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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第2部 第5章

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316 偶然ではない (カレン)

「それからね……」

「まだ、お説教が続くのね……ほかにも変なことした?」

「うん、今日のやり方は少し間違ってない?」

「えっ、どこが?」

「思ったんだけど、お母さんの手をノアの力髄に当てたほうがよかったんじゃないの? そうすれば……」


 話し続けるペトラの顔を見つめた。

 そうだわ。逆にすればこんな大変なことにならなかったかもしれない。理由はわからないけれど揺り戻しが生じなかった可能性がある。もちろん、エアとしては近いほうが遥かにやりやすかっただろうし、シルの装具の恩恵も受けられたには違いない……。


「……ねえ、聞いてる?」

「あ、はい。……あなたの言うことにも一理あるわ」


 得意そうなペトラに向かって続けた。


「だけど、始める前に言ってほしかった」


 そうすればエアとも相談できた。


「そ、それは……何か理由があるかもしれないと思ったから……」


 慌てるペトラの顔から視線を下げて彼女の手元を見る。


「そうね、学習しました。今度するときは、こっちをフィオナとジェンナに預けることにするわ」


 あきれた声がした。


「また、やるつもり?」

「も、もしもの場合よ……いじわるね」




「どれくらい?」

「二十分」

「疲れたでしょう。あんなに頑張ったのだし」

「平気。お母さんに比べればどうということないよ」

「じゃあ、このままもう十分くらい続けるわ。それ以上やるとフィオナとジェンナが倒れちゃうから」


 見れば、ノアの体に少し色が戻ってきていた。頬だけは真っ赤。よかった。新鮮な血が通ってきている。


「このままでノアの具合は()られる?」

「任せて。手がつながっているから問題なし。やっとわたしの出番だね」


 いや、ずっと支えてくれたでしょう。しかも、力いっぱい。もう締め付けはないが、目を落とせばまだ赤い。これはしばらく痕が残るかも。


 それにしても自分では何もしなかったのに疲れた。

 いや、そうではなかった。よく考えれば、エアが使った力は自分の中の力だ。それに、第五作用を長く使うと疲れるのは、以前にも経験済みだった。



***



 何とかベッドから滑り降りて、フィオナが運んできてくれた椅子に腰を落とした。背もたれにだらしなく寄りかかるとフーッと息を吐く。

 拾ってきた上服は、着る元気もなく膝に置かれたまま。

 両手を椅子の両脇にだらりと垂らす。一度座ってしまうと立ち上がる気力はしばらく涌きそうもない。


 何はともあれ大変なことにならずに済んで本当によかった。ノアは寝息を立てて眠り、ペトラが追加の医術を施していた。イオナが服の前を閉じて毛布をかけるのをぼんやりと眺める。


 火照りを感じて見下ろす。少し腫れたように見えるが、だいぶ色は薄らいでいるし、もう張りも感じない。

 フィオナがジェンナと言葉を交わしたあと部屋を出ていった。

 くるっと体を回したジェンナがやって来た。


「カレンさま、診せてください」


 しゃがんで手を伸ばしてくる。


「腫れたみたい。ボーッとしているわ」

「そうじゃありません。単に赤くなって少し熱を持っているだけです。ノアさまったら、こんなになるまで……」

「あのね、ジン。ペトラなのだけれど……」

「どちらでも同じことです」




「どうしてあんなになったのかしら?」


 見上げるとジェンナは顔を赤らめた。


「えーと……強い刺激で変化するんです。人によりますけど、カレンさまはすごいです。あたしなんか、ほとんど変わりませんから」

「そういえば、この前も同じように……」

「そうじゃありません。あれは本当に大怪我(けが)したのですよ。医術でもなかなか治らなかったでしょう」

「あっ、ジンに診てもらう前はもっとすごかった……」


 思い出した。彼女が歳の割に力があったのではなかった……。




 フィオナが内服を持って現れた。

 立ち上がろうとしたがジェンナに止められる。


「このままでいいです。ゆったりしたものを持ってきてもらいました」


 座ったままでふたりに着替えを手伝ってもらう。

 ジェンナは医療品が置かれた棚から薬の瓶を持ってきた。


「腫れてないなら薬は必要ないわ」

「これを使ったほうが治まりが早いですから」

「そう……」


 せっかくジェンナが気を遣ってくれているのだから、おとなしく身を委ねることにした。丁寧に薬が塗られるのを眺めていると熱がスーッと引いていき楽になる。やはり看護の心得がある彼女の意見は素直に受け入れるべきだわ。


