340 母にできないこと (カレン)
またノアとどこかに出かけていたペトラが帰ってきたので捕まえる。
「ちょっと来てくれる?」
部屋に入ると向かい合って座る。
「もう一度だけ試させてもらえない? あなたもケタリの種を持っているから……」
「ああ、お母さん。無理しなくていいんだよ。わたしは別にケタリになりたいわけじゃない」
「それでも、これは、わたしの……わがままと思って付き合ってくれる?」
「もちろん、いくらでも、好きなだけ」
「じゃあ、両手を出して」
普通の同調でだめなことはもうわかっている。だとしたら、もっと強い同調で作用を流してみるしかない。ペトラの手を重ねて、自分の両手で挟む。こうすればさらに強い同調がかけられる。
「輪にするのはやめたの?」
「マヤに教わったのよ」
「ええっ? マヤから? すごい……やはり姉はただ者じゃないな。なら探求者として見逃すわけにはいかない」
「じゃ、始めるわね」
初めはゆっくりと、徐々に作用の流れを増やし、ペトラと同調する。双方の作用が弾けるように広がりふたりを包み込む。
ペトラからあえぎが漏れた。彼女の力髄が目の前に浮かび上がり、そこに通じる二つの力絡が太くはっきりと視える。
両手から作用が流れ落ち、ペトラの両腕を通って力髄に注がれ、ケタリの種を刺激する。疾走感がさらに強くなり巡る作用が追えないほど速くなった。
今度ははっきりとわかった。限界まで達した同調力に確かにエアとレアの力が引っ張られているのを。ふたりと二体の作用が混じり合い頂点に達した。胸が熱くなり見なくても光っているのがわかる。
もう無理。これ以上は我慢できない。同調をゆっくりと緩めて息を整える。しだいに作用は弱まりやがて静かになる。
大きく息をつくペトラと目を見合わせる。
「……ほんとにすごいな。こんな凄まじい感覚は初めて。確かに水の上を疾走していたんだ。本当にそう視えたんだよ……」
しばらく興奮したペトラの話を聞いていたが、やがてぽつりと言う。
「わたしってだめね……」
「そんなことないよ。ケタリの種を持っていても全員がケタリになるわけじゃない。アデルの書庫で見つけた本を読んだけど、半分もなれないらしいよ。お母さんはすでに大勢のケタリを生んだんだよ。すごいことだと思う」
「ミアとメイはケイトがやったのだし、シャルとマヤはわたしの知らない間になっていた。イサベラのときだってそう。わたしは何もしていない……」
「うっ、ごめんなさい。余計に落ち込ませちゃった……」
すぐにペトラに抱きしめられた。
「でも、わたしはお母さんが好きだから、そんなことはどうでもいいの」
「あなたには何もしてあげられなかった。パメラとフィオナにすべて押しつけて。本当に母親失格……」
耳元でささやき声が聞こえた。
「わたしも娘としては失格。お母さんにはいろいろ言い過ぎたと思う。ごめんなさい。お母さんはまじめだからわたしがうっかり言ったことを全部素直に受け取ってくれて……。すごいことだと思う。ありがとう」
肩からため息の震えが伝わってきた。
「自分でもわかっているの。つい余計なことを言ってしまうのは。……学校でもどうしてかそうなっちゃって……」
突然の話に息を殺して目を閉じる。
「でもね、間違ったことは言ってないんだよ。だけど……あの子たちはわたしにではなくてほかの……わたしと仲のよかった子たちに……」
「うん」
「どうしたらいいかわからなかった。言えば言うほど彼女たちへの当たりが強くなって……しまいには……」
「うん」
吹っ切れたように話が続いた。
「わたしの立場のせいなのはわかっていた。でも、それは自分ではどうにもならないし、そのためにますます酷くなって……。だから行くのやめちゃった。それで解決するのかわからなかったから、結局ただ逃げただけだった……。自分の好きなことだけして……逃避して……無責任だったと思う。きっと軽蔑されている。彼女たちに何かあったら……」
ペトラをそっと抱きしめてから話し始める。
「わたしには記憶も経験もないから、これは単なる独り言だと思って」
