306 この人は誰?
カイルの顔を見た瞬間、いくつもの記憶が押し寄せてくる。
ようやく彼のことを思い出した。
あの時、国主と向き合った瞬間がまぶたに浮かぶ。銃で国主を撃った。……いや、そうではない。確かに銃を手にしていたのはわたしだ。しかし、作動させたのは……目の前の男だ。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、自然と呼吸も荒くなる。そうだ、あの時、わたしは誰かの支配下にあった。しかし、銃を撃つよう強制されたことはない。それは記憶に残っている。単に渡されたものを持っていただけ。
どうしてそうなったのかは……ぼんやりとしたまま。
とにかく、目の前にいるカイルが国主に向かって発砲した。わたしの記憶が確かなら……。
足を踏み出したがすぐに速歩になる。イサベラに向かって口を開きかけたカイルだったが、近づくシャーリンに気づくと顔を回した。
考えなしに言葉を投げかけてしまう。
「あなたがあの方を撃った。オリエノールの国主を」
カイルの顔に驚きが広がっただろうか。
「何を言っているんだ、君は?」
「わたしは……この手に銃を持っていた。でも、実際に使ったのはあんただ」
シャーリンは手を上げカイルに向けた。彼は怯んだように見えたが、次の瞬間、力の波が押し寄せてくる。今ならわかる。これは強制作用……。
しかしなぜか彼の支配下には入らなかった。どういうこと?
代わりに胸の奥底で異質なムズムズする感触が湧き上がってくる。これは何なの?
突然、視界にイサベラが割って入った。
「シャーリン、いったい何の話をしているの?」
「思い出したんだ。わたしはこの男と会ったことがある。二度だ。そして、強制力を受けた。いや、あれは三度だったか……」
「何を言っているの? シャーリン」
「ねえ、イサベラ、全部思い出したんだよ。この人がわたしを何度も支配し、オリエノールの国主を……」
話す間にも再び強制力が襲ってくる。イサベラがさっとカイルに目を向けた。
「何をするの? カイル」
再びシャーリンに向き合うと続けた。
「そんなことあり得ないわ、シャーリン。あなたの記憶はあやふやなだけよ」
「いや、違う」
「カイルがそのようなことをするはずがないわ」
そうか、ケタリだ。対抗力があるのか……。
「とにかく、こっちに来なさい」
イサベラはシャーリンの手をつかんでぐいっと下げた。
茫然としていると、腕をつかまれぐんぐん引っ張られる。ソファの前で肩を押さえられてドスンと腰が落ちた。
背後で扉の閉まる音がする。振り返るとカイルの姿はなく、代わりにタリアとエドナが入ってきた。
「こっちを向いて。ねえ、シャーリン。カイルが他の国に行って人殺しなどするはずないわ。そんなことをしたら大問題よ」
「ねえ、イサベラ、君は知らないんだ、彼のことを」
「知っているわ、小さいころからよ。あなたよりずっと前から」
「確かにわたしとイサベラが知り合ってまだ数日しかたっていない。それでも、わたしが見てきたあの人の振る舞いはここの記憶にある」
「それじゃあ、その記憶が誤っているのよ」
「そんなことない。むしろ、イサベラの記憶が違っているんだよ。あの人は強制者だよ。きっと強制力によって記憶が書き換えられて……」
「いくらシャーリンでも怒るわよ。そんな酷いこと……。彼はわたしの連れ合いになる人よ」
「でも、間違っている」
「間違ってないわ」
ふたりはにらみ合った。
「わからず屋」
「それはわたしのせりふよ」
これでは、ただの子どもの喧嘩だな。
突然タリアが割って入った。
「イサベラさま、それに、シャーリンさまも落ちついてください。おふたりともどうされたのですか?」
扉の開く音に振り返ると、カイルのほかに大勢の衛事がいた。
また、やって来た。今度はどうするつもりだ。
「あの男を拘束しろ。王女を殺そうとした」
何だって? 記憶が渦巻き目眩に襲われる。
否応なしに国主と対峙した瞬間の光景が蘇ってくる。
顔を戻してイサベラを見た。
「ねえ、イサベラ、何とか……」
彼女の顔が凍り付いたようになっていた。無表情で身動きせずじっとこちらを見る。
どういうこと? これは強制力? しかし、わたしでも対抗できた。ケタリのイサベラが影響下に入るはずがないけれど、彼女の様子はそうとしか思えない。それなら、どうやって?
