307 再会と姉妹
通用門から何とか脱出し、道路を渡って真っ暗で先がまったく見えない林の中に入る。
タリアが振り向いた。
「急いで移動してどこかで火を焚きましょう。このままでは体が持ちません」
どうやって火をつけるのかとシャーリンは聞こうとしたが、しゃべるのもだるい。きっと何か考えがあるに違いないと思い黙っている。
しばらく進んだところでタリアがピタッと足を止めた。声をかけようとしたが後ろ手で制される。
ガサガサと草が揺れ動き足音も聞こえた。誰かが近づいてくる。突然、リンが飛び出していった。声を上げようにもためらわれた。
しばらくして小さな声が聞こえた。
「シャルなの?」
木の間から現れた女の子の顔を見つめる。これは誰だっけ……。そうだ、思い出した。
「ペト……」
なぜかその腕の中にリンが収まっているのを見て眉をつり上げる。どうしてだ……。
「あらら、すごい格好ね」
ペトラが言ったあと、さっと頭を上げる。何か聞こえた。
「それで、カルは?」
「えっ?」
「カレンよ。あなたを探しに行ったのだけど」
「あ、ああ、カレンね。それが……イサベラのところに。たぶん、捕まってしまったと思う……カイルのやつに」
「あっ、そう」
ペトラの眉間にしわが寄った。
彼女の視線の先を見れば、タリアとエドナがスカートの裾を叩いていた。水がポタポタと垂れている。
「この真冬に水泳でもしたの?」
見下ろせば自分の服からも水が滴っている。体にぴったり張り付いた服は気持ち悪いし重たい。
スカートを足から引き剥がし、まとめてギュッと絞ると滝のように水が流れ落ちた。少し軽くなったが服がゴワゴワになった。だから高価なドレスは嫌いだ。
「そんなことしたらドレスが使い物にならなくなるじゃない……」
あきれ顔のペトラを見て言う。
「戻って助けないと」
今度は通用門のほうから声が聞こえた。どこに逃げたかは、ほどなくばれてしまう。
すぐにペトラは首を振った。
「だめ。とりあえず今はここから早く離れたほうがよさそう。カルのことはあとで考えましょ」
また体が震えてきた。ますますだるくなってきた。このままでは気を失いそうだ。
「それで、あちらの麗しい方たちを紹介してくれないの?」
「ん? ああ、タリアとエドナ。妹だ」
「はあ?」
「ああ、いや、そうではなく、そうだ」
「水に落ちた時に頭でも打った?」
「ふたりがいなければ溺れたかも」
いや、ふたりがいなければ、三階から池に飛び込むことはなかった。しかし代わりに衛事に殺されたかも。
「ふーん」
服装を整え終わったタリアとエドナがこちらにやって来た。
「タリアです。こちらはエドナ」
ふたりは腰を落として挨拶した。姿勢を正せば濡れた服が体の線を浮き上がらせる。妙になまめかしいが、何ごともなかったかのような美しい身のこなしは完璧。
「オリエノールはイリスのペトラ。ありがとう、シャーリンを助けてくれて。よろしくね、タリア、エドナ。あ、そうそう、わたしはカレンの娘よ。二人も妹が増えてとってもうれしいけど、こう次々に家族が増えると覚えきれなくなるかも。誰が姉で妹なのか、それとも叔母……」
「えっ? ええーっ?」
大声を上げたエドナはすぐに口を押さえた。
「静かに。こっちよ。急いで、シャル。溺れなくてもそんな格好で寒空の中に立っていたら死ぬわ」
歩き出したペトラは振り向いてニヤリとした。
「ねえ、シャル、そのドレス、とても似合っているよ。もしかして新しい妹の見立てなの? それに、その髪もかわいらしいわ。ちょっとだらしないけどね」
「ううーっ」
小走りで進んでいる間に記憶がどんどん戻ってきた。
浅はかにもトラン・ヴィラの館までカレンを探しに行ったことを。そして、間抜けにも誰かに撃たれて気を失った。目覚めたあと無理やり何かを飲まされ、再び眠りから覚めたらイサベラがいた。
そういえば、あのあと何かが起きたような気がする。長い夢を見続けた感じもある。あれが今この状態の原因なのだろうか。
林を抜けると大型の車が止まっており、扉が開いて女の子が降りてきた。
今度は誰だ?
