338 娘と母
ジェンナがいつものように顔を出したが、こちらをちらっと見てうなずいただけで引っ込んだ。
ふたりが目を覚ますまで待つ。隣の部屋で仕事を始めたジェンナの中途半端な力のことを考えているうちに時間は飛び去っていく。
突然ミアの目がパチッと開いた。
「……カレン?」
ゆっくりとうなずく。
「ああ、ありがとう、カレン。本当に感謝してる。ケイトにまた会えるとは思ってなかった」
「それを聞けてわたしもうれしい。これで少し肩の荷が下りたような気がするわ」
「カレンはいつも頑張りすぎ。初めて会ったときもそうだった。もう少しで死ぬところだったんだから……」
「その話、聞かせて」
ミアはその夜のできごとを振り返ったあと、しみじみした口調で語った。
「今思えば、あの夜カレンと出会った時があたしの人生の転機。ムリンガの甲板に上がってきたカレンの顔を見て妹に違いないと確信した瞬間が。体がブルブルと震えてくるのを隠すのに必死だった」
顔をしかめて続けた。
「あのときはほんとごめん。レオンもあたしもどうかしてた」
「いいのよ。わたしは覚えていないから」
記録では知っているけれど単にそれだけ。ミアとレオンがどう考え、その時わたしが何を思ったかは想像するしかない。
「あのころはひとりでいるのが好きだったし、メイのことも何となく避けていた。それが、カレンと出会いたった数時間一緒にいただけで、なぜか家族というものをすごく意識するようになった。カレンとシャーリンの強いきずなを見せられて、ふたりのことをもっと知りたい、一緒にいたいと思うようになった。ミンに行けばまた会えるかもと考えたけど、本当に再会できるとは。まるで魔法の力が働いたように感じ、この流れに身を任せるべきだと確信した。シャーリンやメイとの旅もすごく楽しかった。知らなかったいろいろな発見がたくさんあって……。ああ、つまり、あたしがここにこうしているのは全部カレンのおかげなんだよ」
カレンはミアと目を合わせ首を振った。
「それは違うと思う。あなたの得たものが望んでいたものなら、それはあなたが自ら道を切り開き努力した結果なの。わたしたちはあなたたちの母だけれど、同時にわたしはミアとメイの妹のつもりよ。今までもこれからも。あなたたちの妹なのが心地いいの。だから、わたしがちょっとでもあなたの助けになれたのだとしたら妹としてとても光栄よ。そうそう、あまり頻繁にはできないけれど、また機会があったらケイトと話してちょうだい」
「なら姉として言わせてもらうと、あたしと違ってカレンはまじめでひたむきだから、いつでもむちゃしすぎる。チャックもこぼしていたよ。カレンのやることは気が気でないって。だから、もう少し力を抜いて適当にしたほうがいいんじゃないか」
「別にそういうつもりではなかったのだけれど、これからは……そうするように努力するわ」
ミアからため息が漏れた。
「それでね、とっても言いにくいのだけれどお願いがあるの」
「もう……何でもするから早く言って」
「そお? それじゃあね……王女になってほしい。目覚めたとたんにダレンからせっつかれているの」
「えっ? あたしが?」
「あなたしかいないのよ。イリマーンの王を任せられるのは。シャーリンもペトラも論外だし、メイにこんなことを頼めやしない……」
「ん? 王女って言ったよね?」
「わたしはこうでしょ。もうすべての記憶がないし、これ以上は無理なの……」
「……わかった。何でもすると言ってしまったしな……」
「ごめんね。あなたにだけ負担をかけて。でもあなたとレオンなら皆を導いていける。カムランの人たちが全力で支えてくれるわ。移住が完了するまでよ。そのあとはカムラン、それにイリマーンの人たちの意志と希望に任せればいいと思うの」
「ああ、わかった。とにかく頑張ってみる」
「ありがとう」
ミアに手を回してしっかりと抱きしめていると隣から声が聞こえた。
「わたしもお姉ちゃん以外に適任はいないと思うわ」
「起きてたのか、メイ」
「うん。実はお姉ちゃんより前に」
「ううっ、全部聞いてたのか……」
体を起こしたメイがベッドにきちんと座り直してこちらに目を向けてきた。
「お母さん、母に会わせてくれてありがとうございます。また会えるとは思ってもいなかったから感激しちゃいました。本当に感謝しかないです」
「それはよかった。あなたに喜んでもらえてこんなうれしいことはないわ」
メイはつと手を伸ばしてきた。前を開いて広げるのを黙って眺める。
屈んだ彼女の顔に一瞬驚きが見えた。少しして声が漏れる。
「きれいになっている」
頭を起こし彼女と一緒に覗き込んでから尋ねる。
「なにが?」
「お母さんにすごく辛い思いをさせちゃったから心配で……」
いつの間にかミアも隣に座って見下ろしていた。
メイは両手を左側に伸ばしてくると、両側から丘を挟み込むようにあてがった。
黙って見つめながら空しい記憶を探る。いったいこれはなあに?
