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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第5章

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337 母と娘 (カレン)

 心臓がものすごい勢いでガンガンと鳴り響き、積まれた手が激しく上下する。喉がゼイゼイと音を立てている。ああ、もう少しでとんでもないことになるところだった。

 ありがとう、レン、助かった……。


 ()めていた息を長々と吐き出して心を落ち着ける。ああ……最初からこうすればよかったのね。だらりとなった両手は重しが載せられたように動かない。

 目を閉じたままのふたりからも震えが伝わってくる。まだ全員が全力で走ったあとのように深呼吸を繰り返していた。しばらくたってやっと声が出る。


「これがしたかったんでしょ。あたしも初めて。確かに単に手をつないだときとは大違い。大空を飛んでいるみたいだった。ここに確かに風を感じたわ……」


 こういう感覚を味わうのは初めて。第三の手を使うなど考えもしなかった。確かにレンもマヤも変わっている。何でもやってみるところがすごい。こんなことができると発見するのがすばらしい。未知の領域に踏み込むのは本当はとても勇気のいることなのに。


 何だかんだと言ったけれど、やっぱりランはすごいわ。

 ふたりをケタリにしてくれて、おまけに、彼女たちの希望もちゃんと(かな)えてみせた。最後に頼るべきは姉……。




「……わたしは草原を疾走していた。花の香り、大地の匂いに包まれて。草を揺らす風を浴びてすごく気持ちよかった……。ねえ、お姉ちゃんは?」

「あれは、海の中か、いや空なのか……何もかもが(きら)めいていた。満ちる光の温かさ、それをかき分けて進んでいた。あの(きら)めく景色は忘れられない。満天の星よりも輝いていた。光が溢れていた……」


 突然、どっと倦怠(けんたい)感が押し寄せてきて小刻みに息をつく。体の震えが止まらない。横になっていなければ確実にひっくり返っていた。レンの同調力が強すぎて制御がうまくできなかったし、たぶんこの体も力も回復していない。

 ごめん、レン、ほんとにごめん、やりすぎた……。




「お母さん……お母さん、大丈夫?」

「もう、へとへと。こんなに消耗するなんて思いもしなかった。ああ、体も腕も重くてしばらく動かせそうもないわ。……やっぱりまだ治ってないみたい」

「ごめんなさい。とても痛かったでしょう?」


 彼女の視線の先を見てびっくりした。


「あらま……」


 かなり火照っている。

 そこにメイが手をあてがったとたんに、つぶやく声が聞こえた。


「熱いわ」

「ああ、ヒンヤリして気持ちいい」

「お姉ちゃん、そっちも……」

「しばらくそうしていてくれる? でも不思議。見た目と違って全然痛くないの……あたしはね」

「じゃあ、苦痛は全部おか……カレンさんが……。ごめんなさい、カレンさん、こんなにしちゃって本当にごめんなさい」


 両手を添えたものに向けられた視線はとても気遣わしげで、心配りがわたしにも伝わってくる。


 心配そうなミアとメイの顔を順に眺める。


「ふたりとも、ありがとう」

「なあ、メイ、第二が使えるようになったのか?」

「まさか」

「ああ、そうだよな。ケタリになったからといってそうすぐに変わるわけじゃない……」

「ねえ、お母さん、カレンさんの……体は大丈夫なの?」


 平気よ、たぶんね。心配してくれてありがとう、メイ。あなたは本当に優しいわ。うれしくて涙が出てきそう。


「レンの体に限界まで負荷をかけちゃった。無理させちゃった。でも、これ以上力は使わないし、もう何もしないから安心して」

「うん、それを聞いてホッとした」


 なぜかしきりに潤んでくる目頭はミアが何度も拭ってくれた。




「レンのおかげで、あなたたちの希望も満たされたのではないかと思う」


 ミアがゆっくりとうなずいた。


「うん、感動した。マヤがあんなに勧めてくれたわけがよくわかったよ」

「レンの同調力は普通じゃない。あたしにはうまく制御できなかった。マヤが言うように、普通のケタリにはできないことなのかもしれないわね」

「こんなにすごいとは思わなかった。あの感覚はもう二度と味わえない……」

「あら、またやってもらえばいいじゃない、レンに」

「いやいや、とんでもない。またこんなことをさせるなんてあり得ない」


 ミアは手元を見ながら何度も首を振った。


「あたしは下手っぴで暴走させちゃったけど、レンはもっとうまくやるわ。それにこんなことになったりしない。それだけは絶対に確か。だから、いいんじゃないの。レンはまったく気にしないと思う」

「はっ?」

「そ、レンは普通じゃないから。時々とんでもないことをするし、人目なんか気にしたことないから」


 ラン……。ほかの人にもそう触れ回っていたのではないでしょうね?

