310 ふわふわとしたまま (カレン)
やはりイサベラはそばにいた……。
「行ったって、どこへ?」
「わからない。イサベラと一緒にここに来て、さっきまでそこにいたんだよ。それがいつの間にかどこかに……」
「彼女と一緒だったの? それなら……」
「それより、どうして一緒だったって知ってるの? さっきまで意識もなかったのに」
「えっ?」
それでは先ほどのは現実ではなかったのか。しかしすぐそばにいて話しているかのようだった。
「お母さん、大丈夫?」
「わたしは平気よ。それより、イサベラは……大丈夫だった?」
「えっ、どういう意味? 別に普通だったよ」
「それじゃあ、探しに行かないと」
そう言ったもののまだ力が戻っていない。
動くほうはもう少しすれば大丈夫。痛みもなくなった。
「フィン、ありがとう。もう大丈夫。手を離しても」
ゆっくりと体を起こし、服装を整えるのをフィオナに手伝ってもらった。
とてつもなく体がだるい。どうなっているのだろう。
「探しにってどこに? このあたりにはもう誰もいないし、タリアたちが周辺を偵察に行ったから」
「タリア? ああ、そうなの。ほかに誰が来ているの?」
「エドナにイジー、それからミア」
ザナの声が聞こえた。
「カレン、一度、グウェンタに戻ったほうがいい。まだ体が動かないだろう? きっと何かされたんだと思う。帰って、医術者にきちんと診てもらったほうがいい。それに、ここはいやな感じだ。木が多すぎるから見通しがきかない。いずれ、ほかのやつらが来る」
ほかの? すでに誰かが来たということかしら。
「でも、イサベラが……」
「彼女は近くにいない。どこに行ったのかもわからない。闇雲に探してもだめ。それとも、居場所がわかる?」
すぐに首を振る。
「まだ、力は全然戻っていない」
「それならなおさらだ。とにかく帰ろう」
ザナに手を引っ張ってもらって立ち上がる。さっと見回してから口を開く。
「ここはどこ?」
「カムランの館の内庭。向こうに……」
フィオナが突然顔を上げ振り返った。それを見たザナがパッと体を回した。
つられたようにシャーリンがそちらを見る。
「どうかした?」
先ほどまで力髄が眠っていたかのようで、まだふわふわして感知がなかなか戻らない。
ぼんやり眺めていると、フィオナの手の中に突然銃が現れた。
それを目にするなりゾクッと体が震えた。
「フィン?」
体が突き飛ばされた時には、耳が銃の発射音を捉えていた。
背中が何かにぶつかり、いやに遠くに誰かの悲鳴を聞いた。
ザナ? なんとかもがいて体を起こしたが、かすかな声に続いてあたりに攻撃の光と音が交錯した。
受け身の力が少しだけ戻ってくる。
突然周りに大勢の人がいるのがわかった。ほかの人たちが走ってくるのも視えた。
その間に視界に入ったのは横たわるザナとシャーリン。
何が起こったのかを急に理解した。
撃たれた……。しばらく身動きができないでいた。わたしの身代わりになった……。それともシャーリンが狙われた?
どっちにしても、これはあの時のようだ。またも同じことが……。
集まってきた人たちが何か叫んでいたがちっとも耳に入ってこない。
ふたりとも撃たれたの?
