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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第5章

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331 輪術式 ―願い― (カレン)

 カレンはエアの声を聞いた。


「フィオナの持てる作用は弱すぎて、外からの力を抑えきれない。カレンから離れたレアが持てる対抗力はわずか。元を断ち切らなければ再び支配される」


 その声が聞こえたかのように、フィオナがパッと顔を上げた。


「サイラスの意識を消滅させればいい……」

「ええ、でもそれは無理」


 突然フィオナは手を髪に伸ばしスティングを引き抜いた。いや、あれはディステインのほう。ザナから譲られたもの。

 すぐに彼女が何をするつもりかを悟る。


「だめ! フィン!」


 フィオナの顔が苦痛にゆがみ、崩れるように腰を落とすと両膝を地面につけた。

 レアの力が弱まっている。また支配されかかっている。


 フィオナのそばに座り込んだジェンナの目が見開かれた。


「姉さま。いったい何をするの!?」

「今度こそ、サイラスを葬り去るの」

「フィン、そんなことをしても彼は消えない。断たれたあなたを失うだけ」

「彼とわたしはつながっている……」


 突然、頭の中に声が響いた。


「カレンのレナティシャは正しい。レアもそう認識した」


 フィオナのこと? どういう意味?


「実体を失った者の意識も寄る辺を求める。強いきずなを持つ相手に再会しつながれば、その根源に引き込まれ縛られる」


 そういうこと、そうだったのか……。だから、わたしと彼女たちも……。

 ああ、それでも、これは絶対に間違っている。


「フィン、だめよ。ほかに方法がある」


 フィオナは首を振った。


「いいえ、カレンさま。これでは儀式が失敗し、原初は力を増したまま残り、そしてサイラスがこの世界を支配します。そうでしょう? そんなこと断じて許しません」

「別の方法がある。この儀式を完成させればすべて消える。原初が……」


 流れはシャーリンの同調力でまだ維持されている。まだ……。しかし、弱まっている。


「でも、間に合わないのでしょう?」


 レアがそう言ったの? それとも、ライアはもう諦めたの?




 フィオナはぺたんと座り込みニコラを見上げた。


「お姉さま、クリスのことをお願いします。彼は一途(いちず)だから誰かが支えてあげなければ……」


 膝をついたニコラの手を取る。


「お姉さまと出会えて本当によかった」

「だめ、だめ、フィオナ」


 ニコラは何度も首を振り、涙が飛び散った。


「だめよ……わたしはあなたのことが好きなのよ。あなたを失うなんて耐えられない」

「クリス、今までありがとう。楽しかったです。いろいろと……」


 そう話しながら上服の打ち合わせを解く。


「待て、フィオナ。そんなことして何になる……わたしが……」


 前を開き手を探るように動かしながら、フィオナはゆっくりと首を振った。


「わたしにはわかるのです。これが唯一の方法だと。カレンさまもわかっている。この儀式に参加した誰もが知っている。お姉さまのこと……お願いします」


 彼女は腕を上げて近づくクリスを制すると、ディステインの先端を(あら)わな左胸に押し当てた。しかし、その手は震えるばかりだった。

 フィオナはジェンナにすがるような顔を向けた。


「手伝ってちょうだい。自分ではどうにもできない」


 顔を真っ赤にしたジェンナが叫んだ。


「そんなことできません! 姉さま、こんなのだめです! だめです……」

「あなたは強いわ、ジン。あなたを愛している……。お願い」


 ジェンナは首を何度も激しく振った。その顔はあらゆる感情が入り乱れたように次々と変化した。悲しみ、恐れ、そして怒りが伝わってくる。


 穏やかな表情でジェンナを見つめるフィオナは、さっと腕を伸ばしてジェンナの手を取った。

 その手を引き寄せディステインを握らせる。


「お姉さま、どうかお願い……」


 彼女の腕が再び宙をさまよいニコラの手をつかむ。その手をジェンナの手に重ねた。そして、自分の手でふたりの手を覆った。


 こちらを見上げる目から一粒の涙がこぼれ落ちた。


「カレンさま、この命はカレンさまとペトラさまにいただいたものです。それなのに、ペトラさまのこと、マヤさまのこと、最後までお世話できませんでした。申し訳ありません。でも、皆さまとすてきな旅ができて本当に幸せでした。どうか、わたしが消えても悲しまないでください」


 目から次々と涙が溢れあたりが霞んでくる。何もできなかった。ほかにも道はあったはず。なのにどうしてこうなるの? 後悔の念と憤怒の思いが交互にバタンバタンと音を立てる。


 違うわ……これは痛みのせいよ。

 目をしばたき涙を振り払い、フィオナの顔を見る。今は穏やかで何ものをも従える強い緑の瞳をじっと見つめる。


「フィオナ、フィオナ……あなたの姉パメラにもわが妹のあなたにも、とても返しきれない恩がある。お礼を言うことしかできないわたしを許して。ありがとう、フィン。わたしたちは、協約を終わらせ、原初を取り除き、シルを助け、この世界のあるべき姿を未来につなぐ。あなたの思いと覚悟を絶対に無にしない……」


