315 わたしにできたこと (カレン)
「す、すごいです……」
ジェンナの声に目を開けば、今度はフィオナまでもが腰を浮かせていた。
妹と並んで目を丸くする彼女を見れば、誰でもふたりが姉妹と確信する。ジェンナに会ったときにどうして気づかなかったのかしら。
身を乗り出すイオナの姿が視界に映った。誰もが不思議に思うわよね。わたしだってわかっていなかった。じかに見るのは初めてだから。
胸全体が淡い黄の光を放っている。意識や声だけでなく本当に幻精がここにいるのだと再認識する。生まれた時からずっと一緒だった。何度もわたしを助けてくれた。
その思いに心が揺さぶられ体はどんどん熱くなる。
焼け付く感覚を鎮めようと頑張ったが、もうこれ以上耐えられない。
関が外れるや否や抑え込んでいた流れが溢れ出て一気に膨れ上がった。被う薄衣が張り詰め透ける斜面は秋色に染まっていく。
そこから漏れる光がどんどん明るくなり、見つめるふたりの瞳を輝かせた。
同調は使っていないから、これは幻精自身が作用を行使している証拠。
エアが幻精であることを忘れていたわけではないが、これほどとは知らなかった。服を着ていてもわかったわけだ……。
手を包み込む光彩の中に突然白い姿が浮かび上がり、あまりの驚きに呼吸が止まりそうになった。白き衣は風使い……。
これは実際に目に見えているの? それとも頭の中に作られた姿なの?
息が詰まったような音が聞こえ顔を上げれば、ジェンナと目が合ってしまう。彼女たちにも見えたらしい。彼女が口を開く前に首を横に動かす。
お願いだから何も聞かないでね。
今のわたしには説明できそうもないから。
すぐにおぼろな姿は強まる光に溶け込んだものの、頬を髪と同じ色に染めて覗き込むふたりからそろってため息が聞こえた。
とんでもないものを見せてしまったような気がする。
ペトラが気づいていないことにはホッとした。つまり、彼女には見えていない。やはり、現実の光景ではなかったのか……。
姿を見せない幻精でもその放つ光は隠せない。それでも存在を明らかにはしないはず。
だとしたら、彼女たちにわざと見せた?
考えれば、彼女たちにも力髄があり作用が使える。対話が可能かもしれない。信人になることだってあり得るわ。ああ、つまりそういうこと……。
時伸作用が強くなると引きずられるように回復作用が膨れ上がり、異質なものに釘付けのふたりからうめき声が漏れた。
慌てて腰を戻したふたりに謝る。
「ちょっと引っ張られちゃった。びっくりさせてごめんね」
「だ、大丈夫です。そういうことじゃありませんから……」
これ以上わたしにできることはない。今まで何度も助けてくれたエアだもの。すべてを委ね信頼しよう。
それからは誰も身動きせず時間だけが過ぎていく。
***
次に気づいたときにはノアの目が開いていた。
少しの間ぼんやりとしていたが、突如、その瞳がスッとすぼまり焦点が合ったように見えた。驚愕が浮かんだ目はたぶん自分の手に注がれている。
イオナのあえぎ声が聞こえた。
「ノア……」
それからこちらを見てしゃがれ声を出した。
「カレン、カレン……ありがとう。本当に……」
そのあとは声にならない息を繰り返すだけだった。
ノアの顔はまだ真っ白だった。彼が腕を引っ込めようとしたので、急にペトラの手に力が入った。押されないように踏ん張りながら早口で話しかける。
「ノア、そのまま動かないで! まだ、あなたは完全に戻っていない。もう少し力を注ぐからこのままおとなしくして」
彼の顔がついと横に動いたあと声が出た。
「姉さん……」
それからこちらに目だけ戻すとつぶやいた。
「あなたはだれ?」
「カレン。……あなたの姉かしら。たぶんそうなるわね」
「姉? 兄さんの……」
慌てて否定する。
「違うわ、ノア。ただの姉よ」
この説明では余計に混乱させただけのような気がする。
ノアの目が閉じられわずかにかぶりを振るのが見えた。
「これは夢なのか……それとも、ぼくの気が狂ったのか……」
急に体をピクピクさせ始める。
突如エアが話しかけてきた。
「揺り戻しが生じた。この者がまた無意識に発動している。抑え込むから決してつながりを切らないように」
「ペト! 引き戻されている。しっかり押さえて。離しちゃだめ!」
急にノアの手がブルブルと震え出し体が激しく揺さぶられた。
一向に止まらない手を必死に押さえつけていたペトラが、何かつぶやくといきなり腕を突っ張らせた。
倒れないようにと頑張れば、第三の手の放つ光がみるみる染まっていく。
強まる締め付けに体をよじらせ堪えるが、回復作用がどんどん弱くなっていく。
代わりにペトラから作用が吸い上げられて流れ込み、新しいつながりが芽生えて成長する。
すべての作用が混じり合いノアの中で一気に広がると、またたく間に身震いが小さくなり圧迫感が消失した。