軽く息を吐き続ける。
「あなたは悪くない。けれども正しいとか間違っているとかそういう問題でもない。こんなわたしでもこれだけはわかる。人は誰しも拠り所を欲しているの。わたしは多くの人たちに支えられてここまで来られた。あなたには本がありそれがあなたを護ってきた。人は皆それぞれだし、どうすれば立っていられるかも違う。だから心の支えを求める方法がずれちゃうこともあると思う。自分ではわかっていてもどうにもならないことがある。それに、人は自分の胸の内を晒すのがとことん苦手な生き物……」
一息つく。
「ああ、もう、何を言っているのかわからなくなってきたけれど、とにかくこれだけは言える。自分を信じることがわたしを護り、ほかの人を信じれば前進できた。信じてもらうことで強くなれた。そう思うの。あなたもあなたの友だちもきっと同じ。必ずわかってくれるわ」
「うん、でも……」
「何であれ最初の一歩を踏み出すのはとても勇気がいるのよ。お友だちのことが心配?」
「……うん」
「あなたの友だちもあなたのことを責めたりしないわ。また会いたい?」
「……うん」
「あなたがそう望むのなら、あなたが信じるのなら、お友だちもきっと信じてくれる」
「今どうしてるかな……」
「こんなわたしが出張るのはだめよね。……エドナとマリアンに頼んでみましょ。あなたがいいのなら……」
「うん」
「わかった。大丈夫。あなたもあなたの友だちも何も悪くない。だからきっと大丈夫。そう信じるの」
この状況に既視感があるのは気のせいだろうか。もしかすると。前にも同じようなことに直面したのかもしれない。これがわたしの直感というものなのかしら。
「あのね……」
「なあに?」
「いや、なんでもない……」
「わたしがあなたの隣に立てたのならいいのだけれど……」
しばらくそのままでいたが、ため息とともに体を離す。
「ありがとう、お母さん」
そう言うペトラの両手をつかんだ。
「それにしても……あら?」
もう一度手を握る。
「これは……」
「どうしたの?」
「ねえ、前に経路が二つあるって話をしたのを覚えている?」
「うん。同時に使えれば便利だねって思ったよね。でも何度試しても無理だった」
「ちょっとやってみて」
「えっ?」
「ほら、早く」
「わ、わかった。急にどうしたのさ?」
ちょっとしてペトラは唸った。目を閉じて集中しているようだった。
「お母さん、同調してないよね? 手伝ってないよね?」
「何もしてないわよ。じゃあ手を離すわ」
「……うわわっ……これはびっくり」
「できたでしょ?」
「うん。すごいや」
「あなたの真髄はこれだったのね。ケタリですらできないこと」
イサベラはできていた。たぶんわたしも。わたしたちの共通点と言えば……ああ、そういうことか……。
「……ねえ、あの空艇、ひとりで飛ばせるかな?」
「ええ、きっとできるようになるわ」
いきなりペトラが抱きついてきた。今度は手を回してギュッと抱きしめる。
「ねえ、わたしも、お母さんから贈り物をもらった。こんなすばらしい宝物を」
「大げさね。でも、あなたにもなにがしか渡せてよかったわ」
「うん。やっぱりわたしのお母さんだ」
「あなたのその力の半分はパメラのおかげなのよ。もうひとりの母親からの贈り物。パメラがあなたとわたしを救ってくれた。どんなに感謝していることか……」
「うん、どっちのお母さんにもお礼が言いたい。本当にありがとう」
ねえ、聞いているかしら、パム。
わたしたちの娘はこんなに立派に成長したわ。あなたにもう一度会ってお礼を言いたい。いろいろなことを話したい。
叶わないことであってもそう望まずにはいられない。
「……お母さんはやはり黎明者」
「突然なんなの?」
「お母さんの関わるところに、常に新しきものが芽吹きとんでもないことが起きる」
「後悔しているわ。いろいろと面倒なことに皆を巻き込んだ」
「いや、そこに自省の必要はないよ。わたしは巻き込まれたいと思っているから。お母さんの娘も妹も皆そう願っている。それがすばらしいことだと知っているから」
「変なの」