 フィオナの目からフッと柔らかい光が漏れた。そして、ひとつうなずいた。




 ジェンナとニコラはディステインを深々と押し込んだ。

 ピクンとフィオナが体をのけ反らせ、だらりとなった手をクリスが取った。

 ジェンナとニコラはディステインを引き抜こうとしたが、フィオナはもう一方の手でふたりの手を押さえたままつぶやいた。


「だめよ、ジン、まだ。レアがまだと……」


 ジェンナはディステインを握ったまま反対の手でフィオナを抱きしめた。


「クリス、さようなら。いつまでも……」


 ジェンナは重ねられたフィオナの手を凝視していた。突然ジェンナの体に震えが走った。顔が青ざめたあと驚いたように何度も頭を振る。


 彼女はフィオナを静かに地面に横たえた。それからディステインをゆっくりと引き抜く。

 しばらくそれを見つめたあと、手を上げ自分の髪に挿し込んだ。




 突然、群がっていたトランサーが蜘蛛(くも)の子を散らすように広がった。急に圧迫感が消え去り、クリスがフィールドを消した。

 見回せばいつの間にか雪が止んでいた。


 右側が温かくなりレアが戻ってきたことを知る。

 ありがとう、レア。フィオナを助けてくれて。


 突然レアの声を聞く。


 あたしは常にケイトとカレンの望みに従う。これからもずっと……さあ、いま為すべきことを続けるのよ。


 耳元で弱々しい声が聞こえた。


「姫さま、あたしは大丈夫です。最後まで諦めないでください」


 ハッとする。そうだ、まだ終わっていない。これからだ。

 カレンはスッと顔を上げて命令した。もう痛みは感じなかった。


「ジン、こっちに来て。クリスとニコラはマリアンが離れないように支えて。もう誰にも邪魔はさせない」


 ジェンナはすばやく寄ってきた。


 マリアンの力髄を回復させて、流れを安定させなければ。彼女の体力が最後まで持つかわからないけれど、できる限りやるしかない。力尽きて倒れるだろうけれど限界まで頑張ってもらうしかもう道は残されていない。


 マリアンの体がぐらっとなり背中から離れていく。すぐに後ろからクリスが彼女を支え、ニコラが彼女の腕を持ち上げて再びしっかり押さえた。また背中にマリアンの温かい鼓動を感じ、強くつながったのが視えた。


 ジェンナはカレンの前に座り込み、やっと伸ばした手を腰に当てた。突然、ジェンナから力が流れてきた。わたしに注がれている。




「ジン、だめ。マリアンを支えるのよ。マリンを……」


 ジェンナはうなずき、膝立ちになって手を上に伸ばした。すぐに握られた両方から回復力を受け取る。両手からの流れはまたたく間に力強くなりマリアンに向かって注がれる。


 こちらを見上げるジェンナの目が驚いたかのように広がった。その濃い緑の瞳は森と大地を映し出し、溢れ出た涙に覆われて輝いた。

 突然すべてを理解した。よかったね……。


 回復力がマリアンにどんどん流れ込むと彼女はすぐに持ち直した。

 突如、彼女の中の力が跳ね上がり、ものすごい勢いで精分が流れ込んでくる。


 まるで両手を大きく拡げたかのように視える。

 マリアンに向かって遠く離れたところから精分が押し寄せてきた。それらはすべて怒濤(どとう)のごとく回る流れに注ぎ込まれていく。


 一体化したごとく彼女たちと作用が共鳴する。どちらももはや妹などではなかった。

 同調力もみるみる回復し、どんどん強まり、ぐんぐん膨らむ。


「ジン、もっと弱めて。自分の力を空っぽにしてはだめよ。そんなことをしたら気を失うわ」

「まだ、大丈夫です。まだです。あたしの愛する妹を全力で助けないと……」


 ほどなく、ジェンナの手が開いてずるっと外れ、彼女はその場にくずおれた。




 突然、地震に襲われ倒れそうになり、クリスとニコラが踏ん張って支えてくれた。

 ライアの声が聞こえた。


「カレン、力は臨界を超えた。これで完成。今から術式を更新する」


 顔を上げる。同調力で回る作用の帯がぐっと縮まったかと思うと、向こうに見える輪の中心に向かうのが()えた。


 再び強い揺れに襲われマリアンの手が離れた。視界の隅にはクリスたちも倒れるのが映った。両手を引っ張られているカレンは何とか倒れずに前方の景色を見つめる。


 次の瞬間、輪の中が真っ白い光で埋め尽くされ、渦巻く柱となって突き上がった。

 (まぶ)しくて目をあけていられない。細めた目に飛び込んできたものは、とてつもない光の柱が地面に突き刺さるところ。まばゆい光の束がどんどんめり込んでいく。


 気がついたときには光が消え。目の前に底知れぬ深い穴が穿(うが)たれていた。


「さきの術式は止まった。成功」


 ライアの声に全身が一気にへなへなとなる。

 両手の束縛がとかれ自由になったとたん、為す術もなく後ろに倒れていった。


 最後に見えたのは、抜けるような青空にどんどん大きくなる黒い点。

 迎えが来る。終わった。すべて終わったんだ……。


 背中に衝撃を受けた。どういうわけか、ただ冷たくてすごく気持ちいい。それ以外の感覚がすべて失われたかのよう。

 何もかもが澄み切っている。こんなきれいなどこまでも深い色の空は見たこともない……。


 あそこに行きたい。手を伸ばしたい……あの向こうまで。

 これは誰の想いだろう? そのあと意識を失い記憶が途切れた。


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