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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第5章

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329 輪術式 ―予兆― (カレン)

 対話の間に、クリスともつながったのを確認した。これで完成。


「さすがです、姉さま」


 ジェンナの声をカレンは耳にしたが、何がさすがなのかまるでわからない。

 そのフィオナを見れば少し様子がおかしい。上の空といった感じがする。


「フィン、大丈夫?」

「……あっ、カレンさま、わたし、何か言いました?」

「えっ? いいえ、どうかした?」

「あ、いえ、何でもありません。ちょっとぼんやりしていました。もう大丈夫です」


 それにしても、わたしが男だったら途方に暮れていた。こうはできないから。

 ああ、でも、男ならそもそも幻精と触れ合うことも輪術式(りんじゅつしき)を執り行うこともなかった。幻精のいない人生など今では想像すらできない。わたしがわたしでよかった。


 多くの人と同時につながるのは何回もやっているし、かなり慣れたように思う。

 気を取り直して五人とエア、レアの間の結びつきを確認する。問題ない。これで輪術式は滞りなく進められる。強いて言えば少し寒いことだけ。




 またマリアンの顔が(のぞ)きため息を漏らした。


「今度はどうしたの?」

「カレンさまはすごいです。大勢にこんなことをされて我慢できるなんて。あたしならこんな辱めには絶対に耐えられません」

「我慢なんかしていないわ。それにわたしから求めたことよ」

「こんなに頑張っていらっしゃる姫さまには尊敬の念に()えません」

「そんなにおだてないでちょうだい。こういうのに慣れているだけだから」


 マリアンはポカンと口をあけたが、すぐに顔を引っ込めた。


「わたしにとって、これはみんなと手をつなぐのと同じことなのよ」


 後ろからもごもごと声が聞こえた。


「姫さまは普通の方とは違うと思っていました、お目にかかったときから。姫さまが屈辱と苦痛に耐えていらっしゃるのだから、あたしも頑張らないと」


 別に耐えてなどいないわ。あのときと違って……。それに痛みなどないし。うまく伝わらなかったのかしら。

 しかし、これでマリアンのやる気が増すのなら、もう訂正するのはやめておこう。

 それにこのようなことをするのも今回で最後。よし、頑張ろう。




 放心したように黙ったまま立っているニコラに声をかける。

 我に返ったように動き出した彼女がマリアンの後ろに回った。両肩に彼女の手が置かれると七人がひとつにつながった。

 彼女はフィオナとジェンナだけでなくクリスとの間にもつながりを持っていることに気づく。


 これで準備はできた。手を広げて両腕を水平に伸ばしてから、皆にも聞こえるように声に出す。


「ライア、始めてください」


 すぐに頭の中に言葉が生まれる。


「カレン、少し待って。ほかの使い手とつながるから」


 少したって次の言葉が聞こえた。


「輪につなぎ込む……」


 続いて昨日と同じ口上が繰り返された。

 両手がぐいっと引かれてピーンと張ったことで隣とつながったのを知る。

 白いものが目に入り見上げれば、空はチラチラと舞う雪に覆われていた。


「できた。ゆっくりと同調力を流して」


 ライアの声を聞き、目を閉じ、左側のミアと右側のメイを感じ取る。

 まず同調力を注いでつながりを確かめる。力を先まで送り込む。シャーリンからも答えるようにかすかな同調力が流れてきたのでつかみ取る。これで輪として機能し始めた。




 ライアの声が心に届く。


「始めて。今度は最初から全開で大丈夫。もうみんな慣れているから」


 一気に同調力を膨らませる。すぐに各自の作用が吸い上げられ大きな輪にそってぐるぐると回り始める。

 メデイシャが周囲のトランサーから精分を取り込み輪に注ぎ込む。

 精気がシルからどんどん供給されて溢れる。イグナイシャがそれを集めて流れに載せる。


 すべての作用は輪を構成する各自の中を突き抜け、精分と精気を受け取り強くなった力が流れを太くしていく。

 投入される作用はどんどん膨らみ全体が強化される。

 見下ろせば、両側とも光を放っている。内側から透かすように広がる橙の明かり。


 今度は怖いくらい順調だ。マリアンはずっと元気だし、ライアから聞いた限りエメラインたちも快調のようだ。

 前にいる四人の目は閉じられ、ひたすら作用に集中しているのがわかる。四人の間の流れもしっかりとして問題ない。