やっと硬直が解けて動けるようになり、皆が囲む中に分け入る。見たところどちらもただ気を失っているようだが、メイジーの声が残酷な事実を告げた。
「目が覚めたのね、カレン! シャーリンは気絶しているだけ。大丈夫。でもザナが撃たれた」
ザナの服が血に染まっている。フィオナが前を開いて手で押さえるのが見えた。これもあの時とまったく同じだ。またも……。
「カレンさま! カレンさま!」
彼女の叫び声に我に返る。
「えっ?」
しばらく呼ばれた意味がわからずにいた。
「早く手当てしないと。わたしだけではどうしようもないです。手を貸してください」
そうだ、彼女は癒者。医術者ではないけれどそれでも手当てができる。
急いでフィオナの手を握り、彼女が離したところを手で押さえる。手が熱くなり周りから吹き出る血をただ見つめた。
耳は後ろで叫ぶ声と何かが破裂するような音を捉え、あたりで光るものが何度も視界の隅に入った。
ミアとメイジーの怒鳴り声は聞こえるけれど、まるで意味をなさない雑音のよう。
「こっちが視えて……どうして?」
「……見えた。遮へいを替わって。強制で……」
「……あの下を」
「感知でないと……」
「もう一度……」
ようやく感知が使えるようになったが、すぐに違和感を覚える。目の前の彼女から何も感じない。意識がないから? まだ作用が完全でないせい?
いや、そうではない。もう周りの人たちのことがはっきりわかる。気を失ったシャーリンも視える。なのに直接触れているここには何も視えない。ということは……。
フィオナの声を上の空で聞く。
「肺を撃たれたようです。血が。それにもう一か所」
左胸からも出血していた。
「貫通弾……」
まずい。その場所には力髄がある。力髄を撃ち抜かれた。
「ああ、どうしよう」
どうすれば助けられる?
「ああ、シャル、ザナが、ザナが……」
忘れていた。シャーリンはまだ意識がなかった。あとは……顔を上げて見回す。
ミアの声が聞こえた。
「落ち着け、カレン。ザナはまだ生きている」
いつものようにメイジーの冷静な声が続いた。
「でも、ここをやられると、あたしたちは……」
押さえる手からほとんど力が感じられない。作用の流れも視えてこない。
「ああ、ペトラがいれば……連れてくるべきだった」
そう言うミアの声が聞こえたがどういうことだろう?
これはペトラの範疇を完全に越えている。どれほど優秀な医術者でも撃たれて壊れて停止寸前の力髄を再生などできない。
「フィン、ここを押さえて」
血の溢れているほうをフィオナに任せて、力髄の真上に手を押し当て、フィオナから流れ込む作用を注ぎ込む。
やる前からわかってはいた。大怪我には違いないけれど致命的に悪いわけではない、普通の人なら。問題は力髄がほとんど動いていないこと。
このままだとザナが死んでしまう。わたしたちは、力髄に生かされている。
ああ、どうしよう。だれか、助けて……。そうだ、ジェンナならこれを処置できるかも。前にも……。しかし彼女が見当たらない。
「ジェンナはどこ? あなたの妹は?」
「ハルマンです。マリアンの看病で……」
ああ、そうだった。彼女はアデルの館に残してきたのだった。今から彼女を呼んでも間に合わない。といってザナを向こうまで運ぶこともできない。
ああ、誰か助けて。ザナを失うことは耐えられない……。
そうだ、遅滞をかけられれば、時間稼ぎになる。今ならまだ間に合う。しかし、他人に遅滞はかけられない。そもそも、わたしには発動できない。
それでも、やってみるしかない。何とか自分の中の第五作用を探す。絶対にあるはずよ。何度も使っているのだから。
誰でもいいから助けて、ザナを救って。お願い……わたしの中の根源、あなたに願う。どうか遅滞を発動して……ザナを助けて。
突然、胸の奥が苦しくなった。どこかの深淵からこみ上げてくるものがある。全身が激しく震えてきた。握っているフィオナの手も上下に揺れる。
「カレンさま……大丈夫ですか? こんなにブルブルと……」
突然、目の前が見えなくなった。目を閉じたのだろうか。次の瞬間また光が満ちる。目を瞑っているはずなのに眩しい。胸が熱くなる。耳鳴りで気が遠くなりそう。
そして、ザナを押さえる手も燃えるように熱くなった。まるで火をつかんでいるかのように手が焼けてくる。
そこで記憶が途切れた。