「お姉さま!」
叫び声にパッと振り向く。衛事たちの手に銃が握られていた。
考えるまでもなく勝手に意識が切り替わるのを感じた。瞬時に防御が発動される。あわやのところで相手の攻撃を撥ね返したが、これでは防戦だけで反撃できない。
カイルが手を上げたのを見てすばやく立ち上がる。
また、強制か。いや、違う、今度はきっと破壊作用。確かあそこでも……。
どうしたらいい? このままでは、また、同じことになってしまう。
とっさにシャーリンは扉に向かって走り出した。目の前の衛事に体当たりする。とにかくここから脱出しなければ。イサベラは王女。衛事にわたしは刺客だと思われた。それだけで十分。
しかし、相手が多すぎる。防御するだけではだめだ。でも、攻撃すれば傷つけてしまう。
その時、タリアが目の前に飛び出してきた。
腰を落として屈んだかと思うと次の瞬間には両手に銀色の棒が握られていた。次の瞬間、長くなった棒が立ち塞がる衛事をなぎ払ったように見えた。あっという間に二人が床に伸びる。まるで衝撃銃で撃たれたときのよう。
「お姉さま、急いで!」
エドナの声に振り向くと彼女が同じ武器を手に立っていた。その下にはうずくまる二人の衛事。
タリアの命令が耳に届く。
「ぐずぐずしないで! 向こうの扉からよ!」
シャーリンは走って扉を体当たりで押しあけ前室から廊下に飛び出た。
後ろからニャーという声がしたかと思うとリンが突進してきた。パッと飛びついた先はわたしではなくエドナ。
「裏階段へ!」
タリアの声に、角を曲がり階段に向かう。ものすごい勢いで一階まで駆け下りたところで危うく壁に激突しそうになる。
「あっちよ。今の時間は表からしか出られない」
遠くに見えるホールを目指して走る。
その間にも、また勝手にこみ上げてくるものがある。かすかな作用のざわめきを感じる。これがイサベラの言っていたもうひとつなの?
突然、エドナの腕からリンがするりと滑り降りた。
「どうしたの、リン?」
エドナは手を伸ばしたが、リンはかいくぐるように走り出し階段のほうへ向かった。
「リン、そっちじゃない。戻れ!」
追いかけようとしたがタリアに腕をつかまれる。
人の声らしきものが遠くに聞こえた。
「だめです。早く行かないと出られなくなります」
「でも……」
リンは階段までの通路の途中で立ち止まってこちらを見ている。どういうつもりだ?
「リンを置いては行けない」
シャーリンはタリアの手を振りほどいて走った。
捕まえられそうな所まで近づいたところでリンは再び逃げるように走り出した。おいおい、遊んでいる暇はないんだよ。
必死に追いかければ、裏階段の下でちょこんと座って待つ。
これは、もしかして案内しているのか? ここをまた上がらせたいのか……イサベラに何かあった? そもそも、どうしてそんなことがわかるんだ?
