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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第5章

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330 輪術式 ―崩壊―

 突如カレンの頭の中に言葉がたどたどしく形成された。


「おまえは……どうして……おれ……邪魔を……」

「邪魔しているのはあなたのほう。わたしたちはトランサーの出現を止めたいだけ」

「このいかがわしい……儀式をすぐ……やめろ。そうすれば……おれも手を引く」

「それはできない。わたしは自分の使命を全うするだけ」

「ならばこちらも容赦はしない。後悔するぞ」


 再びエンシグが高まり、対抗するために身構える。

 次の瞬間、腕の付け根に激痛が走り、自分の上げた悲鳴が聞こえた。


 見れば、右腕を握っていたはずのミランの指が腋窩(えきか)に突き刺さっている。あり得ない光景を目の当たりにして息が詰まった。(ほう)けたように彼の血の気のない手と強ばった指を見つめる。いったいどうなっているの?


 みるみる血が溢れ出てくるのを目にしてようやく声が出た。


「ミラン!! 何するの!?」


 ライアの声がかろうじて聞こえた。


「フィオナ」


 一瞬何のことかわからなかった。彼女は強制者ではない。

 思考が鈍っていたせいかしばらく意味が理解できない。


 ようやく答えにたどり着いた。オベイシャ。

 でも、彼が死を迎えたときに彼女は自由になった。もう踏み台として利用されることはない。それはあり得ないはず。そうではなかったの?


 ふと気づけば、ミランのもう一方の手がジェンナの手の間にあり、驚きで息が止まる。

 指が食い込む音が聞こえたような気がする。あまりの痛さに涙がほとばしった。破れたシルの装具から(にじ)み出る血が透かし模様を染め上げるのを茫然と眺める。あっという間に視界がぼやけていく。




 脇腹にえぐられるような衝撃が走り一瞬気を失いかける。

 そうだ、ジェンナ……。


「ジン! ジン!」


 返事がない。彼女もなの?

 今度は腰が焼け付くように熱くなった。

 さらにトランサーの力が増している。マリアンが疲れて力を失いつつあるせいだ。ジェンナとフィオナからの回復力の流れが止まっていた。


「マリアン! ニコラ!」


 叫ぶが、後ろからも返事がない。

 きっと支配されてしまったに違いない。それでもまだレセシグは感じるし、精分の流れは衰えたものの続いている。


 サイラスの力は遮へいを突き破りフィオナとのつながりを復活させた。そしてここにいる全員を支配した。あの時と同じ。

 彼の力に打ち勝つ遮へいも対抗も存在しない。

 しかし、今は意識だけなのに、どうしてそんな力が残っているのだろう? 原初と共にあればそれほどの力が使えるの?


 強く引っ張られるのを感じて左を見れば、押さえる手がさらに握り締められる。


「クリス! やめて!」


 腕が折れてしまう。

 みんな支配された。全員。


 いや、違う。

 返事も身動きもないもののジェンナはまともに見える。完全に支配されたような動きはない。まだ望みはある。


「ジン! ジン!」


 やはり呼びかけに返答がない。けれども彼女は主なきオベイシャだ。きずなを持たない者からの影響力は弱いはず。あの時だって彼女だけは……。


 カレンは感覚のない右足を何とか持ち上げ、膝でジェンナのおなかを蹴る。


「ジン! 目を覚まして、ジン! お願い!」


 繰り返し彼女を蹴飛ばすが、まったく反応がない。その手はピクリとも動かない。

 ああ、わたしは(おろ)かだった。何もかもが間違っていた。答えはすぐそこにあったのに。溢れる涙が止まらない。


 ついと見上げたフィオナは無表情で人の顔とは思えない。その両手が機械仕掛けのように握り込まれ、レンダーが裂け指がめり込むのを茫然と見つめるしかなかった。

 どこもかしこも激痛に(さら)され気が遠くなり始めた。




 突然、ミランからアシグを感知して我に返る。

 接触した相手に攻撃を使うの? 自分も焼かれるのに。とても正気とは思えない。


「エア、助けて、お願い!」


 叫んだとたんに胸に雷撃を受け、(すさ)まじい冷気が走った。

 衝撃で手が外れたジェンナが勢いよく飛ばされた。エアの防御は完全ではなくしびれるような感覚が全身を駆け巡る。

 ついで焼け付くような異臭が鼻をついた。シルからもらった装具は溶け、黒ずんだ透かし模様が網目状に残されていた。


 もうだめ。同調力が弱まっていく。両手が引っ張られているおかげでかろうじて立っていられるがこれ以上は無理。注ぐ流れも細くなる。


 また失敗しちゃった。あとちょっとなのに。もう少しで完成するのに。


 前回と同じ。輪術式がまた未完で終わってしまう、両親と同じように。ユアンもカイルの祖父とサイラスの祖父の企みで失敗した。

 今回も同じことが起きてしまった。どうして繰り返されるの? これがわたしたちの運命だというの?


