35 途方に暮れる
廊下に一歩踏み出したところで、誰もいないことに戸惑ったカレンは、そのまま立ち止まった。
扉を押さえてくれた人に聞こうかと振り返ったが、どっしりした扉が、ちょうど目の前でがしゃんと閉じられた。
見たところ、この扉には呼び鈴の類は備わっていないようだ。
一瞬、扉をノックしかけたが、思いとどまった。
たぶん、ウィルは閑所にでも行ったに違いない。ここで、ウィルが戻ってくるまで待つことにしよう。
カレンは廊下に並ぶ椅子の一つに深々と腰掛けた。先ほどダニエルが話したことについてあれこれ、とりわけ待機室について考え始める。
待機室って何だろう?
どうやら作用者を収容する場所のようだ。レンダーをすべて預けさせられた。それは待機室が、内側からの作用力を防ぐようにはできていない普通の部屋ってことかしら。
でも、それならただの留置場と同じになる。
ううん、そうじゃない。きっと、作用力による外部からの干渉を防ぐようにできているに違いない。
それにしても、ここには大勢の作用者がいる。
先ほどの人たちは、この執政館を警備するのが役目なのかしら。それとも、第三国子を守るのが任務? アリシアの配下、力軍の所属なのだろうか。
***
ふと気がつくとだいぶ時間が過ぎていた。考え事をしているとつい時のたつのを忘れてしまうくせが抜けない。
廊下は相変わらずひっそりとしたままだった。
それにしても、ウィルはどこに行ったの? 突き当たりの壁にかかっていた時報盤にちらっと目をやったあと、ため息をついて立ち上がった。
どうやら捜しに行ったほうがよさそうね。
くしゃくしゃの服のしわを伸ばしながら、あらためて自分の着ているものを眺めた。服が大きすぎてとてもだらしなく見えるのに気がつく。
たるんだ胸元を覗き込めば、かろうじて留まっている下衣。何とかずり落ちずに形を保つスカート。確かにミアはわたしより背が高いけれど、さほど違いはないはず。それなのに、こんなにぶかぶかなのはどうして?
しかもこんなはでな格好で、第三国子の執務室に入ったなんて。ダニエルはわたしのことをどう思ったかしら。
顔が外服の色のように火照ってくるのを感じた。幾度か深呼吸して心を落ちつける。
どうにか気を取り直すと、閑所がありそうだと当たりをつけた方向に歩き出した。
ほどなく、ありかは発見したが、そこにウィルはいなかった。
カレンは少し考えたあげく、記憶に頼って、ここまで来た道を逆にたどった。二階へ続くスロープが現れ下っていくと、空艇場の入り口が見えてきた。
入ってきたときにはいなかった正軍の兵士が二人立っていた。カレンがその場に立ち止まってどうしようかと考えていると、兵士のうちのひとりが近づいて声をかけられた。
「ここから先は立ち入り禁止です。道に迷われましたか? 出口は一階になりますので、ご案内します。ついて来てください」
ウィルはこっちには来ていないわね。
カレンはうなずくと、回れ右をして男について歩き出した。
しばらく進むと広々とした空間に出た。手すりから顔を出せば、一階から三階までの吹き抜けの中に、大きな石造りの階段が見えた。踊り場の壁にはいくつもの大きな絵画がかけられている。
天井の明かり取りからは柔らかい光を感じる。
夢中になってあたりを見回していると、辛抱強く待っていた案内の男の声が聞こえた。
「ここを下りて、そのまままっすぐに進みますと出口です」
「ありがとう」
右手を手すりに滑らせながら階段を下り始めた。
一階に着くと、そこはまた大きな広間になっていて、ずっと先にも別の大階段があった。真上に目を向ければ青空を流れる雲までよく見える。
広間には、大勢の人々が行き交い、また何かの荷物を積んだ大きな台車を押して進む人もいた。先ほどまでのひっそりと静かな三階とはまるで違って、執政館の活気が伝わってくる。
さて、どうしよう?
