314 わたしにできること (カレン)
ふたりが床に座るのを見ながら、服の打ち合わせを解く。
そういえば、まだ内服に着替えていなかった。
「カレン……何をしてるの?」
困惑したようなイオナの声が聞こえる。
上服を後ろに落とし肌衣に手をかけたところで、ジェンナとフィオナから同じ言葉が飛び出た。
「カレンさま! いったい何をなさるのです?」
「気でも触れたの?」
イオナからの非難の声が耳に痛い。
思わずため息が出たが素直に答える。
「気は確かよ。手が足りないの……」
「こんな状況で裸になるなんて、いったい何を考えておいでですか?」
「ねえ、ジン、そんなことはしてないでしょ。ほら、よく見て」
シルでもらった肌衣を着用したままだった。このレンダーは力を強化する。もちろんこのままがいい。
「ああ、そこに張り付いている眇々たるものは下衣でしたか。だとしても、何も着ていないのと同じじゃないですか!」
「そんなに怒らないでちょうだい」
戸惑いしか浮かんでいない三人の顔を順番に見て話す。
「わたしは思うの。わたしに何かできるかもしれない。そう知ったとたん、自分の為すべきことに全力で立ち向かおうと決めたのです。人の命がかかっているのですもの。眼前に突きつけられたものから目を背けて後悔はしたくない。これまでに……。いや、できることは何でもするつもり。つまり、そういうことです」
一気にしゃべったところで息をつく。
もう三人とも、何も言わなかった。
ノアの手首をつかんで持ち上げ引き寄せる、ゆっくりと。
「あっ、そうか。あのときと同じことを……」
そう言った主のほうを向く。
以前ペトラにも試してもらったことがある。これからすることをわかっているのは彼女だけ。
「ちょうどいいわ。ジェンナの隣に座ってちょうだい」
「ねえ、その……ああ……服の上からでいいの? わたしの時は……」
「大丈夫。これはレンダーよ。ザナを連れていったときにもらったの。ねえ、すごいでしょ」
ノアの両手を力髄の上に当てた瞬間、体に震えが走った。肌衣を通しても氷の塊を押しつけられたように感じる。こんなに冷たいとは。これは本当に普通ではないわ……。
ペトラが位置につくなりそちらに体を向けて指図を下す。
「ノアの手が離れないように、ここを押さえて」
首を縦に動かした彼女はいったん腕を上げたものの、すぐに引っ込めて指からレンダーと符環を引き抜いた。それから手を上に伸ばしてノアの手首をつかむ。
カレンは手を離し、両側から差し出されたジェンナとフィオナの手首をつかみしっかりと握り合う。
「ずれないようにね。途中で手が離れたら大変なことになるわ。ノアの命に関わるのよ」
こくんとうなずいたペトラはノアの両手をそろえてから、自分の手をずらしてぐいっと力を入れた。
予想外の力に押し倒されそうになり、慌てておなかに力を込める。
すっと眉間にしわを寄せたペトラは、いったんノアの手を引っ込めてこちらを見た。
どうするつもり?
彼女は少しためらうようなそぶりを見せたあと、ノアの手の甲をつかみ直した。右手を脇の下に押し当てもう一方は谷に立てた。再び触れた寒気立つものにゾクッとする。
重ねられたふたりの手を眺める。思いのほか小さい……どちらもまだ子どもの手だわ。
再び押されるのを感じたとたんに気がついた。マヤのまねをしている。
背中がザワッとした直後に、あのときの辛苦と悶えが蘇ってくる。焼け付くような感触に胸が疼き、かすかに上体をよじった。
ちらっと見れば目の前の手に注がれたペトラの眼差しは真剣そのもの。
もちろん彼女はノアの命を委ねられたことを理解し、自分の役目を果たすために全力を尽くしているだけ。それにこうすれば手が離れる心配もない。
わたしもしっかりしなければ……。
大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出す。
みんな自分にできることを一心に行なっている。こうしてお互いをつなぐのはわたしにしかできない。頑張らないと。
押し込まれないように肩を引き胸を張って力を入れる。
目を閉じてこれからやることに気持ちを集中し、感知を使って状況を確認する。
先ほどから感じるこのサワサワと湧き立つものは何だろう。感知ともほかの作用とも違うもっと内側から顕れたもの。冷気に対抗するがごとく広がってくる。
姿勢が安定したところで、作用をわずかに流してノアの力髄とつながっていることを確かめた。ついで、フィオナとジェンナから流れる回復力を少しだけ彼に回し始める。とても順調だわ。
エア、これでいいかしら?