すぐに体の奥底でかすかに揺らめく炎を感じた。
そこはかとなく温かい感覚がゆっくりと立ちのぼってくる。このもどかしくも懐かしい思いは何だろう。
あらっ? 彼女はもう一つ使えるようになったのかしら。
「痛みはある? 変じゃない? 苦しくない?」
ああ、そういうこと。矢継ぎ早に問うメイを見て首を横に振る。
メイは両手を反対側に移してからこちらを見る。
包み込むように押さえる手のひらから今度は確かに作用が流れ込んできた。
それにしてもこうやってあちこち撫でられるのは変な感じ。
そう考えた瞬間、頭の中に言の葉が形成された。……くすぐったい?
「なんともないわよ」
ゆっくりと手を引っ込めたメイは小さく息を吐いた。
「ああ、よかった。本当によかった……」
目の前のキュッと締まったものをもう一度確認する。
前より高くなったように見えるのは気のせいではないわね。ああ、ランったらもう……。
***
扉が開く音が聞こえマリアンが姿を見せた。近づいてきてベッドの傍らに立ちお辞儀をする。その顔に複雑な表情が浮かんだが、すぐに元気な声が響いた。
「おはようございます。間もなく朝食の準備が調いますので、このままお待ちください」
次にエドナが現れたのに驚く。
ああ、シャーリンはまだ戻らないのね。そしてタリアは帰ってきたルイと一緒のはず。
エドナはこちらを見て一瞬足を止めたものの、すぐに暖炉に向かう。マリアンが次々とシェードを上げ窓を開いていくと、冷たい風が吹き込んできた。
毛布を引っ張り上げてくれたメイの手を押さえて握り締める。
「ありがとう、メイ。あなたは本当に優しくてすてきだわ。わたしも頑張ってあなたたちに相応しい母になる」
「もうなっているから。お母さんはそのままでいいのよ。今のお母さんがわたしたちは好きなの。ああ、それに、しっかりした妹はもっと大好き」
「また、こうやっておしゃべりしたいわ。ほら、わたしはまた退化したから、いろいろなことを教えてちょうだい。あなたたちを頼りにしているの」
暖炉からパチパチと心地よい音が聞こえてくる。
ジェンナの顔が覗いた。
「朝食のご用意ができました」
すぐにミアとメイがベッドから滑り出た。
そばにやって来たマリアンを見上げる。
「もうおなかがペコペコよ。最初からおかわりを頼んじゃおうかしら」
毛布を畳んだ彼女はいつものように全身をすばやく確認する。
「はい、姫さま。どうやら相当くたびれているようですね。お勤めお疲れさまです」
彼女の視線は薄衣にふわりと被われたところに向けられている。
どういうわけか察しがいい彼女にも感づかれたかしら。
「ええ、もうくたくたよ」
マリアンの後ろに立つエドナが心許なげな視線を向けてきた。
何やら話しながら出ていくミアとメイをちらっと見たあと言った。
「もしかして、お姉さま方に……あれをなさったのですか?」
さすがに彼女は鋭い。
「ええ……まあ、そんなところ」
本当はわたしではないのだけれど……。
ちらりとエドナの顔を窺ったマリアンは本当に心配そうだ。
「あまり無理をなさらないでくださいね。病み上がりなのですから。お体を大事になさってください。お連れしましょうか?」
「えへへ……甘えてもいいかしら」
今朝くらいいいわよね。本当に限界までへたばったのだから。誰かさんのおかげで。
嬉嬉とした彼女に食事室まで運ばれる。
「またお痩せになりましたね。羽のように軽いです。これからは、正軍のように三食にしましょうか?」
「大げさね。それに、わたしはお茶菓子のほうが好きよ」
「それでは、タリアにお願いしますね。知ってました? 彼女の作るお菓子はとってもおいしいんですよ」
ほかの人もそう言っていたっけ。タリアはフィオナのように菓子職人の腕前を持っていると。せっせと動き回るジェンナに彼女の姉の姿が重なって胸がジーンと熱くなる。
フィオナとタリアのお茶会はどちらも経験があるはずだけれど、これはケイトの記憶にはないわね。なら、また新しい感動とともに味わうことにしよう。きっとケイトも興味あるはず。エアとレアはもちろん間違いなく。
「それ、いいわね。今日はほかの人たちも呼んでみんなでお茶にしましょう」




