336 母にできたこと (カレン)
ミアとメイが手元を凝視したまま固まっている。
「レンが本当は若いってことを忘れてた。うーん、でもそれだけとは思えない。ほら……」
「何してるの、お母さん!」
「何かサワサワと湧き上がってくる……。この作用は何だろう。うん……こうすればもっと……」
何やっているのよ、ラン。わたしの胸はおもちゃじゃないのよ……。
わたしには増幅装置が付いているのだから……。というか、どうしてエアとレアは抑えてくれないのかしら。
ああ、そうか。わたしが引っ込んでいる間はつながりも切れたままなのね。でも、それなら……これはおかしいわね。
「あたしの目は確かだったことが今わかったよ……」
ミアがぽつりとつぶやいた。
「こんなに……おっ、すごく温かくなってきた。ほら、触ってみて……」
険しい顔のふたりを見て諦める。
「とってもきれい。それに、これならたいていの子には負けないわ……」
ラン、何を張り合っているのよ? それで褒めているつもりなの? ねえ、いつまでそうやっているの……。
「こりゃすごい……レンが第三の手を使う理由がわかった」
なに勘違いしているのよ? ランは感知が使えないからよ……。
あきれ顔のメイが声を上げた。
「お母さん! 燥ぎすぎ! だめでしょ、そんなことしちゃ」
「ああ……ごめん、ごめん。久しぶりで……ちょっと興奮しちゃった」
しかめっ面のミアが堪えきれないように笑いを漏らした。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「いや、ケイトらしいなと思ってさ。この暴走は間違いなくケイト本人だ。ほんと……」
ほんと、盛り上げてくれるわね。ランっていつもこうだったの?。
「お母さんのじゃないでしょ、もう。カレンさんの体なのよ」
メイ、あなたは本当にいい娘。泣けてきちゃう。
「それに、そんなことをすれば……大きくなるのは当たり前でしょ」
「えっ? でもこうはならないよね。……それともなるの?」
そう聞かれたメイはパッと顔を赤らめた。
「お母さん!!」
「ごめん、ごめん。何か涙が……。これは、レンにこっぴどく叱られるわね」
「もう、たっぷり怒られてちょうだい!」
ええ、あきれて声も出ないわ。口はないけれどね。
こうなっても気にしないし、必要なことのためなら厭わない。でも、そうやって自分の娘たちの前でするものじゃないでしょ。
ジェンナがいなくてよかったわ。こんなところを見られたら、いったい何を言われることか。
ふと思う。わたしのすることに対しても、こんなふうにやきもきしていたのかしら。ランが奔放に振る舞っているのはその反動かも。そう考えたとたんに彼女のすることなすことがかわいらしく思えてきた。
ああ、もういくらでも好きなようにしていいわ。今はあなたに委ねているのだから。
「えーと……あなたたちをケタリにしてほしいとレンに頼まれたの。自分にはどうしてもできないからと」
やっと本題に入ったわね。忘れちゃったのかと思っていた。
お願いよ、ラン。
「ああ、そのこと。でも……」
「あたしたち、母の願いなの。あなたたちに渡せるものはもうこれだけだから……受け取ってね」
「えっ、はい。ああ、それでお母さんが……そういうことだったの……」
「本当はね、手をつなぐだけでできるけど、一度限りのことだし、今夜は特別だから……」
どうするのよ、ラン? まさか……。
娘たちの間で横になる。
ひとつ深呼吸して湧き上がる流れに身を委ねると、ふたりが息を呑むのが聞こえた。
「すごい……」
いったい何に感心しているの? それより、あなたの娘たちが固まってしまったわよ。
何度も咳き込む音に続いて声が聞こえた。
「お、お母さん、これからどうするの? ……ねえ、聞こえてる?」
「あ、ごめん、ごめん。えーと、手を出して。ミアも」
見下ろすふたりの手をつかんで引き寄せる。
「ひゃっ!」
あ、びっくりした? 冷たい手……それともこっちが温かい?
