304 家族なればこそ
何とか倒れずに済んだものの、しびれたような体は動かない。
激しく上下する手はまだ熱く、ドクドクと鼓動が伝わってくる。自分の心臓も飛び出そうな勢いで早鐘を打ち鳴らしていた。
うめき声が聞こえて硬直が解ける。
慌てて手を離しイサベラの頭に腕を回して抱き起こした。
顔を上げれば、タリアとエドナが驚愕の表情で凍り付いたように固まっていた。
とんでもないものを見せてしまった気がする。本当にこのふたりの前で試してよかったの?
ふたりから目を逸らし天井を睨んで口を開く。
「いったい今のは何だったの?」
イサベラは何度も息をついたあと振り絞るように声を出した。
「ああ……もう少しで……同調が暴走……。本当にだめだわ。わたしは何も学んでいない。あんなことがあったのに」
「えっ?」
続く声はささやくようで聞き取りにくい。
「以前にも同じようなことが……。とにかく、これでわかったでしょ。あなたにもケタリの力があることが。もうふたつもちではないのも。でもここから同調力を回すのはだめ。お母さまのときは平気だったのに。わたしが未熟だからかしら……」
「イ、イサベラさま……」
動揺が隠せない声を耳にして下を向いたとたんに体が硬直する。
ぐちゃぐちゃのドレス、はだけた胸に……露わな腰。えっ? こっちはあったはず……。
またとんでもないことをしでかしてしまった。慌てて反対側を盗み見れば、さすがのタリアも気が抜けたようにぼんやりとしている。
「ああ、まただ……」
そうつぶやいたイサベラはわずかに腰を浮かせてドレスを引っ張り上げた。スカートを膝の下まで戻しながら起き上がり、時間をかけて慎重に服装を正した。
それからこちらに向き直って乱れた胸元を整えはだけたスカートも直してくれる。
その間、誰も動かず声もない。
茫然としたシャーリンもされるがままで、ただうなずくしかなかった。別世界を垣間見た気分でまだ頭がぐるんぐるんして気持ち悪い。
これが第三の手の力? そしてケタリの技なの? それに、まただって何のこと?
「なんか酔ってしまったみたいに目が回っている」
背筋を伸ばしたイサベラは固まったままのエドナをちらっと見たあとタリアに向かって言う。
「これで、シャーリンもすべて理解してくれたわ。あなたたちもわかってもらえたかしら?」
王女にあるまじき姿を曝したことなどなかったかのように、優しい笑みを浮かべて穏やかに話す彼女から再び品格と威厳が溢れ出た。
「イ、イサベラさま、今のは……それに……」
「ねえ、タリア、エドナ、これからもわたしの大事なお姉さまのことをお願いするわ」
「え、えっ? あ、はい、かしこまりました」
いつの間にかワン・チェトラの街が目の前に広がっていた。
「それにしても、どうして初めから言ってくれなかったの?」
「あなたが何のためにカムランに送られてきたのかわからなかったからよ。……でも、本当は、お姉さまに嫉妬していたからかもしれない」
「ええっ? イリマーンの王女がどうして……」
フッと息を吐いたイサベラはどことなく寂しそう。
「わたしにケタリの種があることがわかってからほかの人たちの態度が変わった。成年したら王になるのよ、と言われて育った。しかし、そうなる前に母は亡くなり、どうしてなのかと自問し続けたわ。いろいろあったし、本当の母が現れてもケタリにはなれずもうどん底にいた。皆はわたしが期待を裏切ったと思ったでしょうね。ところが、お母さまが再びやって来て、今度はケタリにしてくれた。お母さまのおかげ。これで、皆の、民の期待に応えられると思った」
そこで一息ついた。
「そこにあなたが現れたの。トランの輸送車でここに送られてきた。衛事たちはあなたを刺客だと思った。車から降りることもできず寝込んだままのあなたをね。わたしには信じられなかった。そして、ベッドに運んで調べさせてもらったの」
こちらを見るイサベラの顔は白かった。
「あなたとつながって、お姉さまがケタリであることを知った。わたしは驚き震えたわ。別のケタリがカムランに送り込まれた。これがどういう意味かわかる? 長年待ってようやく確立したわたしの立場が崩れ落ちるのを感じたわ。母が同じであっても関係ない。歴史を顧みればイリマーンが分断されるのは明らか。わたしは悩んだわ。国の混乱かやっと巡り会った姉妹を再び失うか。その時はあなたが記憶を無くしているとは思いもしなかった」
シャーリンは息を呑んでただ耳を傾けた。
「お姉さまの記憶が不完全なのを知った時、よこしまな考えに取り憑かれたの。あなたの記憶が戻らなければよいと……。そうすれば、すべてを隠してふたりで暮らせると。軽はずみな考えだったと思う。だってお姉さまがケタリであることはすぐに知られてしまうのだから」
やるせない表情を浮かべたイサベラの手が震えた。
「ねえ、お姉さま、わたしはどちらも護りたいの。イリマーンを守ってきた父がいない今、これ以上の国の混乱は回避したいし、お姉さまを失うのもいや」
そういえばどうしてわたしの素性まで知っていたのだろう。
「目覚めたときにわたしを名前で呼んだ」
「覚えていたのね」
「どうやって……」
「お母さまが初めてここに来た時、目覚めるなりわたしをシャルと呼んだ。お母さまがオリエノールの皇女であることを知ればすぐに調べがつくわ。ロイスに住まう皇女についても」
イサベラは眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「アイゼアが言ったのよ。彼はとても有能だけれどひねくれ者で困るわ。血のつながりがあっても本当の家族とは限らない。自覚していない刺客かもしれないと。どうしてイリマーンのケタリシャを擁するローエンが無自覚の刺客を送り込むのか理解に苦しむわ。ダレンもわたしと同じ意見だった。とにかく彼らは証拠もなしにすぐに抹殺すべきだと言うのよ」
イサベラはフッと息を吐き出し、しばし目を瞑った。
「あなたが目覚めて、記憶がないのを知り、驚かせば体調に響くからと言い訳をして、翌日まで待つことにしたの。ところが、前線で問題が発生したと知らせがあって、出かける羽目になってしまった。決断を先送りにできると内心ホッとした。わたしは本当に自分勝手だわ。……でも今では違う。シャーリンはわたしのかけがいのない家族なのだから」
考え込むようにしばらく目を閉じていたイサベラからかすかなため息が漏れた。
「昨日、帰ってきたときのわたし、変じゃなかった? 自分でも違和感には気づいているの。だから今日は外出することにした。ここならたぶん変な事態にならないから」
それからこちらを向いて続けた。
「あなたに話さなければならないことがあるの」
イサベラは背筋を伸ばした。
エドナがそわそわしているのを見てイサベラは言う。
「エドナにもわかったでしょう。シャーリンはケタリよ。わたしと同じ」
「はい、イサベラさま」
「それでね、ふたりには、シャーリンの紫側事になってもらいたいの」
すかさずタリアが反論した。
「しかし、わたしたちはイサベラさまの紫側事で……」
「いまイリマーンに二人のケタリがいる。これがどういうことかわかるわね?」
「紫側事はほかにも……」
「ええ、いるわ。でも、あなたたちはわたしたちの家族になったのでしょう? あなたたちにしか頼めないことなの」
「ねえ、イサベラ、わたしに紫側事など……」
「いい? お姉さまは事態の深刻さをわかっていない。わたしが王女でいられるかも」
「どうして、そういう話になるの?」
「紫側事はね、わたしたちが多くの血と引き換えに維持しようとしてきたケタリによる統治を守るために存在する。ケタリシャとは別の意味でね」