エアから成功したとの声を聞き、安堵で大きく息を吐き出した。
もうジャシグもジャセシグも感じない。急いで衰弱しきった臓器と力髄に注がれる回復作用を増やす。
気づけばノアの手がもう冷たくなくほんのりと温かくさえなっている。これで安心。
震えが治まったところで言う。
「きついわ。少し緩めてちょうだい」
ペトラが頭を上げ思い切り顔をしかめた。
「あっ、ごめんなさい。痛かったでしょ?」
「こんなの平気よ。あのときと比べたら何も感じないに等しいわ」
「それ、比較対象が間違ってるよ」
「それに、もしあそこで手が外れていたら、またノアが時縮の波に飲み込まれるところだったわ」
イオナの声がして顔を回す。
「ありがとう、カレン。何とお礼を言えばいいのか……。姉さまは本当にすごい方です。これほど……自分の体を張ってまでノアを救ってくれるなんて、もう尊敬の念しかありません」
「イオナ、大げさすぎます。今だから白状しますけれど、しょっちゅう失敗しているのです。今回はみんなの協力があったからこそできたことですから」
彼女の目は朱が透ける丘に注がれたまま。
「こんな目にあって、痛みに耐えてまで、人を助ける方はまずいない……」
「これ、見た目と違って少しも痛くないのですよ。それにもっと酷いことも経験していますから。その割にはちっとも学習しないとシャーリンとペトラに叱られます」
光を放った件は何も問われなかった。
ホッとする。聞かれても説明に困ってしまうから。ペトラがすでに知っていることで本当によかった。
内なる存在に声をかける。
「ありがとう、エア。あなたのおかげでノアの命が救われました」
「カレンの第五作用は優秀よ。とてもうまくいったと思う。それに、カレンのおかげで新しい観測対象ができた。これから楽しみ」
ああ、やはりエアも幻精なのだわ。彼女にとっての最大の関心事はそこだった……。
ようやく落ち着いたノアに目を向けたペトラが話しかけた。
「君は現実界に戻ったんだよ。ここはもう異世界じゃない。まあ、驚くのも無理ない。突然目覚めたら、自分の上に……ああ、知らない女性がいて、しかも手が彼女の……つまり、手をつかんでいるんだから。でも、気にしなくていいんだよ。カレンは普通じゃないから。しょっちゅう、こういったとんでもないことをしでかすし、いつだって人目なんか気にもかけない人だから」
ねえ、ペトラ……それはあんまりな説明じゃない?
イオナの驚いた声がした。
「そうなの?」
慌てて否定する。
「違いますよ、イオナ。ペトラはいつも大げさに言うから」
「でも実際……」
「いいから黙りなさい」
それからイオナに顔を向ける。
「ほんの一、二回ですから。わたしの記憶の範囲では……。それに、わたしにとってここはもう一つの手なのです。だから見られても掴まれても不都合はありません」
いつものようにペトラは容赦なかった。
「ノアはこれから毎晩悪夢にうなされるかも」
「ええっ? どうして?」
「それが普通なの。ノアは男の子だから」
「なぜ? 納得できないわ」
単につながりを作っただけよ。それの何が問題なの?
ペトラは何も言わずに肩をすくめただけだった。
「……わかったわ。じゃあ、ペトラが慰めてあげて」
「うん、いいよ。この子にはすごく興味があるから、いろいろ話もしたいし、ちょうどいい」
知っていると思うけれど、彼は何年も眠っていたのよ。それにあなたより年上。
ペトラも一緒に入ったために彼女と彼の中にできたもののことは、内緒にしておいたほうがよさそう。
「あんまりノアを苛めちゃだめよ。レオンのときみたいに」
「人聞きが悪いなあ。そんなことしてないよ」
鼻にしわを寄せて続けた。
「ああ、でも、とりあえず洗浄は必要だね」
「ええっ?」
イオナがギョッとした声を出した。
「湯浴みのことです、イオナ」
ペトラは慌てて言い直した。
これからのことを思うとノアが少し気の毒になってきた。何度も首を振る。
「あのね、お母さん」
「今度はなあに?」
「今さら聞くのもなんだけど、ノアは第五作用を無意識に使ったと言っていたよね」
「ええ、おそらくね」
「だとすると、もうひとつの作用を使う可能性もあったんだよね、さっき暴れたときに」
ハッとしてペトラの顔を見つめる。思いおよびもしなかった。
「それって危なかったんじゃないの?」
「うっ……そうね。……で、でもね、もうひとつは陰の第三だから発動されたとしても……被害はなかった……はず」
もしかすると第五のほうに影響したかもしれない。いきなり切断された作用により大変なことになった可能性も……。
「本当? それって、ちゃんと最初から考えていた?」
図星を突かれて小声で答える。
「……いいえ」
はっきりとため息が聞こえた。
「ごめんなさい。反省します。今度からよくよく気をつけます」




