334 記憶を求めて (カレン)
夕刻タリアがエドナを連れてやって来た。
「あら? タリア、ジェンナとマリアンは?」
「まだ習練から戻ってきません。この時間、しばらくはわたしたちがお手伝いします」
「へえ?」
「お姉さまがふたりをお誘いしたのです。作用者としての学習や訓練を一緒に受けましょうと。ジェンナとマリアンも作用を扱うようになったからには一度基礎から学ぶのがいいとわたしも勧めました。今後オリエノールに住むことになるのですから、東方諸国の現状も学ばなければなりません。その修練にはわたしたちも参加しています。今日でもう五日目になりますでしょうか。ふたりとも頑張っているようです」
マヤも連れがいるほうが心強いわね。
タリアは毛布をめくりながら続けた。
「今晩からお待ちかねの普通食です。でも、その前に湯浴みにしましょう。ネリアから許可は出ていますから」
「どうやらそうしたほうがよさそう。お願い、実はまだ……」
「心得ております。エディ?」
あっという間にエドナに抱きかかえられた。
こうしてもらうとなぜか気分が落ち着く。何だかわからないけれど、とても懐かしい思いがこみ上げ、そっと目を閉じる。
湯船の中で続く不思議な感触にどっぷりと浸かりながら、目覚めてからの驚きの連続を振り返る。闇を照らす小さな明かりに深く感謝した。
湯浴みを済ませたら晩食の時間。目の前にものすごい量が並んでいくのをじっと見つめる。
脇に立ったタリアの顔を見上げる。
「あなたたちのは?」
「え? わたしたちはあとで……」
「どうして? ほら、ふたりともそこに座りなさい。こんなに食べられないから一緒に……」
「いいえ、これでも足りないはずです」
「そうなの?」
「あ、あたしたちのを取ってきます」
エドナがそう言い残して部屋を出ていった。
タリアが用意した小さなテーブルに、戻ってきたエドナが置くお盆に載っているものを眺める。
「ずいぶん違うわね。やはりこれは多すぎ……」
「まだ体の感覚を取り戻されていないだけだと思います。力を使い果たすと回復するために普段の何倍も食事が必要なのです。点滴ではとても補いきれません」
「へえ?」
まだそれほど食欲を感じないけれど、食べ始めれば思い出すのかしら。
「そういえば、あなたたちはシャーリンと姉妹結びをしたのよね。そう聞いたわ。なら、わたしもあなたたちの母にならなければならないわね。手を出してくれる?」
両手でふたりの手をつかむ。
「反対の手をつないで。輪にするの」
こうだったかしら。
ちょっと考える。別の方法もあったような……。まあ、いいか。
十分に回復したかを確かめるため、少し強めに同調力を使って作用を流す。タリアとエドナの中に入りぐるっと回る。何度か作用を巡回させながらふたりの顔を見る。
何度も吐息が漏れるのを聞き、これでつながりは十分だと思った。
「ああ……すごいです。この飛ぶような感覚……シャルにしてもらったときより強烈でした。……すてきです、カレンさま」
「エドナ? 違うのではなくて?」
「えっ?」
突然タリアが顔を上げてその空色の目を真っ直ぐに向けてきた。
「お母さま、リーシャです。ふつつかものですが、どうか末永くよろしくお願いいたします」
エドナがポカンとタリアの顔を見たが、慌てたようにこちらを向いた。
「お、お母さま、リーシャの妹エディです。至らぬところ数多くあるかと存じますが何なりとお申しつけください」
思わず笑いが漏れてしまい、エドナがきょとんとした顔を見せた。ちらっとタリアの顔を見ればこちらも笑いを堪えている。
すぐに立ち直ったらしいエドナがタリアに目を向けた。
「リーシャ、本当に、シャルと一緒になることをお母さまにお願いに来たのね……」
そう言われたタリアの頬はほんのりと染まっていたが、反論はなかった。
「リーシャがシャルとも一緒になってくれて本当にうれしいわ。彼女は無鉄砲なところがあるらしいからよろしくお願いね」
「はい、心得ております」
「あなたたちはイサベラの紫側事なのよね。リーシャ、シャルが授かったイサベラの再来のこと、よろしくお願いしますね。あなたも大変になるとは思うけれど」
「はい。お任せください。一番頼りになる妹がいますからわたしも安心です」
「確かに。わたしにもいろいろと教えてね、エディ。あなたは教えるのがとても上手だとマリアンから聞いたわ。わたし、全部忘れているから……」