背後からピシッという音が響き、タリアとエドナがさっと振り返る。
ふたりは、「確認してきます」と言い残し戻っていく。
腕組みをして車の前に立つ女の子はこちらに視線を向けてから、遠ざかるタリアとエドナをじっと見た。
もう一度こちらに目を向け口にする。
「あんたがシャーリン?」
「そうだけど……」
「あたしはイジー」
どういうわけか女の子は何度も首を振った。
「お父さんにだけはメイジーと呼ばれている」
意味不明の説明がペトラによって付け足された。
今度は車の前扉が開いて男が降りてくる。
「あっちはダレン」
そう言ったメイジーは続けた。
「確かにカレンの娘に違いないわね」
「えっ?」
「その格好よ」
メイジーの言葉の意味が理解できない。
タリアとエドナが戻ってきて報告する。
「問題ありません。おそらく動物でしょう」
シャーリンが視線を下げれば、たくさんのしわくちゃの帯と化したスカートが目に入る。またもや足にまとわりつき気持ち悪い。
「濡れていること?」
「違う。高価なドレスを台無しにしているところ。それに、有能そうなお付きの人たちを従えて現れたこと」
シャーリンは首を横に振って紹介した。
「こちらはタリアとエドナ」
ふたりは腰を屈めて挨拶した。
「彼女たちは妹だから」
突然、メイジーの表情がコロッと変わる。
「うわっ! 新しい妹。とってもうれしい……」
いったいどういう意味だ?
ペトラが目の前に割って入った。
「ねえ、車に毛布あった? この人たち、外で一泳ぎしてきたらしいのよ」
「はあ? なんで?」
そう言ったもののうなずいて車の扉をあけた。
「いいから、早く出して」
メイジーは一度乗り込んでごそごそしていたかと思うと毛布を手に降りてきた。
「一枚しかないよ。じゃあ急いで帰ろう。早く乗って」
***
車の中は外ほど寒くはなかった。シャーリンはタリアとエドナに挟まれて座り、ペトラが毛布を三人にぐりっと巻き付けた。
振り向いてじっと見ていたメイジーが前に向き直り、運転席の背もたれをポンポンと叩いた。
「出していいよ」
徐々に体の震えが治まってくる。
でこぼこの林道から出て平坦な道を走り始めると、ペトラは座席から滑り降りて床に膝をついた。
「手を出して」
おとなしく片方の手だけを毛布から突き出した。
彼女は手首をつかんでしばらく目を閉じていたが、ひとつうなずいた。
「大丈夫。このまま手足が徐々に温まってくれば問題ない」
つづいて、タリアとエドナにも手を出すように言う。ためらうふたりにたたみかけた。
「わたしは医術者よ」
「そうなのですか? 恐れ入ります」
タリアがまず手を差し出した。
「それにしても、ミアが一緒でなくてよかった。行くってしつこかったんだけど、何とか説得して思いとどまらせたんだよ。来てたら大変なことになってた」
ふたりの手を順に握って確認したペトラはひとつうなずいた。
「ふたりとも問題なし。とにかく、悪いことにならなくてよかったよ。館に到着するころには落ち着いていると思うから、すぐに湯浴みをしても構わない。なんせ酷い格好だから……」
「どこに行くの?」
「イジーの家よ。つまり、川港にあるグウェンタの館」
すぐにタリアが声を上げた。
「えっ?」
彼女は前を向いて座っているメイジーを見つめた。
「グウェンタの姫さまでいらっしゃいますか?」
メイジーがこちらを振り返った。
「そんなふうに言われたの久方ぶり。当主でなくなってから初めてかも」
「大変申し訳ありませんでした、エスタメイジーさま。そのような格好をされているので気づきませんでした。イサベラさまのところにいらっしゃったのを何度もお見かけしましたのに」
「それはつまり、あたしのこの変装はまんざらでもないということだねえ。あ、それから、あたしのことはイジーと呼んで」
「はい、イジーさま」
「イジーでいい。あんたたち、シャーリンの妹になったんでしょ。なら、あたしの妹でもあるし」
タリアは目を白黒させた。