 それなのに、しだいに胸騒ぎが募ってくる。何か見落としがないだろうか。

 遮へいは完璧だし、その外側を取り巻くトランサーの様子も同じ。

 あれっ? こんなに近かったかしら。


 また揺れを感じたと思ったら、突然、雪が強くなった。地面が白銀の世界に変貌し始め、あっという間に境界線がわからなくなる。風も出てきた。少し荒れそう。

 光る山肌に吹き付ける粉雪が次々と溶け幾筋もの虹色の軌跡を描いて滑り落ちる。




 どれくらいたっただろう。いきなり違和感を抱いて見下ろすと、何かが足元で動いていた。しばらく見つめてようやくその正体に気づく。

 トランサー。雪のせいでわからなかった。


 このあたりを避けていたはずなのに今は下にいる。ギクッとなり周りを見るが、ほかの人たちの下に動きはなかった。ホッとするがいくつもの疑問が湧き上がる。


 トランサーがゆっくりと足を登ってきた。くすんだ白色のトランサーが今ははっきり見える。すぐにスカートの中に入り込み見えなくなる。

 続いてもう一つ現れて登り始めた。ニコラの遮へいはまだしっかりと張られているのに、どうしてトランサーがやって来たのかしら。


 かすかな作用を感知した。何だろう? 探りを入れようとしたが、目の前の光景にハッとなる。

 トランサーが次々と飛ぶように現れ近くに降り立ちここを目指して進んでくる。


 マリアンが精分を奪い取っているから、さほど脅威にはならない。そう考えたものの、その数がしだいに増えるのを見れば否応なく不安が増す。


 列をなして登りスカートの中に消えていく。しまいには足全体がムズムズしてきた。

 今ではトランサーが雪の上を動いているのもはっきり見える。腰の周りを這い回っているのを感じたとたんにチクリとした。


 突然スカートが膨らんだと思ったら、裾を回って表側にも現れ歩き回る。

 服に小さな穴があくのが見え、トランサーが力尽きたかのように落下していく。


 わずかに残された力をすべて解放している……いや、させられている?

 そのあとは揺れ動くスカートに溶けたような穴が次々と現れ、広がっていった。


 同調力は今や巨大になり術式はもうすぐ完成する。それまでの我慢。もう少し。



***



 また作用を感じた。はっきりしないが、遮へいと回復以外のもう一つ。これだけ弱いと確かめるには感知を開くしかない。


 突然マリアンからあえぎ声が漏れたと思ったら、すねに針で刺したような痛みを受ける。

 すぐに悟った、今度はマリアンが奪いきれなかった力で攻撃されているのを。


 両手は左右に張られて身動きできない。それに、いま同調力を止めたらすべて台無しになる。もう少しだけ頑張って、マリアン。


 下半身全体がチクチクするようになってきた。単体ではごくわずかの力しか残っていなくても、こうたくさん次から次へとやって来れば……。

 白いものたちに覆われたスカートはすでにぼろぼろになっている。突如焼け付くような感覚に襲われ、うめき声を漏らす。


 それにしても、ほかの人を攻撃していない。わたしだけだ。どうしてだろう?

 ここだけを襲うように仕向けられていると気づいた瞬間、背筋に冷気が走った。この地でトランサーを誘導できるのは原初の存在だけ。

 さっと顔を上げる。向こうの窪地(くぼち)で何が起こっているの?


 術式の完成は間近。あと少しだけれど……。




 先ほど感じた作用が急に膨れ上がった。感知を開かなくてもわかるほど。

 強制力と知りハッとする。

 すぐに記憶が()り上がってきた。


 イサベラが同調力を発動し、ほかの人たちとつながったこと。そして、以前にケイトたちが原初に捕らわれたときの話。


 サイラス。あのとき彼とあそこにいた人たちの意識が原初に取り込まれたに違いない。そして、彼がトランサーを操り攻撃させ、強制力を行使している。

 肉体を失ってもなおそのようなことができるとは。


 どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。あのときに感じたことでわかったはずなのに。だから、トランサーの勢いがこれほど増していた……。

 まったく、どうしようもない間抜けだわ、わたしは。もはや感知を使う気力すら失われた。


 波のように繰り返し強制力が襲ってきたが、三つもちだとしても、今のわたしなら問題なく対抗できる。すぐにエンシグは弱まったが、これで諦めるとは思えない。

 そう考えた瞬間、大事なことに気がついた。彼にはずっとわたしが見えていた。どうやって?


 輪術式が崩れかけているのをはっきりと認識した。


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