308 何が起こっているの?
通用門はいつもと変わりないとタリアが言った。確かに警備が強化されている様子もない。昨晩ここを突破したのに。
ミアが遮へいを張りメイジーの力で難なく通過する。ついで、裏階段を上がりイサベラの部屋に向かう。
タリアが立ち止まりエドナが廊下の先まで偵察に行く。すぐに戻ってきた彼女がささやいた。
「王女の部屋の前には衛事が二人います」
うなずいたタリアが振り返った。
「皆さんはここでお待ちください。わたしたちで何とかします」
タリアとエドナだけが歩き出し角を曲がって見えなくなった。何か話し声がしたと思ったら、ドサッという音とともにかすかな声が聞こえた。
「いらしてください」
扉の前まで行くとふたりが衛事の体を調べていた。
「リーシャ、入らないの?」
「鍵がかけられています」
「持ってないわ」
屈んで扉の錠を調べていたミアがタリアを見上げて言う。
「壊してもいいか?」
答えを聞く前に手をかざしたかと思うと一瞬だけ光が見えた。すぐに扉を押して開く。
ザナと一緒に気絶した衛事を部屋の中に引きずり入れた。
タリアが前室の扉を開いて続き部屋に進む。窓の外にはまだ街灯りが溢れていた。
寝室に入っていった彼女がこちらを振り向く。
「眠っているようです」
全員でベッドに近づいたがイサベラが目覚める気配はなかった。
静かに声をかける。
「イサベラ?」
反応がない。
「眠ってる? それとも気を失っているのかな」
場所を変わったザナがしばらく調べたあとで言う。
「特に具合は悪くなさそうだ。睡眠薬でも飲まされたのかもしれない」
「どうする? 先にカレンを探しに行く?」
「リーシャ、カレンの部屋は遠い?」
「先ほど通った通路の奥ですけれど、見張りがいませんでした。お部屋にはいらっしゃらないかもしれません」
「とりあえず確かめに行こう」
タリアが立ち上がった。
「エディは前室にいて。誰かがやって来て見張りがいないことに気づくかもしれないわ」
カレンの部屋にはすんなり入れたが誰もいなかった。
「ほかに当てはある?」
「ここ以外では思いつきません」
「闇雲に探してもむだだと思う。イサベラのところに戻って目覚めるのを待つしかないな」
***
「シャーリン?」
そっと呼ばれる声にビクッとする。寝ていたらしい。
頭を起こすとこちらを見下ろすイサベラの顔があった。しばらくじっと見る。
「よかった。今日は普通だ……」
「……わたし、また何かしでかした?」
「またって、特に」
イサベラの眉間にしわが寄った。
「記憶がないわ。四人でビスムに行って、帰ってきて、あなたの部屋で話したわね。そうだ、あの小さな人たちと……」
気がつくとザナがそばに立って見下ろしていた。彼女とイサベラの目が合う。
「ローエンはエルナンのザナン。カレンのケタリシャです。ザナとお呼びください」
「わたしはカムランのイサベリータ。そう、あなたがお母さまのケタリシャ。それにエルナン。ええ、ローエンでのことは聞いています。そうすると、あなたが次の当主。そして次の王ですね?」
「それはどうでしょうか、イサベリータさま。トランとのことも時間がかかりそうですし」
「イサベラよ」
イサベラは背中を伸ばして体をシャキッとさせた。しばらく迷っているように見えたが再び口を開いた。
「わたしはイリマーンの王に指名されることになりました」
「ということは、ディラン国王は……」
「ええ、亡くなりました」
「どうして? やはり誰かに……」
「ええ、シャーリン。あってはならないことですが、ここカムランが襲撃されました。おそらく何者かの手引きがあったに違いないのです。そうでなければこれほど簡単に侵入を許すはずはないのです。ローエンのケタリシャがいたにもかかわらず……」
突然メイジーが声を出した。
「イサベラさま、ちまたで耳にしたうわさは本当なのですか?」
「うわさ? どんな?」
「つまり、イサベラさまの、その……お相手の方が襲撃に加担していると」
「カイルが? あり得ないわ。彼にそのようなことはできない。万一できたとしてもそれでどのような利益があるの?」
彼女も知っていたのか。
あのカイルが裏で画策したと言われればわたしなら信じる。しかし、イサベラの顔は端から信じていないという表情。どうして、そこまで彼を信用できるのだろう。これほどきっぱり否定されると本当にそうなのかと思ってしまう。
でも、あのとき確かにカイルは王女を襲った犯人だとわたしを名指しした。それに、もっと前、あそこでも……。絶対に彼は裏の顔を持っている。
「イサベラさまが王になればあの方もそれ相応の権力を手に入れるはずです」
「でも、彼はケタリではない。それに……」
「ああ、そうだ、彼はカレンに何かした。あの時、あの部屋で。イサベラもいた。覚えてない?」