 気が遠くなり始めた。


「お願い……誰か……助けて……」


 自分の声すら聞こえなくなる。

 再びミランからアシグが湧き立つ。電撃の走った体は反り返り、レンダーの残骸が()がれ落ちる。

 今度はエアが防いでくれたが、クリスが飛ばされて地面にたたきつけられるのが視界に映った。


 危機的だと考えたらしいエアは、今や防御に専念しすべてのつながりを断っていた。

 ラン……お願い……力を貸してちょうだい。ジン、目を覚まして、お願い。



***



 突然、ジェンナがむくりと起き上がり何度も頭を振った。


「ジン……助けて」


 何とか弱々しい声が出ただけだった。

 ジェンナがこちらを見た瞬間、その目が大きく広がった。すばやく立ち上がって飛んでくる。全身がブルブルと震えていた。


「カレンさま! ああ、なんてこと。ミラン!! あんた、いったい何したの!?」


 ジェンナはミランの手をつかみ引き()がすが、彼は狂ったように再び襲いかかってきた。


「強制力が……」


 言いかけたものの声が続かない。

 それだけで理解したらしいジェンナはすばやく行動した。もう一度ミランの腕を引っ張って()がすと、さっと手を振り上げた。気絶させたミランと一緒になって倒れたが、彼女はすぐに跳ね起きた。


 狂ったようにトランサーを次から次へとはたき落とし、続いて胸に両手を押し当ててくる。すぐに力髄に力が流れ込むのを感じた。

 カレンはかろうじて首を横に動かした。


「先にフィオナを正気に戻して。彼女がいないと……」


 口にする声はしゃがれて自分にもよく聞き取れない。

 ジェンナはフィオナの肩をつかみ揺さぶり、何度も顔を叩いたがその手は緩まない。


 ライアの声がしたが、耳が遠くなったように聞こえづらい。それでも何を言いたいかはわかった。




「エア、フィオナを助けて、お願い。ライアがレアを手放せと言うの。どういう意味?」

「わたしはカレンの根源とともにあり離れられないが、レアなら可能」

「えっ?」

「ケイトの一部だったレアは、根源から解放されて取り込まれた。もはや根源に縛られていないレアは、命じられれば離れられる」


 ちっとも理解できなかったけれど、レアならフィオナを助けられることだけはわかった。それだけで十分。


「レア、お願い、フィオナを助けて、お願い」


 肯定の声に続き右胸にぽっかりと空虚が生まれた。マリアンとのつながりが完全に途絶えた。


 突然、フィオナの目に生気が戻った。力が抜けたように腰を落とし手をだらりとさせる。あたりを見回してからこちらを見上げた。その顔がゆがむ。


「カレンさま……なんてこと……ああ、全部わたしのせい……わたしがカレンさまを……」


 彼女は立ち上がろうとしたものの膝からくずおれた。

 ぼろぼろになったスカートがちぎれてトランサーの一群とともに落ちるのを人ごとのように見つめる。腰から下は真っ赤に染まっていた。




 向こうでは意識を取り戻したクリスが頭を振っていた。

 再び足に群がるトランサーをジェンナは叩いて潰しているが切りがない。

 正気に戻ったニコラとクリスも加わったが、大群が相手ではどうにもならない。すぐにクリスは防御を張った。三人はフィールドの中に残ったトランサーを片っ端から潰す。


 外では大群がフィールドに触れ次々と消滅していった。もはやあたりはフィールドへの体当たりに専念する見慣れたトランサーばかりだった。


 まだ輪術式の進行は維持されていた。シャーリンがカレンの替わりに全力で同調を回している。誰もが力の限り頑張っていた。


 しかし、いつまで続くかわからない。マリアンからの供給がなければ弱くなる一方。

 輪の全員が自分の持てるものを出し尽くしたらもう、シャーリンとマヤだけでは流れを保持できない。


「ジン、マリアンをなんとかしないと。今にも倒れそうなの。彼女が潰れたらすべておしまいよ」


 フィオナが突然立ち上がり頭を抱えた。


「サイラス……。でも死んだはず。あそこで……」

「そう。あのとき彼の意識は原初に取り込まれた。今は彼が原初を、そして大群を支配している。彼を何とかしないと。それには早く輪術式を完成させて原初を消滅させるしかない」


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