「はい、お母さま」
答えるエドナはまだ何か言いたそう。
「どうしたの?」
「実は、イジーに教えてもらったことが少し気になって……」
「あのね、エディ、わたしは今までのことは何も覚えていないの。だから、何でもはっきり言ってくれないとわからないわ。誰もが当然だと思ったとしても、どんな些細なことでもどんどん話してちょうだい」
「あ、はい。それでは……イジーたちがお母さまと、そのう……第三の手を使ってつながりすてきな体験をしたと聞いて、それで……」
「エディ……」
いつの間にかタリアの顔がポッと染まっていた。
「ちゃんと教えて。具体的にはどうしたの?」
何とかエドナから詳しい説明を聞き出したあと少し考え込む。
「あなたたちはわたしの娘なのだし、同じことをするのはちっとも構わないのよ。言ってくれればいくらでもしてあげるわ。どうしてそんなに悩むの?」
「以前イサベラさまがシャルに同じようなことをなさって。目の前で見ていたんですけど、それはもう凄まじくて、イサベラさまがどうかなっちゃうんじゃないかと恐ろしい思いをしました。それで、お母さまに同じようなことが起きたらと思うと……」
「大丈夫よ、エディ。わたしは何度もやっているのよ」
まったく記憶はないけれどたぶんそのはず。
「だから何も心配しないで。ああ、でも、あなたたちは作用者ではないから、あなたたちが期待しているような結果になるかどうかはわからないわ。それでもいい?」
「はい」
「明日か明後日にはここを抜け出せると思うの。そうね。三日後でどう? 夜に部屋までいらっしゃいな」
「ありがとうございます、お母さま」
「ああ、リーシャ、あなたの言うように、すごくおなかがすいてきたわ。さあ、いただきましょ」
***
最初のページの日付を見る。
十の月の十三日。今日は十二の月の二十四日だと教えてもらった。たったの十二週、七十二日前……。その前のことはどうしたのかしら。これを始めたときは書くべき記憶がもうなかったということ?
本のように立派なこれは隠避帳という名前らしい。どこで買ったかまで記されている。パラパラとめくると最初の日の記述がとても長いことに気づいた。何ページもある。
出だしを読むと、今年の夏のことが少しだけ書かれている。つまり、最初の日にまだ残っていた記憶を要約したのか。
すぐに知った。
記憶がまっさらになったわたしにとって、いまが三度目の人生であると。
手が震え、パタンと閉じられた帳面を胸に押し当て、しばらく天井の模様を目でなぞる。
ひとつ深呼吸し、もう一度隠避帳を開き、最初から読み始める。
時々小さな挿絵が描かれているのを発見した。
マヤが貸してくれたたくさんの絵を思い浮かべる。
フィオナが描いてくれたと話していた。非常に繊細で上手な絵で、わたしが知っているべき人たちの顔と名前を結びつけるのにとても助けになった。
ここ三月の間に描かれたという風景画や旅の合間に訪れた場所の素描など多くの絵があった。どれもが自分の失われた記憶の断片をもたらしてくれる。
もしかすると、彼女に描き方を教えてもらったのかもしれない。それにしてはつたない絵。しばし目を閉じて考える。
いずれにしても、わたしの記憶を補ってくれるだろう記録はここに残されている半年あまりの分しかない……。
とりあえずパラパラとめくっていると、最近のページから気になる一文が目に飛び込んできた。
その前後を注意深く読む。これは……すぐにでも実行する必要があるわね。
しかし、最後に書いてあった部分を見てから考え込んでしまう。どうしてだろう。うーん、気力が回復したらもう一度試してみよう……。
ベッドの中で記録を初めから読み、考え、また読み進める。文字の記録は決して実際の体験の代わりにはならない。
それでも、わたしの大切な人たちとの関わりを知る必要があった。楽しいこと、悲しかったこと、失敗したこと、どれひとつとしてないがしろにはできない。
三回目の人生の幸先は悪くない。
何とか会話を交わせるし、言葉はかなり、知識もそれなりに残っている。
そして何より、わたしの周りには前の人生で得た、大勢のつながれる者たちが確かに存在している。それだけでも格段の進歩だと思う。これからも、このつながりを失わないようにしなければ。
気がついたら、外が明るくなり始めていた。
隠避帳を閉じて毛布を顎まで引っ張り上げる。誰かが起こしにくるまで一眠りしよう。




