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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第5章

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328 輪術式 ―反応― (カレン)

 ほんのり染まったものを見つめながらカレンはつぶやいた。


「何を言っているのかわからないわ……」

「姫さまはどうにも自覚に欠けますから」

「それはどういう……」


 突然、ジェンナが大声を出したのに驚き口を閉じる。


「ミラン! カレンさまの言うとおりにして。しっかりつかみなさい。いつもやってるでしょ。こんなこと、二度と許されないんだからね……」

「あの、ジン?」


 いったい何を言っているの?

 そう考える暇もなく、顔を真っ赤にした彼女の手が握り込まれ、文字どおり体を張って耐えることとなった。


「ううっ……」


 さすがにこれはきついわ。




 知らずつぶやきが漏れる。


「どうして……」

「そこは刺激に対して正直です」


 マリアンのいやに冷静な声が聞こえた。

 えっ? それは前に聞いたわ。しかしそういう問題では……。


「感知者は感受性が高くて敏感なのだそうです」

「いきなり何の話?」

「姫さまはケタリ。それも感知力が桁外れだとうかがっています」


 ここに力絡が張り巡らされていることと関係するの?


「刺激と圧迫は感知者の内なる守りを誘発し、特別な作用は普通の人の何倍もの変化をもたらす。本当だったのですね。こんなに力強くも凜と……」


 あなたたちのせいよ。それにこのままだとあなたの感心したものがどうにかなっちゃうわ。

 感知……内なる守り……。ああ、これまでのことは全部そういうこと……。急に頭の曇りがとれ澄み渡る。




 突然息を飲む音が聞こえたと思ったらようやく手が緩み楽になる。火照りがたちまち薄らいでいく。


「朝焼けのよう……」


 マリアンの吐息がとても温かい。

 ジェンナのかすれ声がした。


「カ……カレンさま、あたし……なんてことを……」

「大丈夫よ、ジン。落ち着いて。それに、マリン? わざとジェンナを()き付けたわね」

「ち、違います。あねさまがそんなに気にされて……」

「人のせいにしてはだめよ」


 ピクッと震えるのが背中に伝わってきた。

 か細い声が聞こえる。


「申し訳ありません、姫さま。あたしは……とても無神経でした。ごめんなさい、あねさま。どうか許してください……」

「……いいの、マリン。本当だし」


 ジェンナの手に温かさが戻ってきた。




「カレンさま、申し訳ありません。つい力が入って……」

「平気よ、ジン。それにね、あなたたちの側事(そくじ)にあるまじき腕力はいつも頼りにしているから」

「うっ……ほ、本当にすみません。でも、あたしなら痛くて我慢できなかったです」


 マリアンがまた余計なことを言った。


「それはあねさまのが薄いからです」


 ヒュッと息を吸い込んだところで止めて再び襲ってくるものを待ち構えた。

 後ろから慌てた声がする。


「ご、ごめんなさい、あねさま。どうしたんだろう、あたし。本当にごめんなさい……」

「そうなの……」


 つぶやくジェンナの顔はそこはかとなく憂いを(たた)えていた。


「あ、あねさまもとても魅力的ですから、姫さまのと同じくらい……本当ですから……」


 必死の声に視線を上げたジェンナは、苦笑を浮かべた。


「いいわよ、もう。あたしだって自分のことくらいわかっているから……」


 ようやくジェンナの顔が穏やかになった。

 やれやれ、一時はどうなることかと思った。ふたりのやり取りを聞いている間に、目の前のものはすっかり落ち着いた。


「ふたりとも緊張していただけ。周りを埋め尽くすトランサー、見渡す限りの荒涼たる景色、そしてこれからの大事を考えれば無理もないわ。ほら、もう大丈夫。……それにしても、マリン、どこでこんなことを……」