「ええっ!? どういうことでしょうか?」
「つまり、ここにいるのは全員家族ということ」
エドナがおそるおそる口を出した。
「シャウダレンさまもでしょうか?」
「えっ? ああ、彼はまだ違うけど……」
タリアはエドナと目を合わせてそっと首を振った。
ようやく手が温まってきた。
***
グウェンタの館に着くころには震えも治まり、体も普通に動くようになった。
ホールに入ると大勢の人がいて一斉にしゃべり始めた。騒がしくて何も聞き取れない。
すぐにメイジーが大きな声を出す。
「カレンは残してきた。その話はあとで。まずはこの三人を何とかしないと」
現れた女性に向かって言う。
「サリー、この三人を湯処に案内して。それから、適当な服を出してくれる?」
「かしこまりました。二階へどうぞ」
浴室につくとサリーが振り向いた。
「お手伝いの者が参りますので少しお待ちください」
すかさずタリアが口にする。
「わたしたちだけで大丈夫です。お手数ですが、着替えだけ用意していただけますでしょうか」
「かしこまりました。お脱ぎになった服はこちらに置いてください。すぐに洗いますので」
エドナが奥を覗いて驚きの声を上げた。
「すごーい。とても広いです。さすがグウェンタのお館です」
「どれどれ。本当だね。三人で入っても大丈夫だ」
***
話し声で目を覚ます。声のするほうに頭を回せば、窓際でタリアとエドナが話している。
「ねえ、リーシャは知っていたの? 皇妃さまに大勢のご息女がいらしたことを」
「いいえ」
「びっくりです。おふたりのほかに、昨夜助けていただいたペトラさま、ほかにもいらっしゃるとか」
「そうね」
「大怪我されたエメライン……それに、グウェンタのお嬢さまも皇妃さまのことを母と言うのを聞きました。いったいどうなっているんでしょうか?」
ため息が聞こえた。
「あのね、エディ、あなたが知らないのにわたしにわかるわけないでしょ」
エスタメイジーがカレンの娘? 昨夜もそれらしいことを言っていたけれど、どういう意味だろう。記憶を探るが彼女に会うのは初めてのような気がする。
「昨晩遅くにエルナンの皇女さまがお着きになったらしいです。ローエンのほうはいいのでしょうか……」
えっ、エルナンの皇女? きっとザナのことだ。彼女がここに来ているの?
エルナンがローエンを奪還したのは昨夜知った。エルナンが主家に戻るということは、当主のディオナが王になるのか……。
もぞもぞと動いたとたんに、タリアが振り向いた。
「お目覚めになったのですね。おはようございます」
「ああ、おはよう」
「隣の部屋に朝食の準備ができているとのことです」
「それはいい。おなかがペコペコだよ」
「それでは参りましょうか」
大きなテーブルの席はほとんど埋まっていた。
あいている席に三人並んで腰掛ける。
ペトラから国子の証しとレンダーを手渡された。
「ありがとう」
「何で置いていったの?」
「うーん、見られたらまずいかと思って。敵地だし」
「あの時はそうじゃなかったと思うけど……。まあ、いいわ。ちゃんと身につけておきなさいよ」
「うん」
「ねえ、シャル、お母さんを助けに行くんでしょ。わたしも……」
反対側からメイジーが口にする。
「それはどうかなー。大勢だと目立っちゃう。できるだけ少人数で行くべきよ」
「でも……」
ザナがきっぱりと言う。
「イジーが正しい。ペトラは留守番よ。中の案内はタリアとエドナにお願いするわね」
「わたしも行きます」
姿勢を正すフィオナと目を合わせたザナはうなずいた。
「わかった。あなたはカレンと相性がいいから」
「フィンが行くならわたしも……」
「だめ、ザナが言ったようにペトはここで待っていて」
「館に入るのはあたしに任せて。何度もやってるから」
「今度はあたしも行くからね。誰が何と言っても」
ミアが宣言した。
結局、カムランの館に潜入するのは、メイジー、ザナ、ミア、フィオナ、それに、タリアとエドナを合わせて七人になった。夜遅くに出発する。