ウィルはいったいどこに行ってしまったのかしら。
当てもなくこの巨大な建物の中をさまようのが、間違いであることはわかっていた。
ほかの方法が思いつかず、きょろきょろとあたりを見ながら歩く。そのうち反対側にあるもう一つの大階段のところに来てしまった。
そこで立ち止まって、執政館の出入り口をぼんやりと眺めていると、突然、声をかけられた。
「カレンさんですか?」
驚いて上を向ききょろきょろすると、二階の回廊の手すり越しに、こちらを見下ろす男性の顔を発見した。
自動的に感知力を働かせて、今や習慣となってしまった、受け身ですばやく探った。
この人も作用者だ。
わたしの名前を知っている。どうしてわかったのかしら。誰だろう?
「どなたですか?」
「今そちらに参りますので、そこでお待ちいただけますか?」
男性は一方的に話すと、すぐに階段を回って下りてきた。
カレンは、自分より頭ひとつ背の高い金髪の青年と対面した。カレンの探るような目つきを感じたのか、軽くお辞儀をすると話し始めた。
「クリスといいます。第五国子の護衛をしています」
びっくりした。
シャーリンの従姉妹、ペトラには護衛がいるの?
でも、考えてみれば当然よね。イリスは主家だから、田舎のロイスとは格が違うはず。
シャーリンは一応、第八国子ということにはなっているけれど、準家は普通、政治とは無関係。
一方のペトラはシャーリンと三歳違いだが、来年の夏に十五となれば成人、あらゆる場面で大人の扱いになる。
驚きが顔に出たらしい。
「申し訳ありません。先ほど、第三国子の執務室まで行ったのですが、カレンさんはすでに退室されたと聞いたので、お捜ししていました。ペトラの部屋までご案内します」
ほっとしてカレンは頭を下げた。
「どうもありがとう。どうしたらいいかわからず、困っていたところでした」
「こちらです。もう一度、階段を上がります。三階に戻りますので」
別の大階段をクリスに続いて上がると、また、長い廊下を進んで建物の奥まで歩いた。
移動するうちに執政館の大きさを実感した。
相当に広い。途中に、見覚えのある、先ほども通りすぎた第三国子の執務室に通じる通路があった。
そちらには曲がらず、さらに先に進むと狭い通路が見えてきた。
「ここを渡ると居住棟に行けます」
クリスの説明を聞きながら、ところどころにある小さな窓から外を眺めた。
見下ろすと、冬が近いにもかかわらず色とりどりの花壇や芝生が見えた。すごい。
ちゃんとした道路もある。なんでわざわざ空中に通路を作ったのだろう。一階まで下りて道を渡ればいいのじゃないかしら。
居住棟も巨大な建物のようだ。
クリスに続いて二階に下りると、ある両開きの扉の前に立った。
彼が扉を両手で押してあけると、チリンチリンと軽やかな音が響き渡った。
そこは、比較的大きな部屋であるが窓がなく、壁際には椅子や机が置かれ、作り付けの戸棚もいくつか備えられていた。奥に正軍の服装の兵士が一人座っていたが、サッと立ち上がって挨拶すると入り口脇の椅子に移動した。
先に入って扉を押さえていたクリスに続いて足を踏み入れる。ここは何のための部屋だろうと考えていると、クリスが声を出した。
「ペトラ、入りますよ」
さらに内側の、複雑な模様の描かれたすりガラスがはまった扉をクリスが開いて中に進んだ。
続いて入ると、そこはとても明るく、真っ白い壁に囲まれた大きな部屋だった。
女の子が、床までのひときわ大きな窓のそばに置かれた椅子に座っていた。彼女はこちらを向くなりぴょんと立ち上がって足早に近づいてきた。
ちょっと小柄で痩せていて、子どものように見えた女の子をあらためてよく見ると、その所作には大人びた様子が感じられた。
近くまで来ると、彼女の目がシャーリンと同じ薄紫色であることがわかった。でも、髪はわたしと同じ茶色。
どういうわけか胸がドキドキする。これはなんだろう?
自分の中から力が溢れようとするのをぐっと抑え込む。彼女に感じるものがあるのは、シャーリンの従姉妹だから、近しき者だからかしら。
カレンが挨拶をしようとすると、女の子は手をくるっと回して制するように言った。
「初めまして、カレンさん。お会いできるのを楽しみにしていました。大変なことになってしまったようだけど」
しっとりと落ち着いた様子で話し始めた、ペトラの声の調子が急に高くなった。
「あれっ? ウィルは一緒じゃないの?」
ペトラはカレンから目をはずし、後ろのクリスを見上げた。