エドナが隣に並んでリンを見る。
「お姉さま、リンはどうしちゃったんです?」
「戻れと言ってる」
「ねこの言葉がわかるのですか?」
無言でリンを追って階段を駆け上がった。あけっぱなしの扉からシャーリンの部屋に入るのが見えた。
必死に追いかけるが、何せ久々の走りでもう足が動かない。完全に運動不足だ。
前室に入ったところで声が聞こえた。
「あら、リン、久しぶりねえー」
だれだ? この声。次の瞬間、自分の中に渦巻いていた作用がスッと後退する。
居間に入ると、タリアとエドナが眠らせた衛事たちがまだ床に転がっていた。顔を上げたとたんに驚きで足が止まる。
イサベラのそばに女の子が立っていた。イサベラの手を握りカイルと向き合っている。
背後からタリアとエドナの声がした。
「カレンさま!」
そう呼ばれた女の子がこちらを向いた。
「シャル、やっと会えた。それに、タリアとエドナじゃない。ごきげんよう。ひと月ぶりかしら」
えっ? カレン? あらためて目の前の女性の顔を見る。
ええっ? どう考えても自分と同じ年頃の女の子じゃないか。それに、何をのんきに挨拶しているんだ、この非常時に。
リンが彼女のところに来たのか、それとも、彼女がリンを呼んだのかと考えていると、突然、イサベラが手を上げた。そこから攻撃の光が走り背後の壁がブルブルと震えた。
気づいたら痛みで腕がしびれている。かろうじて防御を張ることはできたが、少しかすったようだ。
タリアが体をさっと回すのが見え、作用を開いたまま振り向く。
扉が開きっぱなし。その向こうから慌ただしい足音が聞こえる。衛事をもっと呼んだのか? すぐに入ってくる。どうしよう。
「イサベラ、何をするの? やめなさい」
イサベラのほうを向いて両手をつかみ引き下ろしたカレンは、さっと振り返ってカイルを睨んだ。
カイルの手が動いたように見えたあと、カレンが立ち塞がるように立って大声を出した。
「何するの? シャル! 行きなさい、早く!」
行くってどこに? 動けないでいるとこちらを振り向き怒鳴った。
「早く!!」
突然、タリアが何か叫んで窓に向かって走り出した。
いったいどうしたの、と思った時には、体がすくい上げられエドナの腕の中にいる。銃の発射音が聞こえたような気がするが、すでに彼女は窓に突進していた。
次の瞬間、タリアがパッとあけ放った窓から飛び出した。ええーっ!
エドナは空中で振り向きざまに声を上げた。
「リン! おいで!」
カイルの手に書機が握られているのが一瞬見えた。あれか……。
すでに急速に落下し始めていた。ここは三階だったな、と考える間もなくエドナに抱えられたまま激しい音とともに水に落ち、体が勢いよく沈んでいった。
しびれた体はまったく動かない。気がつくと誰かに肩をつかまれ引っ張られていた。すぐに水面から顔が出たものの息苦しい。
何とか口をあけて息を吸おうとした瞬間、頭の上にドサッと何かが落ちてきて、蹴飛ばされ再び水の中に沈んだ。
すぐさま腕が引っ張られて勢いよく頭が空中に飛び出た。冷たい水を飲み込み呼吸が止まりそうになる。息をしようにも胸が痛くなる一方。
体も動かず、タリアとエドナに抱きかかえられて貯水池の縁に向かう。ふたりに地面まで押し上げられ何とか倒れ込んだ。
草地に仰向けになるが胸がまだ苦しい。小刻みに息をするが、今度は寒さで体の震えが止まらない。見れば満天の星が刺すように冷たく感じられた。
それでもこの景色、夜空には見覚えがあった。突然、寒風が脳に染み渡る。
上から叫び声が聞こえ我に返る。何とか起き上がると目の前にリンが座っていた。
「濡れなかったのはおまえだけか……」
ようやく体が動くようになった。それにしても冷たくて凍えそうだ。
エドナが感心したように言う。
「さすが、ねこさんです」
「急いでここを離れなくては。表門はもうだめね。通用門へ向かいましょう。歩けますか?」
「大丈夫。先に行って」
ずぶ濡れの三人と乾いた一匹は建物にそって走り出した。
***
立ち止まって木陰から様子をうかがったタリアが振り向いた。
「あそこが通用門です。常に衛事が何人かいます」
また息が上がっていた。じっとしていると体がブルブルと震えてきて止まらない。
濡れたドレスではもう走れない。タリアとエドナのように短ければまだ何とかなったかもしれない。一度水を払ったが足にまとわりつくし、こうなると始末に負えない。
「しょうがない、強行突破するまでだ」
「さすがお姉さま、潔いです」
「はあ、それしかないですね」と言いながら、タリアはスカートに手を入れ武器を取り出した。
「では、参りましょう」