「それは、ビスムから帰ってきた夜のこと? うーん……」
しばらく考えているようだったが、諦めたようにため息をついた。
「覚えていないわ。本当にカイルがお母さまを? とても信じられない。お姉さまがそうまで言うのなら……いいえ、そうだとしても、どうしてお母さまを?」
そこで顔を上げてメイジーをちらっと見た。
「この前はこっそりいらしたわね。あれはやはり……。とにかく、お母さまにお会いすればわかるわね」
メイジーが尋ねる。
「それが、カレンを探しているんだけどどこにいるかわからない。心当たりはない?」
「あなたたちの話からすると、カイルが関係しているのよね。では彼のところに行きましょう」
「彼が関わってるなら、イサベラにも危険が……」
「どうして? そんなに心配……まあ、自分でもそこは少し自信がないかも」
イサベラはタリアのほうを向いて言う。
「タリア、もしわたしが……。そのときはどうしたらいいかわかっているわね?」
「……はい」
「彼は普段別棟にいる。内庭を通っていきましょ」
一階まで下りて内庭に通じる扉から外に出る。前にも歩いたことがある道を奥に進んだ。朝はかなり冷える。どんよりとした天気に気分も下がる。途中で道を外れ芝生を横切った。
前を行くエドナがこちらを向いた。
「あれが別棟です」
木々の間から建物が見える。
イサベラが足を止めた。
「エドナ、待って」
エドナがピタッと立ち止まると振り返った。
「あそこにはいないわ……お母さまもカイルも」
「それじゃあ、どこに……」
「お姉さま、少し黙って」
イサベラは目を閉じて手を宙にさまよわせていた。しばらくすると別の方向に歩き出した。
「どうしたの? 何かわかった?」
何も言わずに歩くイサベラのあとをぞろぞろと続くしかなかった。
何を聞いても無言のイサベラは単に意識を集中しているのだと思い尋ねるのは諦める。
しばらく歩くと小さな建物が見えてきた。見覚えのない場所だ。
急に立ち止まって入り口を見つめているイサベラを追い越して扉に近づく。
この中にカイルがいることはないよね? 振り向いてイサベラの顔を見るが何となく心ここにあらずといった感じだ。
まあ、ここにカイルがいるのなら教えてくれるだろうし、そもそもこちらに気づいた彼が飛び出してくるはず。まあ、その時はその時だ。
勢いよく扉をあける。大きな部屋だと思う間もなく、目はひとり横たわるカレンを捉えていた。しかし、身動きはない。眠っているのかな。
急いでベッドに近寄った。内服に着替えている。ということはここで夜を過ごしたのかな。
「カル?」
返事がない。
「眠っている」
ザナが体を揺さぶった。
「カレン、カレン!」
何かおかしい。
突然、後ろからイサベラの声が聞こえた。
「誰か来ます……」
ザナが顔を上げた。
「すぐにここから出よう」
カレンを抱き上げたザナは立ち上がった。
全員がすばやく外に出ると、やって来た方向に歩き出す。
「シャーリン、遮へいしたから防御を頼む」
ミアはそう口にしたあとザナを見た。
「大丈夫。強制者が現れたら防ぐから」
メイジーに目を向けると彼女はすばやくうなずいた。
「敵が見えたらお見舞いしてやる」
「かなり大勢います」
タリアがささやいた。すぐにザナが早口で言う。
「あそこ、あの石壁の向こうに。急いで」
「さっぱりわからない。どうしてカレンがあの部屋にいたんだろう。それに、あいつらは……」
ザナはカレンを地面に横たえるとこちらを見た。
「シャーリン、考えるのはあとよ」
すぐに、ミアとザナの攻撃が始まった。少し離れたところに光が炸裂し、あたりに風が渦巻いた。
破壊を使用している……。これは結構よくない状況かもしれない。
攻撃を突破してきた者たちが何人かいたが急に動かなくなる。
メイジーのつぶやきが耳に入った。
「手応えがなさすぎる。おかしい……」
すぐにあたりが静かになった。
ミアが立ち上がる。
「周りを偵察してくる。ここで少し待ってて。イジー、一緒に来て」
どうすればいいのだろう。
「ねえ、イサベラ……あれっ? イサベラは?」
タリアが振り向いた。
「先ほどまでそこにいらっしゃいました。どこに行かれたのかしら。まだ敵がいるかもしれないのに。見てきます」
タリアとエドナもいなくなった。
突然フィオナが声を上げる。
「カレンさまが……」
見ればカレンが体をブルブルと震わせていた。なんだこれは? うめき声が漏れた。
「どうしたの? カル、お母さん、目を覚まして!」
顔が真っ白だ。何かよくないことが起こっているに違いない。
「どうしよう、ザナ?」
隣に座ったザナはカレンの手を取って確認していたが、突然、服に手をかけてはだけさせる。
上半身が反ったかと思うと今度はピクピク痙攣し始めた。いったい何が起こっているの?