肯定の答えを得たとたんにすっと気持ちが楽になる。
***
目を開けば、ジェンナが腰を浮かせて身を乗り出していた。
「どうかした?」
「すごいです……」
彼女の視線の先を見る。あらら……。
「でも、こんなお辛いことを……」
「別に辛くないわ。わたしは何もせずあなたたちの力を借りているだけだから」
「そうじゃありません。カレンさまが辱めを受けているのが、あたしには……」
手で口を押さえて顔を上げた彼女の目は少し潤んでいた。
「ああ、ジン、違うのよ」
彼女は作用のことを何も知らないのだから、初めにこうする理由をきちんと説明すべきだった。
「あのね……いい? 作用者には生命と作用を掌る力髄と呼ばれる器官があるの」
第三の手を覆う細やかな文様に視線を走らせる。
この前は感じなかったが、何となく懐かしい。もしかしてこれはあの意匠なのかしら。
「一番太い力絡、作用の通り道のことよ。それは力髄から両側にまっすぐ延び、腕を通って両方の手首まで達している。そこで分かれた力絡、つまりたくさんの枝が手首と手のひら全体に広がっているの。だから力の具現化には手を使う」
彼女は自由なほうの手を掲げて灯りに透かすように回した。
「手のひらに……」
「ええ。だけど、これから三人と作用をやり取りしなければならないのに、手はふたつしかないでしょ。もっと手が必要よね?」
こくんとうなずくのを見て続ける。
「力髄から延びる力絡は全身に張り巡らされている。特に胸部と腋窩には密集しているの。それぞれは細いけれど束ねられた力絡は十分に太い。その上、力髄から近いので作用の通りが非常にいい。たぶん両手よりも、ね」
もっとも今回は別の理由のためだけれど。
「だからもう一つの手として力髄のすぐそばを使う……」
そう話す間にも、サワサワした感覚は続き温かいものが注がれ広がっていく。これはいったい何かしら。何が起こっているの?
ジェンナはわたしの記憶の番人。わたしのすべてを知ってもらう必要がある。今までの話を彼女は理解してくれたかしら。
腰を下げ、考え込む彼女の顔を覗き込む。
慌てたように下ろした手がペトラの腕をかすり、弾かれたように体を起こしたジェンナからどっと作用が溢れ出た。その奔流を受け止めるのにしばし集中する。
気を取り直し変化したところを検分する。
「わたしには見えないけれど、その手の付け根あたりよ」
腰を落とし首を傾げたジェンナの髪がサラサラと流れ落ちた。ペトラの手がもぞもぞ動くと、ピクリと震えたジェンナからかすかなあえぎとともに作用の揺らぎが伝わってくる。
感情のうねりは彼女の作用に如実に顕れるようだ。感受性が極めて高い。作用を扱う者としては望ましいことかしら。
「その下に力髄があるの。あなたにもあるのよ」
「えっ、あたしに? あたしは作用者じゃありませんけど」
今さら気づいた、ちらっとこちらに向けた眼差しがフィオナと同じことに。
「でも、イグナイシャやメデイシャだって作用者ではないけれど、作用を扱えるでしょ。それと同じ。あなただってそう……」
優しい流れは包み込むように広がり、知覚が研ぎ澄まされていく。
「……いえ、少し違うわね。回復力はあなたの中で生まれるのだから……」
覗き込む姿が遥か遠い記憶を呼び覚ます。
一瞬、胸が苦しくなり深呼吸をすれば、彼女の鼻先で陵丘が盛り上がる。今度は息を呑む音がはっきり聞こえた。反対側からも。
ピンと張った膨らみを温かな吐息が撫で、両手から流れ込む作用は激しく波打つ。
見守る瞳は透き通った緑。どんなときもひたむきで真剣に、見上げていた……。そう、ちょうどこんなふうに。
「……あなたたちの力は作用者のとは少し違うけれど、それでも作用の一種に変わりはないのよ。ふたりとも回復作用を開ける。それは力髄がある確かな証拠なの。だからこうして力を貸してくれる。直接相手に注げないのが腑に落ちないのだけれど……」