ああ、当然そうなるわよね。
でもそれじゃあ、幼いマヤとまるっきり同じじゃない。だいたい力髄のことはどうなっちゃったのよ……。
まったく、クラクラしてきたわ、頭はないけれどね。
「お、お母さん、こんなこと……」
「ほら、ふたりとも、ギュッとつかんで。あたしは平気だから」
ランは平気でも、わたしの手はとても敏感なのですけど……。
案の定、ふたりとも握った手をすぐにパッと開いた。
「大丈夫かな……」
今さらのお気遣いありがと。まったく、ランにはかなわないわ。
冷静に考えてみると、実はランも知覚がはっきりしないのかも。確かに意識が入れ替わったとしても、彼女にとってこの体は別人のもの。
だから今はふたりとも他人の体を前にして眺めているようなもの? 初めての経験だからよくわからない。あとで詳しく聞いてみよう。
それにしても、傍から見ているだけでこれほど疲れるなんて……。
少し休憩。
あの光景が目の前に浮かんできた。またあの時のようになったらどうしよう。今度は娘たちの命まで奪うかもしれない。
レンは大丈夫と言ったけれど、どうしても不安が頭をもたげてくる。ためらうあたしに保証してくれた。
同調力を全開にしたとしても事故はもう起こらない。あの時に起こったことは、イサベラがトランサーの毒に犯されていたから、そして原初とつながりがあったから。
レンの言葉を信じよう。信頼している妹だもの。ここまで来たらやるしかない。ひとつ深呼吸して言う。
「途中で離しちゃだめよ。いい?」
第三の手は最強だがこれが欠点。手をしっかり握り合えない。
ふたりと強くつながったところでゆっくりと作用を流す。
ミアとメイの中を巡りふたりの作用をすくい上げる。そしてケタリの種を刺激する。乱れもなくすこぶる順調。強まる流れがふたりの隠れた力を目覚めさせる。
しばらく続けていると反応があった。ふたりの力髄の変化も視えた。
すぐに力を緩めて、ホッと胸をなでおろす。これが初めてだから、普通に手を使うより早いのかどうかはわからなかった。
さほど力は使っていないはずなのに妙な疲れに襲われた。まだ完全じゃないのかな。
ずいぶん迷ったけれどレンに説得されてよかった。たいていは彼女のほうが正しい。
ふたりから長い吐息が漏れた。
「これで……本当にケタリになったの? まだ実感が湧かないのだけど……」
「大丈夫、メイ。間違いなくそうなったわ。そのうち使い方は自然と体が覚えるから。もしわからなければレンに聞きなさい」
自分の名前が聞こえて我に返る。
眠っていた?
ランに意識を集中していれば彼女が見て聞いたものを受け取れるが、ぼんやりしていれば、それらはただ意識のうわべを撫でるだけのよう。
ここでまどろんでいればきっとわたしの記憶にもほとんど残らないのだわ。
まだ握られたままの手を見て思い出した。
娘たちがわざわざ会いに来たのは力覚のためじゃなかった。すっかり忘れていた。さて、あれはどうだったっけ? しばし、頭の中を漁る。
「ふたりとも、そっちの手も出して」
ふたりの手を引き寄せ交差させ、すでに置かれている相手の手に重ねる。こうだったかしら。
その上に自分の両手を積むと、引っ張り出した記憶にもあったやぐらができあがった。あれっ? 二つだったっけ? まあ、いいか。
「確かマヤはこうやってた……」
ねえ、ラン、記憶がごちゃごちゃになっているわ。両方だと強すぎ……。
自信が戻ってきた。同調力によって作用を流せばピリピリとした刺激を感じる。これなら問題なさそう。
いきなり力を全開にする。たちまちものすごい勢いで回る感覚に目が眩んだ。世界がぐるぐると回転し、ふたりだけでなく自分からも大きなあえぎが漏れた。
しびれたような手は固着したまま。心臓もバクバクしてきた。同調ってこんなに重たかったっけ?
これは明らかによくない兆候。今にも気を失いそう。こんなところで気絶したらどうなっちゃうのだろう? いったいどうすれば。
ねえ、レン、助けて……。
ランが感じているらしいものも作用の流れも視えない。目と耳は共有しているけれど、それ以外の感覚は伝わらないのね。もちろん中で起きている現象も今はランだけのものなのだわ。それでも、先ほどまではなかった激しい疲労感に襲われる。
体調だけは共有しているのかしらと考えていると、突然、持ち上がった上体が反り、眼前に二つの塔がそびえ立った。何ごとかと思う間もなく、手の間におぼろな灯りが出現する。
その意味に思い至ったとたんに血の気が引く感触を覚える。大変……。メイ! ミア! 力を抜いて。もっと緩めて! このままだと……。
繰り返し震える上体が放つ光があっという間に色づいていく。ランの力にエアとレアが引き込まれている。
ラン! 手を離して。暴走させてはだめ! ああ、エア、レア、お願い! どうしてわたしの声は届かないの? ラン、手を離すのよ! 早く!
次の瞬間、ケイトの両手が突き飛ばされるように外れ、腕がドスンと落下した。
そうよ、ラン、それでいいわ。今や三人ともケタリなのよ。それにわたしたちは両方使える。やりすぎると大変なことになるわ。