向かい側に座るフィオナと目を合わせたザナは小刻みに揺れる体に向かって手を伸ばした。
「フィオナ、あなたは癒者だったわね。いい? ここ、胸骨の端っこから半分ほど、このやや下……」
山すそをなぞるように動いた指が止まった。
よく見れば、色の抜け落ちた肌の中でそこだけが赤く染まっている。これは……そうか、あれだ。きっと力髄に変調をきたしているに違いない。
突然、頭の中が真っ白になり、思考能力が奪われてしまう。揃えた二本の指が押し当てられるのをただ見つめるばかり。
「作用を使える者の力髄はこの奥にある」
反対側の手を上げて自分の後頭部から髪飾りを引き抜いて押さえている指に近づけた。
「これはディステイン。これで力髄を貫かれると作用者は死に至る」
「ねえ、ザナ、いったい何の話をしてるの? どういうこと?」
シャーリンの問いには答えずに、彼女は講義をするかのように続けた。
「でも、ここには骨があるから注意して。こことここの間から刺すようにしなければならない」
逆さに持った軸の尾が指の間に当てられた。
彼女は指を離して反対側に移動させ、浮き上がる境界線のすぐ下に手のひらを押しつける。
「そして、右側の同じ場所には力絡の結節がある。指を骨に沿わせて……ここを刺す……」
いつの間にか黄色い光を纏っていたディステインの切っ先が指の間にすばやく押し込まれた。
「ザナ!! 何するの!?」
カレンを刺した武器を奪おうと伸ばした手をザナはさっと捕まえて押さえつけた。
引き抜かれたディステインはもとの鈍い銀色に戻っている。それをフィオナに渡したザナが静かに言う。
「傷口をしっかり押さえて。カレンになら回復力を注げるはず。そうよね?」
「ザナ! ねえ、何するの!?」
振り回した両手ともザナに抑え込まれた。
「落ち着け、シャーリン。結節をこれで刺激すると力髄は……どう言ったらいいか、つまり再起動する」
「ど、どういうこと?」
見るとカレンの体のひくつきはもうなく静かになっていた。顔色もほんのり赤らんでいる。いったいどうなっているの?
「カレンは……何かされたに違いない。強制とは思えないから薬か、あるいは何かほかの手段かもしれない。まったくわからないが、力髄が不安定でちゃんと機能していないのは確かだった。そのような場合に結節を刺激する治療法がある……ことになっている」
「ええっー? そんなの初めて聞いた」
まてよ。結節……あの本に何か書いてあった……何だっけ?
「わたしも実際に見たことはない」
「えっ? もしかしていま初めて試したの?」
「まあね」
急に腰の力が抜けてストンと座り込む。
突然、カレンが何度か咳をしたあと目をヒクヒクさせた。
慌ててカレンに顔を近づける。
「カル、聞こえてる? ねえ、お母さん!」
◇ 第2部 第4章 おわり です ◇
◆ここまでお読みいただきありがとうございます。
◆引き続き、よろしくお願いいたします。