一気にしゃべったあと一息つく。珍しく茶々を入れることもなく無言のペトラをちら見する。
ようやく不思議な感覚は静まったものの、透ける山肌がなぜか色づいている。目を離さないふたりと同じように。
両手に伝わる拍動が残る記憶と共鳴し、時を越えたきずながどんどん強くなる。蘇る光景に胸が熱くなり体がまた打ち震える。手をつなぐ三人がまさに一体化したように感じる。
「とにかく、これでふたりをノアとつなげたの。そして第五作用も同時に流せる」
高嶺を包み込む文様が拡がった今ならはっきりとわかる。やはりこれはイチョウとスイレンを表した紋様。
シルの護符はすばらしい。確かに守られていると感じる。
体の一部となった伸縮自在のレンダーは、つけていることを忘れてしまう。
輪術式に臨む全員にこれが支給されるという。すごいこと。
シルがこの儀式にかける意気込みがひしひしと伝わってくる。わたしたちもそれに応えなければ。
黙り込んでいたジェンナから大きなため息が漏れた。
「夕焼けのよう……」
そうつぶやいたあと姿勢を正して顔を手で扇いだ。
「それでも、このようなことは……」
「ジン、いい? 常識に疎い、世間知らずとみんな言うけれど、こんなわたしでもあなたの気遣いは理解できます。そうだとしても、わたしにとってこれは単に手をつないでいるだけ……」
出会ったときから揺るぎない信頼を置く彼女に道義にもとることを強いるのが後ろめたい。しかしこれは譲れない。
待っている間に火照りは治まり張りも落ち着いた。
「……わかりました」
完全には納得していないのが明らかだけれど、とりあえずホッとする。
「あなたたちがいなければ助けられない。あなたたちが頑張るからわたしも力を出せる。わたしたちでノアを救い出すのよ、永遠の眠りから」
「はい、カレンさま」
押さえる手を見ながら小声で続ける。
「本当は、手を使わないほうがもっと強くつながれると思うし、ペトラに頼む必要もなくなるのだけれど……」
「手を……使わない?」
再び腰を浮かせて伸び上がったジェンナが、まじまじとこちらを見た。
「それって直接……」
いきなり彼女の頬がきれいな茜色に染まった。
「どうしたの?」
彼女は何度も頭を振った。
「いえ、いえ、何でもありません。……ああ、あれはそういうこと……ミランったらもう……」
最後はつぶやくように言うとストンと腰を落とした。
何のことかしら……。
さすがに待ちくたびれた様子のペトラを目にして慌てる。
「それじゃあ、始めるわ」
根源を開く……どうすればいいのかしら。
ほかの人からつながりを求められた時に力を受け入れる。それと同じ?
目を瞑り気を落ち着け無心の状態を目指す。あらゆる力を待ち構える。
エア、どうかしら?
突然、新しいつながりを感じた。今までにないほどしっかりとした力。求めに応じて自分の中の作用が流れ出て、エアを巡ったような感じを受ける。
彼女の姿がまぶたに浮かんできた。まるで目の前に実体化したよう。その姿はライアに似ていなくもない。きっと白き姿のせいだ。
これはまるで同調と同じ。つまり同調の本質も一体になること。そういうことか……。
エアから掌握したとの言葉が届く。
では、お願い、エア、ノアを助けて。
これでいい。第五作用のほうはエアに任せておけば、うまい具合に制御してくれるはず。
カレンはジェンナとフィオナからの回復力を受け取りノアに注ぐことにだけ集中した。
すぐに体が温かくなってくる。しかし熱くなるほどではない。回復力の流れに加えて時伸作用のかすかな動きも感じた。それがしだいに大きくなる。
ノアの代謝が変わるのに合わせて回復力の流れを増やす。




