようになった。
今は実体のないレムルの筆頭衛事になるのは、彼の実力をものすごく過小評価したことになって申し訳ない。そう言ったら、これまでよりタリアと一緒にいられる時間が多いのがありがたいと逆に感謝された。確かに親なら子どもの成長をそばで見守りたいもの。
彼女はシャーリンの娘たちに自分の子もまとめて面倒を見ると意気込んでいる。三人も大丈夫かしらと心配したが、エドナがいるから問題ないと言われた。ジェンナとミラン、それにエメラインとディードのことも考えるとこれから賑やかになりそう。
***
カムランを出立する直前、アリアの訪問があった。シャーリンは会ったことがあるらしいけれど、わたしは初めてのはず。
対面し丁寧な挨拶を受けた瞬間に知った。彼女がとてもすぐれた作用者であることを。数々の評判を耳にしている彼女の歌声のみならず、その話し声に強く引きつけられるものがある。
「ご出発の準備でお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。先日イサベラさまがビスムにいらっしゃった際に、カムランへのお招きを受けました」
そこでシャーリンに目を向けて続けた。
「王女さまにはせっかくお誘いを受けましたのにすぐに参ることができず大変申し訳ありませんでした。お詫びにもなりませんが、王女さま方と上妃さまをわが里にお迎えできればと考えております。今はまだ寒さも厳しいので暖かくなりましたころにいかがでしょうか?」
再びこちらに向けられた目の奥を覗き込み確信する。シャーリンが言うように彼女がイスの王家の末裔だとしても何の驚きもない。
シャーリンが尋ねる。
「わたしの姉妹が同行してもよろしいでしょうか。彼女は……何というか……古き時代の書物に大変興味を持っておりまして、託された資料を読み解く手助けをいただける方を探しているのです」
そういえば、メリデマール由来の新しい本をマックスが入手したらしいとペトラが話していたっけ。帰ったらその書巻と単眼鏡を受け取りに行かなければ。
「わたくしでお役に立てることでしたらいつでも喜んで。王女さま方のお姉さまのように古の文化に興味を持たれている方とはぜひじっくりとお話ししたいものです。レムリアの姫さまとあらば、いかなるときでも大歓迎です。それでは皆さまのご来訪をお待ち申し上げます」
***
エルナンの館に着くなりザナの私室に招かれた。ペトラも一緒に呼ばれたのはどうしてかしら。彼女があれに興味を持つとは思えない。
ディオナがいたのには少し驚いた。その彼女の前には小さな箱が二つ置かれている。
部屋を見回してから言う。
「あれはまだ出していないのね?」
「えっ? ああ、あれが見たかったのね。ごめんなさい。時間がなくてまだ手をつけてないの」
ザナが多忙なのはもちろんわかっていたがちょっぴり残念。文字や絵による記録と実際に目で見るのとではまるで違うから。
「次に来るときまでに出しておくから」
「はい。でも、今度いつ来られるか……」
何かこちらに来る口実を作らなければと考えていると、ディオナに話しかけられた。
「カレン、ローエンを救っていただきありがとうございました。エルナンを代表してもう一度お礼を言わせてちょうだい。それから、これを受け取ってほしいの」
彼女が小箱をあけて指輪を取り出すのが見え慌てて答える。
「ああ、ディオナ、わたしは何もしていませんから。本当に。全部アデルのオリビアさまのなさったことですから。それに……」
「わたしが娘を授かったとき、あなたは十歳だったかしら。あなたたちの守り手になるのよと言ったら、次の日からあなたは毎日わたしのところにやって来て、ここに手を当て娘に話しかけてくれました。あのころはパメラも一緒だったかしら」
わたしはそんな変なことをしていたの?
「あなたはとうに初動していたし、まだ産まれてもいないザナとの間にきずなを作り上げてしまった。あれにはエレインもわたしも仰天したことを今でも覚えています」
ああ、産まれる前からザナをこの手で縛っていたとは……。
「ごめんなさい、ナン。わたしは……」
見ればザナは笑顔で何度もうなずいている。言いかけた言葉が続かず口を閉じてしまう。ふと思う。間違いなく今では彼女が姉でわたしが妹だわ。
「ねえ、カレン、つまり、何が言いたいかというと、あなたはザナの姉だからエルナンの、そしてローエンの皇女だということ」
「ちょ、ちょっと待ってください、ディオナ、それは……」
ザナがさらりと付け加えた。
「カレンが皇女になれば、ペトラも皇女にできる」
「はい?」
「あなたたちの部屋も用意した。ああ、もちろんお姉さまの大勢の子どもたちも忘れていないわ」
いったい何の話をしているの?
独り言のように言葉が続いた。
「そうそう、ここの文館のことだけど……」
「えっ?」
唐突に話題が変わりついていけない。
「エルナンの符環を持つ者にしか許されない書物があるのよ」
ずっと黙ったままだったペトラから甲高い声が飛び出た。
「ええっ!? つまりここには貴重な書物があって、それはエルナンの皇子でないと読めないということ?」
「ええ、そうよ、ペトラ」
すがりつくような顔のペトラから目を逸らして、ディオナとザナの顔を見た。視線を下げディオナの手にある銀色の符環を見つめる。
まったく油断していた。呼ばれたときに予想すべきことだった……。
「すごい……これで、きっと……」
勢いよくしゃべり続ける声が頭の中を素通りしていく。
メリデマールの古き書物、彼の地から渡ってきた文館、そして彼女の存在。これらが集まれば新しい発見が待っている。
頭の中にどんどん湧き上がってくる期待に心が揺さぶられる。確かにそれをわたしも欲している……。
「はあ……おふたりには負けました」
おとなしく左手を差し出し指輪が増えるのを見つめる。控え目な淡い黄の光は月の符環と呼ばれるに相応しい。
ふと疑問が湧いてきた。文館の本を読むのに本当にこれが必要なのかしら。にこにこしているふたりを見るほどに疑念が深まった。