 消え入りそうな声がした。


「エドナに教えてもらったのですけど、本当に知らなかったんです、これほどとは……。すみません」

「エドナ……」

「さすがはイリマーンの紫側事(しそくじ)です。非常にもの知りで、あたしも勉強になります」


 余計なことを教えないでちょうだい。ほら、ニコラもあきれているじゃないの……。




 ああ、こんなことをしている場合ではなかった。急がなければ。


「ミラン!」


 ビクッと体を震わせたミランが慌てるようにジェンナの隣に膝をついた。下を向いたまま手だけがおずおずと伸びてくる。

 口を開きかけたが思い直し、深呼吸で心を落ち着ける。怒ってはだめよ、カレン。ミランはジェンナと違ってまだ子どもなのよ。


「こうするのよ」


 ミランの左手をつかんで指を広げる。それからジェンナの左手の隣に、腋窩(えきか)に押し当てる。

 なぜか、後ろから喉を鳴らすような妙な音が聞こえた。


「さあ、つかんで」

「え、ええっ?」


 顔を上げたミランは自分の手を凝視したまま。

 知らずため息が漏れてしまう。できるだけ優しい声を出す。


「ねえ、ミラン、ジェンナを愛しているのでしょう? だったら助けてあげないと。力いっぱいつかんで構わないわ」

「あ、はい!」


 いきなりミランの手が動き、腕に指がぐいっと食い込んだ。


「うっ」


 彼は見た目よりも力があることに気づいた。単にわたしに人を見る目が欠けているだけかしら。しかし、これだけしっかりつかんでくれれば離す恐れはない。

 ポカンとした表情のジェンナに向かって言う。


「どうかした?」

「あ、あ、あたしはてっきり……」

「えっ?」

「あ、いえ、何でもありません」


 慌てて言うジェンナがまた顔を紅潮させた。

 今日はいつにも増して感情が高ぶっているようだけれど大丈夫かしら。


「そう……。じゃあ、ミラン、そっちの手は……そうね、ジェンナの肩に置きなさい。そうすれば体も安定するから」




 ようやく形が整った。ひとつ手をつなぐだけで思いのほか疲れた。まだ反対側が残っているのに。

 ずっと身動きもせず無言で立っていたクリスとフィオナに目を向ける。


「お待たせしました。同じようにお願いします」


 今度は手早くやってくれると助かるのだけれど。


「ほかの人たちはもう準備ができているみたい」

「はい、頑張ります」


 すごく待たせたせいかしら。フィオナの意気込みが少し気になる。

 彼女は妹の隣で膝をつきさっと手を伸ばした。それをじっと見つめるニコラの姿を目にする。


 自分の中から未知の作用が溢れてくる感覚に緊張が高まる。これがそうなの?

 まだわずかに触れられただけ、しかも肌衣の上から。刺激もないのに、感じただけで、いや、思うだけで溢れる作用が研ぎ澄まされる。


 妹の手元を確認するようにちらっと見たフィオナは少し位置をずらした。手が滑っただけで、内なる作用が注がれる。温かい流れに応じるように広がっていく。

 そこで気づいた。シルのレンダーが感知を強化させている。ああ、きっとそうに違いない。


 さらに立ち上る触感を抑えながら身構えたところで気づいた。フィオナも十分に鍛錬を積んだやり手だということに……。


 気が緩んだとたんに目の前のものが変化した。彼女が力を入れたようにすら見えなかった。心の中でため息をつく。

 あとはクリスの手を待つだけ。つかみやすいように腕を少し上げる。



***



 頭の中に思考が形成された。


「感知によって同調を強化するのは輪術式(りんじゅつしき)にとってもいいこと。そのどこが気に入らないのか理解できない」


 呼んでもいないのに話しかけてきたことに驚く。


「えっ?」

「不本意の感情が伝わってくる」

「それ、わかるんだ……」

「一体だから」

「わたしはまったく気にしていないの。でも見た目が変わると……ほかの人はうろたえるらしいから」

「カレンのメデイシャは勘違いしてる」

「急に何のこと?」

「知覚と反応が強いのは感知に()けているためではない。人と同じ体験をするよう強化した五感を持たされたわたしたちがいるから」


 ああ、そういうことか。わたしが変わり者でおかしいのではなかった。


「つまり、これはエアのせいなのね?」

「違う。すべての反応はわたしとカレンの相乗効果。両方に原因があり結果がある。でも、望めばカレンが思うように反応できる。一度経験したことならば」

「わたしも頑張ったのよ。でも勝手に……。あれっ? これ、二回目というかもう三回目よね?」

「初めてよ」

「もう何度も経験しているでしょ」

「カレンはわかっていない。右の者は圧をかけることで、左の者は触れることで知覚を刺激した。カレンが受けた知覚とそれに対する反応はどちらにとっても初めてなのよ」


 まったく……融通がきかないのね。幻精のすることを人のように考えてはいけない。それはわかっているのだけれど。


「途中までは制御できていたから、カレンがそう望めば次はわたしたちも同じようにできる」

「あそこで気を抜かなければ最後までできたかしら?」

「そうよ」


 優しく言うエアを前よりずっと身近に感じる。


「カレンと一緒だと新鮮な発見がたくさんある」


 あ、そう……。

 生まれたときから何度もエアに助けられた。そのお返しができているらしいことを喜ぶべきなのかしら。


「ああ、でも、これはもっと早くに何とかなったのではないの?」

「否定はできない。しかし、姿、形がどうあれ、つながりも同調力も強化されたから、心配は無用よ」


 慰めているつもりなのかしら。


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