「すごく楽になったわ。ありがとう。それで、あなたたちは大丈夫なの?」

「へっちゃらです。あたしたちはカレンさまと違ってただ座っていただけですから」


 ジェンナが元気よく答える。

 そうではないと思うのだけれど……。

 初めてとは言え、この前も疲れ切って横になっていたじゃない。多大な回復力を使ったあとにどうなるかはもうわかっているでしょ。


「みんなでノアを助けられて本当によかった。あなたたちも、すぐにどっと疲れが出ると思うわ。ふたりとも今晩はたくさん食べて十分に睡眠をとるのよ」

「はい」


 素直に答えが返ってきたので安心する。




 イオナがやって来たかと思うと、床に膝をついてカレンの手を取った。


「姉さま、あらためて本当にありがとう。いくら感謝しても足りない」

「そんな必要はないわ。わたしたちは姉妹よ。弟を助けるのは当然じゃない。本当はもっと早くにこうできたのに。わたしの力不足でごめんなさい」

「そんなことはない。……ノアを治してくれる人と出会ったのが偶然とは思えないの。それなのに、わたしのしたことは……」


 イオナの背中に手を回して引き寄せると、彼女の言葉が小さくなっていった。


「ねえ、イオナ。いろいろあったけれど、あなたに出会えて本当によかった。あなたと姉妹になれたことがとてもうれしいの。これは本心よ。それに、あなたが言ったように、出会いは決して偶然ではないの。必然なのよ。だって、これからあなたの力が必要になるのですもの。イオナ、今度はわたしを、わたしたちを助けてほしいの」


 すっと体を離したイオナに見つめられる。


「何でもするから言ってほしい。どこまでも姉さまに付いていきます。わたしはあなたのケタリシャなのだから。これからもずっと……」

「はい、お願いします」

「それで、わたしは何をすればいい?」

「わたしたちは、トランサーの海をなんとかしたいの。いずれ、北の果てにあるトランサーのもとを消滅させに行くつもりよ。そのための人を集めているところなの」

「わかった。わたしも、家族も全員、それにアデルの者たちもみな協力する」


 ゆっくりと首を振る。


「いいえ、そうではないの。これは、わたしとつながりある限られた作用者でなければできないことなの」


 理由を詳しく説明した。




「ああ、そうなのか。なら姉さまの言うとおりにする。それで、わたし以外に誰か必要? そうだ、クレアならきっと役に立つと思う。彼女の力はとても強い。前に言ったかもしれないけど、権威ある者と同じくらい。それに、わたしたちの妹でもあるから……」

「えっ? そうなのですか。まったく気がつきませんでした」

「そうなの? てっきりわかっているのかと。彼女の遮へい能力はすごいとは思っていたが、ケタリに悟らせないとは……」


 あのときのことを思い出しこくりとうなずく。


「そうなると、わたしとしたのは二度目だったのですね。どうりで落ち着いて慣れていました」

「まあね。でも、カレンのときと違って大変だったんだよ。一晩かけて……」

「すごいですね、イオナは」

「これもまあ、アデルの力を衰えさせないための施策の一つなんだ」

「ああ、それで……」

「あっ、言っておくと、カレンとの姉妹結びはクレアとは全然違うんだよ。カレンのときはロザリーの目の前でしたでしょ。しかもケタリの力を使った。きずなの強さがまったく違うの。それに、公然の姉妹なので実の姉妹と同等に扱われる。だから、その重みはまるで異なる」


 それはもう、この前たっぷりと味わいました。これで、借りを少しは返せたかしら

 そうすると、クレアも来たるべき輪術式の一員かもしれない。


「よくわかりませんが、ありがとう。クレアにもぜひ加わってもらえるようにお願いします」




 立ち上がって背中をぐっと反らせる。腕を何度かぐるぐる回して固まった体をほぐした。

 フィオナがこちらを見つめているので尋ねる。


「どうかした?」

「カレンさまは着痩せするたちですね」

「えっ?」


 前にもそう言われた。


「どういうこと?」

「服をお召しになると印象ががらりと変わるということです」

「服が変われば見た目も異なるのは当然じゃないの?」

「そういう意味ではないのですよ」


 フィオナは微笑を浮かべて続けた。


「ミンでお召し物を用意した際に気づきました。カレンさまはとても華奢(きゃしゃ)で繊細ですが、(はた)から見えないものをお持ちだと。でも違っていました。秘めたものに思い至らないとは、わたしもまだまだ未熟者です」


 言葉の真意を考えているとフィオナは頭を下げた。


「それでは、失礼いたします」


 そう言い残して彼女は部屋を出ていった。

 振り向いてジェンナに尋ねる。


「ねえ、ジン、どういう意味?」

「えっ? えーと……お召し物が……によらず心()かれますという意味です」

「そうは聞こえなかったわ」

「ああ、つまり……カレンさまはどんなときでも魅惑的です……そういうことです」

「からかっているのね……しょうがないわね、ふたりとも」


 イサベラが王になったのを知ったのはその夜のことだった。


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