 これはわたしだけができることではないと思っていた。同調力が使えるようになったあなたたちでもできるのじゃないかしら。それとも、やはりわたしにしかできないの?

 ランも初めてと思っているようだし、マヤもわたしと一緒でないと無理と言ったらしい。どうしてなのかな……。




 メイが笑った。


「お母さん、それはあんまりでしょ。カレンさんにまた怒られるわよ」

「たぶんね。もしかすると、あたしはレンに叱られたいのかもね。うん、確かにそう望んでいる。いつだって妹はあたしの道義なのだから。だからいいの、大丈夫。レンはあなたたちを愛しているから、あなたたちの母だからふたりのことを第一に考える」

「本当?」

「うん。あっ、ミア、でも気をつけて。レンはよく妄想の世界に入ったままなかなか帰ってこないことがあるから。こんなことをしている最中にそうなったら……全力で引き戻してあげてちょうだい」

「えっ? そうなの?」

「あっ、それ、わたし、わかるような気がする」


 そうね、メイ、いろいろと想像を巡らせるのはとても楽しいことなのよ。誰だってそうだと思う。違うのかしら。


「異世界から帰還したときは突拍子もないことを言ってくるから気をつけて。いつだったか、あなたたちの(あざな)について相談したら、しばらーくたって急に、樹木の話を始めたの。目が点になったわ。それからというもの、分厚い図鑑を持ち出して徹底的に調べて考えてくれた」

「それじゃあ、わたしたちのは……」

「そうよ、メイ。レンがつけてくれた。ミアサラとメイレン。あなたたちにぴったりだと思う」

「ああ、やっぱりそうだったのね」

「そのあと、レンに子どもができたときのために、今度はふたりで候補を考えた」

「あ、ペトラとシャーリン……」

「そうか、あのときはパムも一緒だった。ああ、そういうことか……」

「え? 何のこと?」

「いや、何でもない。とにかく、レンが考えそうなことでしょ。同じ日に生を受けし二人と守護たらん(つい)の木。あたしには思いつかないな。そもそも大仰な真名を持つ木から(あざな)をもらうなんてこと」



***



 三人並んで静かに横になっている。触れなくてもふたりの鼓動と息づかいが伝わってくる。


「あのね、お母さん、ティムと一緒になることにしたの。年が明けたら……」

「そっか」


 メイから笑みが漏れた。


「どうしたの?」

「その言い方、カレンさんそっくり」

「そりゃ、あたしたちは同体なんだよ。ある意味、喜びも悲しみも共有してる。それで、ミアはレオンと一緒になったの?」

「うん」


 両手でふたりの頭をめいっぱい撫でたらクシャクシャになった。


「ふたりともおめでとう。あなたたちは本当にあたしの自慢の娘だわ」


 またメイが笑った。


「もうひとりのお母さんにもそう言われたわ。それで、お父さんにも会う?」


 首を横に振った。


「それはやめておく。ステファンが目を回して卒倒したら困るもの。それに、こうやって表に出てくるのはレンにすごく負担をかけているの。だから、彼には内緒にしておきましょ」


 わたしは構わないのよ、ラン。たまにはこうやって、あなたたちのなんてことない会話を(はた)から眺めるのも悪くないわ。

 それはいいのだけれど、わたしの体で遊ぶのはもうだめよ。


 三人で夜が更けるまで話をした。本当にいろいろなことを。全員のまぶたが重くなるまで。

 カレンも夢うつつに耳を傾けた。



***



 目が覚めると、ミアとメイに挟まれたまま寝ていた。ちゃんと服は着ている。しばらくふたりの寝顔を眺めながら考える。


 最後に引っ込んでうとうとしていた間でも、三人の会話がぼんやりとした記憶として自分の中に残っている。その前にやったことはもうあまりはっきりしない。時間の感覚もなかった。ケイトもこんな感じなのかしら。

 彼女が分けてくれる記憶があやふやなのはそういうこと?


 わたしはすべての記憶を失ったけれど、ケイトと替わればおぼろな光景が浮かんできた。エアと交わすちょっとずれた問答、そして、ジェンナが熱心に語ってくれるこそばゆい話。どれもが空っぽになったわたしを勇気づける。

 みんなと一緒ならこれからも頑張れる。


 少しだけ作用を回して確認する。ふたりとも間違いなくケタリになっていた。やはり彼女の、母の力はすごい。わたしのことも考えてくれて躊躇(ちゅうちょ)するケイトに無理に頼んで本当によかった。


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